第一章(於福入輿)‐二

 上原城は武田の使者と称する醜男の来訪を受けていた。城中では相変わらず満隣や麻績未亡人、その他近臣による於福説得が飽くことなく続けられていたが、彼女が心変わりすることはなかった。そこへ現れたのが勘助である。武辺一辺倒にしか思われない使者の来訪に接し、諏方家中は

「すわ、力尽くで姫をかどわかしに参ったか」

 と一同身構えたが、勘助は武具の一切を諏方衆に預けて単身於福との面会を希望した。於福は、武田の使者が単身しかも丸腰で面会を望んでいると聞いて心中期するものがあった。懐に忍ばせた短刀で使者を傷つけるか殺すかして、自らも喉を突き死ぬつもりなのである。上座にて勘助を睥睨へいげいする姫の視線は、さながら芝において敵首を狙う武者のそれであった。

 勘助は姫の殺意に気付かぬふうを示しながら、晴信からの御諚として口上を陳べ始めた。すると姫はやにわに懐から短刀を取り出し、勘助に振り下ろしてかかってきた。勘助は座したまま短刀を振り下ろす於福の右手首を右手で払うと、伸びた於福の右腕に自らの左腕を絡ませそのまま下方へと引き落とした。於福の振り下ろした短刀は畳に深々と刺さり、彼女は突っ伏して倒れ込んだ。勘助は

「流石は頼重様の遺児であらせられる。しかしながら脇差とはそのように逆手に持って振り下ろすものではございません。もし相手を本気で仕留めようというのなら、急所めがけて最短距離で突き出すように使うものでございます」

 自身の左胸の辺りを指差しながら言い、続けて

「御父上の仇を討たれるのが本懐か」

 と姫に問うた。於福は、「知れたこと」と吐き捨てるようにこたえた。

「ならば御屋形様の許に輿入れなされよ。それがしが太刀さばきを指南して差し上げるゆえ、仇討ちでも何でも好きになさるが良い」

「我が身欲しさにいい加減なことを申すでない」

「それがしは本気でござる。実はそれがし、桑原包囲の際に頼重様に降伏を勧める使者を務め申した。それがしは御屋形様の御諚として頼重様、頼高様に御身の安全を保障する旨お伝え申し、開城を引き出したのでございます」

 勘助が滔々とうとうと語り出した桑原開城の経緯に、さすが激情を以て鳴る姫も黙って耳を傾けた。勘助は続けた。

「しかし親方様はその約束を反故にして御両名に切腹を申し付けられた。果てはそれがしが手柄欲しさにその場限りの虚言を弄して頼重様を騙したのだなどと家中で噂され後ろ指を指される始末。御屋形様からのかばい立てもござらぬ。かように思うところがあって御屋形様・・・・・・、いやさ晴信を討ち果たさんと密かに思い詰めておりましたが、宿願を達するには身辺の警護が固く容易に抜けそうにない。好機があるとすれば」

 しとねの中だけ、と勘助が言い終わらぬうちに、於福は畳に刺さった短刀を抜き

「分かりました。では早速手練てだれの技を教えてたもれ」

 そう言って、仇討ちの本懐を遂げるのと引き替えに、遂に婚姻を受諾してのであった。

 

 両家諸衆が喜んだという諏方御料人輿入れは盛大に執り行われた。その中で独り、勘助だけは笑みを含むことなく終始青い顔をして酒を飲んでいた。

 入輿受諾からこの日まで、勘助は於福に脇差の扱い方を懇切に教え込んでいた。そうでもしなければ彼女は決して騙されなかっただろうからだ。於福は本懐を果たすべく勘助について必死に修練を重ね、あれほど嫌がっていた輿入れを待ちわびるまでに自信をつけていた。勘助には、於福がこれだけの修練を積んでもなお晴信を仕留めることが出来ないであろうという確信があった。自ら鑓を振るって陣頭に立つような戦い方をする晴信ではなかったが、武門に生まれた男子としてひととおりの修練は積んでいるはずであった。付け焼き刃の於福が仕留められる相手ではないはずだ。だが万に一つということも考えられるし、第一褥にて脇差を振るったとあれば入輿説得に当たった自分が責任を問われることは間違いないことであった。

 いずれにしても腹を切らなければならないだろう。仕官が叶った日から、晴信のためなら命を棄てても構わないと覚悟を決めていた勘助であったが、この命も今宵までと思い定めたその晩は、さすがに人目も憚らず痛飲したのであった。

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