第二章(長尾景虎登場)‐一
村上義清が本拠地葛尾城を棄て、長尾景虎を頼り越後へ落ち延びたのは天文二十二年(一五五三)四月のことである。
景虎に面会した義清はがっかりした。如何にも小柄で、
敗残の将に身をやつしたとはいえ、無駄に
「白面の書生」
景虎と面会して義清が抱いた第一印象がこれであった。初陣において自らの籠もる栃尾城に攻め寄せた長尾俊景と黒田秀忠の兵一万を撤退に追い込んだ挙げ句、後尾から追撃して大破した勇将にはとても見えない。もとより初陣の手柄など宿老にお膳立てされ過分に戦果を吹聴した法螺話が多い。頼んで落ち延びてきはしたが、景虎の武勇譚もその手の眉唾話だったのかと思うと義清は落胆するばかりであった。
肩を落とす義清に対し景虎は
「左様がっかりなされますな。思うにそれがしの
とずばり言い当てたので、義清は慌てて
「あ、いや。そうではありません」
と取り繕うのが精一杯であった。
景虎は焦る義清にお構いなく早速諮問した。
「武田晴信とはどのような戦いを好む将ですか」
「それがし累年武田と干戈を交えて参りました。先代信虎のころからでございます。その頃の武田の戦いようといえば、諸衆が点でばらばらに討ち掛かってくるというものでした」
「点でばらばらに?」
「左様でございます。武田の兵は強うございます。甲斐国は地力に乏しく他国に討って出るより他に富を得る方法がございません。したがって兵を構え戦に出ることを好みます。それは諸人がそれぞれの我欲を満たすためでしかありませんでした」
「近年は違うと」
「左様、異なります。近年俄に違って参りました。景虎公のお耳にも入ったことがあると存じますが武田家中に板垣駿河守信方という剛の者がありました」
「知っております」
「板垣駿河存命中の武田の戦い方は、信虎の代とさほど変わるものではありませんでした。武勇の士を先陣として打ち立て、敵方の先手を打ち崩した後は諸人がばらばらに討ち掛かってくるというような戦い方だったのです。それ故それがしは、北信諸衆を鍛え
ぼそぼそと口篭もるような義清の口調が、勢いを増してきた。自身の武勇談を自慢するかのような口調であった。
「それがしはそのように陣容を整え、上田原においてその板垣駿河守を討ち取りました。先手さえ打ち崩してしまえば、残された甲州勢など蜘蛛の子を散らすように遁走するものと考えていたのです。しかしそれがしの前に、これまでの甲州勢とは手応えの違う部隊がありました。それがしはその部隊に遮られ、あと一歩というところで晴信を討ち漏らし、長蛇を逸したのでございます」
「武田の戦い方が変わってきた、ということですか」
「そうです。それがし思うに上田原の敗戦後からその戦い方は俄に変わりました。それまで点でばらばらだったものが、統率のとれた軍隊に変容したように見えます。砥石城でも晴信を追い詰めましたが阻まれ、遂にその頸を頂戴するには至りませんでした」
景虎は顎に手を遣って
「ふむ・・・・・・」
と考え込む様子であった。
義清は続けた。
「特に近年、晴信は必ず勝てるという状況を作り出し、それが成ってから兵を動かすようになりました。勝てる状況を作り出すために、黒川金山より産出する碁石金を掴ませたり、縁戚を手繰って内応を呼びかけるなど、あらゆる手段を駆使して内に調略を仕掛けて参ります。それがしも鑓合わせなら多少の心得があります。実際二度まで甲軍を破りました。しかし砥石城攻めの失敗を契機に、晴信の戦い方が慎重になりました。調略に加えて晴信は
義清は肩を落としながら、最後はぼそぼそと声の調子を落として
義清は
(
と声を大にして叫びたいほどであった。
景虎は義清から聴取した晴信の戦い方を評して
「晴信は戦わずして勝つことを心懸けている、ということですな」
と言った後、独り言のように
「孫子か」
と呟いた。義清はなんのことか分からず
「はあ・・・・・・」
と生返事をした。
「晴信の戦い方は孫子を実践している、と申し上げました」
「あ、ああ。孫子ですか。耳慣れぬ名前で分かりませんでした。
「そうです。その孫子です。晴信はその戦い方を心懸けておるようです」
そう聞いて義清は
知らない名前ではないが、兵法書といえば「三略」や「司馬法」が著名で人口に
「孫子か何かは知りませんが、兎に角
「とどのつまり、義清殿は甲相駿の同盟に恐れをなした、ということですな」
景虎の言葉は
「よく分かりました義清殿。北信を武田に奪われたことは当家にとっても唇滅びて歯寒しのたとえどおりで、捨て置けません。越後の精兵をお貸しするので、早速旧領回復の兵を起こされよ」
と約したのであった。
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