Dragon-Jack Co. 金魚博士の恋(裏Ver.)
千葉 琉
第1章 でめきん好きに会わせたい
ここまで自分の思惑通りに事が進むとは。
自分で自分が怖くなりますねえ。
国立生物学研究所の主任教授“うなぎのセンセイ”こと金枝亘は、腕組みをしながら目の前の水槽を眺めた。
水槽の中では、リンゴ大の黒でめきんが一匹、ひれをひらめかせている。
このでめきんが国生研にやってきたのは、数日前――8月の終わりだ。運び込まれたのは深夜だったようだが、翌日に飼い主――金枝の部下(心情的には弟子に近い)である山本健司が釈明にきた。
なんでも、落雷のために自宅の水槽機器が使用不能になったため、ペットを緊急避難させたとのことだった。特に不都合はないので、了承したが、恩人に言うかのような礼の言葉が返ってきた。
それにしても、あの顔。金枝の口元に笑みが浮かんだ。
落雷があった夜、近所にある24時間営業のホームセンターもどきに駆け込んだ山本だったが、その店には残念ながら犬猫用品しかなかった。その時の話をする山本は、普段感情を表に出さない彼には珍しく、恐怖体験でも語るかのような顔をしていた。
この一件で分かったのは、山本の金魚(でめきん)好きが常軌を逸しているということだ。金魚が好きで生物学者を目指したのは知っていたが、ここまでとは思わなかった。朝、研究所にやってきた山本が愛魚に餌をやる様子は“子連れ出勤”という単語を金枝に連想させた。
そこで思いついたのが今回の計画だ。ここまででめきんが好きなら、ひょっとしてでめきんに似た女性にも関心を持つのでは?
もちろん自信はなかった。自分が“うなぎのような女”に惹かれるとは思えないからだ。だが、金枝は自分の直感と山本のでめきん愛に賭けてみることにした。
金枝の古くからの友人に町田という男がいる。これまた山本と張り合うくらいの金魚愛好家だが、町田の次女・貴美子がでめきんを思わせるような風貌、というよりは格好をしている。大きな黒ぶち眼鏡と黒っぽい服装をやめれば、そこまででめきんには見えないだろうに、どういうわけか貴美子はそのスタイルを改めない。
あの子は一生独り者かもしれない、と町田と彼の細君が揃ってぼやいたのが今年の正月の話だ。子のいない金枝には共有できない悩みだが、彼らの心配は伝わってきた。
無類のでめきん好きに、でめきん女子を会わせたらどうなるか? 金魚好きを紹介する名目で山本を町田家に行かせれば、二人を会わせるのは可能だ。ただ、できれば見合いの仲介のようにならない形で進めたい。
そんな時だ。ペトラ社との共同研究の話が持ちかけられたのは。
水質改善薬の開発だと部下の大野から話があった時、金枝は承諾し、すぐにペトラの研究開発部にいる知人に一報を入れた。そして、国生研側の研究者が20代の独身男ばかりであること(実)、彼らが“何を期待しているのか”共同研究と聞いて浮足立っていること(虚)、この機会に優秀な外部の研究者から学び、各々自分を省みてほしいこと(実)などを虚実織り交ぜて伝えた。
水質改善薬を開発するのだから、ペトラで水の研究をしている貴美子が候補に挙がることは予測していた。果たして知人は金枝の思惑通りの人選をし、貴美子を含む四人の社員(全員女性)を派遣してきた。
似てます、ねえ。
金枝は夢想から戻って、再び水槽に目をやった。貴美子嬢と、このでめきんは似ている。見かけというよりは、たたずまいが似ている。
山本の反応は、見ていておかしくなるほどだった。共同研究の初日から、自分の気持ちを隠すのに必死になっている。彼の同僚たちがそれにまったく気づかないのは、“相手に困らない女ったらし”がでめきん嬢に一目惚れし、一途な想いを抱くなんて夢にも思っていないからだ。
ペトラ社から派遣されてきた女性社員たちも同様だ。自分たちが口を開けて見惚れた美形男が、内気でいつも下を向いているような地味な女性に関心を持つはずがないと思っている。彼女を除いては。
貴美子と同じ研究開発部の後輩だと言っていた清水亜紀。彼女は気づいたようだ。“金魚博士の恋”に。
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