第二章(鉄炮と老将)‐三

 横田備中は自分が相手を馬鹿にしたような声を上げてしまったことに少なからぬ罪悪感を覚えたので、憮然とした表情を幾分緩めたが、そのこたえは

「あいにくだがそれがしは貴殿に教示できるような心構えとか駆け引きの妙などとううものは持ちあわせておらん。そもそも貴殿の兄飯冨兵部少輔虎昌殿といえば家中に並ぶ者のない武威の人ではないか。その飯冨兵部殿を差し置いて、それがしが今更何を申すことがあろう」

 という、突き放したものであった。

 源四郎は真っ直ぐに横田を見ながら言った。

「兄はそれがしが鑓働きで名を挙げることを端から諦めております。そもそもそれがしが館へ出仕しておりますのは、それがしのような非力の者が戦場に出ても敵に討たれるのは目に見えておるゆえ、兄が御屋形様の近習としてそれがしを推挙したからでございます。深く本陣にあれば、よほどのことがない限り敵に討たれることはあるまい、という兄の心根です」

 そう聞いて横田備中は源四郎のことを哀れに思った。兄からも鑓働きで手柄を上げることを期待されてはいないのだ。

 なので

「左様か。それは気の毒であるな。それでは教えて進ぜよう。申したようにそれがしには特別な心構えも駆け引きの妙もない。そういったものは貴殿の兄上か勘助殿にでもお訊ね申すが良い。御屋形様に直接教えを請うてもよろしかろう。

 それがしが心懸けておることはただ一つ、幾年齢を重ねても、また何度芝を踏んでも、出陣のたびことに初陣と思い定め、予め勝つための算段を尽くして戦いに臨むことだ。それは一朝にしては成らん。常日頃の鍛錬だ。それがしもこの歳に至って鍛錬を欠かしたことはない」

 と自らの存念を源四郎に告げた。

 聞いた源四郎は少しがっかりしたような表情を浮かべた。晴信や勘助に口やかましく鍛錬に励めと叱咤されている内容と何ら変わりがないからだろう。老将は源四郎の心中見透かしたように

「鍛錬は重要だ。斬られるのは痛いし人を斬るのはもっと苦痛を伴うぞ」

 と言った。

 源四郎は怪訝そうな表情を浮かべながら

「斬られるのは痛いという話は分かります。斬るにも苦痛を伴うものなのでしょうか」

 と問うと、横田は

「敵の肉を切り骨を断つ感触が、鑓の柄から直接この手に伝わってくるのだ。気持ちの良いものではない。加えて相手の断末魔を間近に聞くのだ。その、恨みや哀しみ、怒りの籠もった叫び声と言ったらない。大抵の者はこの断末魔に我を喪って、自分が死地にいることを忘れ討たれるのだ。数多あまたの武士が戦場で命を落とすのはこのためだ。もし貴殿が武辺を志すのであれば、当然敵に斬られている場合ではない。そして人を斬っても平然、我を喪わぬように心懸けねばならん。そのための鍛錬と心得よ」

 源四郎は少し考えるふうを示した。横田の言葉を肚に落とそうと、頭の中で反芻している様子であった。

(まあ、すぐには分かるまい)

 横田がそう思って騎乗しようとあぶみに足を掛けると、源四郎は我に返った様子で

「一つ、教えて下され」

 と横田を再び呼び止めた。そして

「備中殿はさきほど、常に勝つための算段を尽くして戦に臨むと仰せでした。しかし我等軍役衆、常に勝てる戦を命じられるわけではございません」

 と問うた。

「如何にも。貴殿の言うとおりだ。不条理な戦に駆り出されることもあろう。武士の定めである」

「そのようなお立場に置かれた場合、横田備中守殿であれば如何に身を処しますか」

「ふむ・・・・・・」

 横田は少し考え込んだ。口で言うは易いが、いざそういった立場に自分が置かれたときのことを考えると言葉は流暢ではなかった。

「左様、それがしであれば・・・・・・」

 口を開くと

「やはり先ほど陳べたように振る舞うであろう。常に鍛錬を欠かさず勝つ算段を尽くしておれば、負けが見えておる戦であっても容易に陣が崩れたつことはないものだ。自然死闘となり、負け戦を命じた主に対しては死を賭した諫言となろう」

 と続けた。

 源四郎は横田の言葉が肚に落ちたように

「お言葉、肝に銘じます」

 と頭を下げた。

「さあ、館へ返されよ。御屋形様に叱られるぞ」

 横田は躑躅ヶ崎館へ引き返してゆく源四郎昌景の後ろ姿をしばらく見送ったのであった。

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