第二章(於福逝去)

 晴信は甲府に帰着して軍を解散した。軍役衆は窮屈な出征を終え、身分の大小を問わず皆晴れやかな表情をしていた。

 口々に

「帰ったら嫁っこさ抱いてやるずら」

 とか

せがれと川魚さ釣りに行くら」

 などと語り合いながら笑顔で甲府を後にしていった。晴信は愉しげな彼等を、羨望の表情で見送った。

(守護の地位など捨てて、あのように自由でありたいものだ)

 我が身を振り返ると、妻を病で失おうとしており又戦略を巡って嫡子と分断しようとしている。甲斐守護職という立場にさえなければ、このように苦しむこともなかったであろうにという想いを、晴信はどうしても振り払うことが出来なかった。

 躑躅ヶ崎館に帰着したとはいえ、ここは晴信にとって自邸であると共に政庁でもあった。戦において手柄のあった者への恩賞査定や感状の授与、陣没した者の跡目安堵など、やらなければならない仕事は山積していた。晴信は典厩信繁などの補佐を得ながら仕置を済ませると、飛ぶようにして諏方を目指した。病床にある於福を見舞うためであった。


 晴信が病臥する於福を見舞ったとき、彼女はまさに最期のときを迎えようとしていた。青白く透き通るような肌はこのまま消えゆく於福の生命と共に、霧消してしまうのではないかと思われるほど頼りなかった。

 晴信は於福にもはや恢復の見込みがないことを悟り、

「最期に何か望みはないか」

 その顔をのぞき込むように訊ねると、於福は力なく口を動かして

「四郎を、四郎をどうか頼みます」

 と絞り出すように言い遺して逝った。享年二十五であったという。

 母の最期を看取りながら、四郎は涙を見せることがなかった。本国より父が来訪しているという緊張からではない。常日頃母から

「あなたは、諏方と武田の血を引いているのです。両家累代の誇りに賭けて、強くあらねばなりません」

 と言い聞かされてきたからであった。

 その母が病に伏し、いつまで経っても曾てのように元気な様子を見せなかったことで、四郎は幼いながらうすうす母の病状が悪化していることに気付いていた。なので、来るべき母の死に際して決して涙を見せないことを心に誓っていた。

 晴信は上原城を後にする際、供廻ともまわりの者に対して

「四郎は強い。於福によく似ている」

 と涙ながらに漏らした。

 晴信と於福の婚儀を望み、その実現のために尽力した山本勘助の許にも、於福逝去の報せが入った。

 あの怜悧な頭脳と激情を持った姫が、最期は遺した幼子の行く末を案じながら一人の母親として逝ったと伝え聞くと、勘助はその隻眼から涙があふれ出すのを止めることが出来なかった。

 勘助の記憶には、婚儀に際して美しく着飾った於福の姿、そして短刀を手に自分に突きかかってくる姿が強烈に残っていた。いずれとってもぞっとするような、美しい姿であった。

 勘助は長く病床にあり、痩せ細ってゆく於福の姿を遂に目にしなかった。その事は彼にとって、幸せなことであったのかも知れない。

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