第四章(上洛の夢――或いは妄執――の果て)‐三

 於福の気配が消えてどれほどの時間が経ったか、信玄には分からなかった。於福との遣り取りの終わりに、自分が叫び声を上げたものかどうかも明確には分からなかったし、もし自分がそのような叫び声を上げたとして、困惑するであろう周囲の者を気遣う余裕も既に信玄からは失われていた。


 乗物の中は薄暗く、視界は明瞭ではなかった。


 於福の声に追及された信玄からは、幕政を扶けまつりごとを正しく執り行い、百姓ひゃくせいの民を安寧に導くという志も、僧階の高位に昇って仏法を専らとし、叡山を再興するという志ももはや失われていた。

 信玄は死に臨んで今生こんじょうと幽冥界の境目を見失ってはいたが、たった今自分の前に現れた人々の他にも、自分に対して深い怨念を抱きながら死んでいったであろう幾十人かの名前や姿を瞬時に思い浮かべることが出来た。義信や諏方頼重、板垣信方等がそうであった。

 加えて、自分がこれまで巻き起こしてきた戦乱の中で死んでいった、名も知らぬ数多の人々もまた、信玄を地獄で待ち受けているであろうことが容易に想像できた。そういった人々が地獄において自分を責め、詰り、苦しめるであろうことを信玄は恐れた。それは既に死が眼前に迫っている信玄にとって妄想などではなく、直近に差し迫った現実の問題に他ならなかった。

 今や帰国の途に就いた甲軍が再び上洛する可能性は全く失われていたし、よしんばここから急遽軍を返して上洛を果たし得たとしても、命脈の尽きつつある信玄が天下の政務を執ることなど出来るはずがなかった。

 信玄が五年前に初めて死を覚悟したときに恐れたこの世の地獄――我が子義信を弑虐してまでも希求した上洛を果たせないこと――が現実となりつつあったのである。

 信玄は死後、自分が地獄に堕ちるということを疑ってはいなかった。死後に自分を待ち受けているのは永劫の責め苦なのだ。

 なので信玄は、せめても残り僅かとなった今生における地獄を回避し救われるためには、形だけでも良いので、自らの生涯を賭けて追い求めた上洛を成し遂げるより他にないという妄執に取り憑かれていた。極言すれば、政を正しく執り行うことも、叡山を再興することも、もはや信玄にとってはどうでも良いことになり果てていた。


 ただ上洛。ただ入京。


 それのみが、冥府において地獄の責め苦を永劫受け続けるであろう自分が、今生において救われるたったひとつの方法であると考えたのである。


 薄暗い乗物の中で、信玄は光を求めた。

 自らの手で引き戸の垂れを力なく押し開けると、傍らに付き随っていた土屋昌続がこれに気付き乗物に駆け寄った。微かに動く信玄の口許に、密着させるほど耳を近づけた昌続は

「昌景を呼べ」

 という信玄の下命を過たず聞き取って、即座に山県三郎兵衛尉昌景に報せるとともに、殊更声を落として昌景に

「御最期が近い」

 と耳打ちして附言した。

 昌景は信玄の乗物に駆け寄り、転げ落ちるように下馬すると、乗物の傍で折り敷いた。

 信玄は乗物の中から言った。

「明日は……、立てよ」

 よく聞き取ることが出来なかったためか、昌景は乗物の引き戸を少し開いた。

 すると信玄は、もはや聞き間違いがないほどにはっきりした口調で

「明日は、我が旗を、瀬田に立てよ」

 と発した。

 瀬田は京洛に至る入口であり、そこへ孫子旗を掲げよと信玄は命じたのである。それは実現可能性の全くない妄執に基づく下知に違いなかった。違いなかったが、昌景は戦場においてその下知に従うが如く、

「ははっ!」

 と復命した。


 信玄はそれ以降言葉を発しなくなった。


 少し開いた引き戸から覗く信玄の手が、ぶらりと力なく垂れ下がっていた。

 昌景はその信玄の手を取り脈を看た。

 信玄は既に事切れていた。


 ときに元亀四年(一五七三)四月十二日、 帝都より遥か遠方の信州下伊那郡は駒場村において武田信玄は卒去したと伝えられている。享年五十三であった。

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