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    終章(八)への応援コメント

    信玄最後の出撃に対しても軍資金が足らず、
    未亡人にまで臨時の課税をしたとされる説があります。
    諸説ありますが、信玄最後の三河攻防戦の途中から
    武田軍の動きが急速に鈍ったのは、
    軍資金の問題があったからとも言われていますね。
    城攻めには火器が重要ですが、弾薬が枯渇した
    との説も有力視されているそうです。

    歴史研究家の視点ではあまり重視されていませんが、
    当時の武田家やその同盟国からでは得られない
    軍事物資も多く、それらの物資の多くは
    織田徳川の領土経由でなければ入手が難しい…。

    商業資本も上方の織田領よりは大幅に遅れ、
    それからの税収も少ない…。
    長期の侵攻作戦など、客観的に見れば無謀では?
    信玄自身がかなり追い詰められての賭けだった様に
    思えてなりません。

    彼は経済感覚が信長に比べて大きく劣っており、
    仮にあそこで死んでいなくても、
    さほど先は長くなかった様に思います。

    作者からの返信

    読んでいただきありがとうございます。
    武田家が西上作戦敢行に際してかき集めた軍資金は7千両ともいわれており、1両は4貫に換算されるそうですから2万8000貫が投入されたということになります。
    京目、田舎目の違いもありますが、仮に一貫=8万円を適用した場合、西上作戦に費やされた軍資金は22億円以上。一見すると大した額には見えませんが、現代とは比較にならないほどGDPが低かったことを考え合わせると、当時の武田家の身の丈を超える巨費が投じられたことは間違いありません。西上作戦はまさに武田家の前途をかけた一大プロジェクトだったのです。
    参考までに正親町天皇譲位式典には1万貫(約8億円)かかったそうです。今上天皇の即位費は寡聞にして知りませんが、8億じゃきかないことだけは確かですよね。
    また上洛したらしたで朝廷がそこにある限り対朝廷費用が際限なく必要になります。信長ですら出費を逡巡した対朝廷費用を武田家が賄えたとも思えず、たとえ上洛できたとしても天下を維持できたとは思えません。以上の事情を頭では理解できていても、やはり「信玄上洛」というワードには夢を感じてしまうのです。
    上洛を果たすことがなく、したがって武田家による京畿経営の破綻を目にすることもなく、夢の途上で亡くなった信玄公はある意味幸せだったのかもしれません(まあ、そのぶん勝頼にしわ寄せがいくわけですが)。