第14話「忍び寄る、何か」

 夜の9時を前に、外崎正重トノサキマサシゲは閉店準備を始めていた。

 勿論もちろん、ギリギリまで客を待つ。この時間は、酒を楽しむ大人達にとっては、いわゆる『よいくち』に過ぎない。それに、こんな時間になってやっと家路いえじにつく勤め人がいることも知っている。

 駆け込みで酒を求める客は、毎日数人はこの時間帯に訪れるのだ。


「うおーい! マサくーん、こっち来て飲もーよぉ……おねーちゃんの相手、してよぉ」


 自宅からは姉の外崎涼華トノサキリョウカが呼んでいる。

 あっちはすでに、『えんたけなわ』というやつだ。

 しかも、一人で勝手に盛り上がった末にである。

 焼酎しょうちゅう一升瓶いっしょうびんを抱き締め、彼女は濡れた瞳をうるませていた。


「だから姉貴、俺は飲めないって」

「じゃー、おしゃくしてぇ……いっつも思うけどさ、何で飲まないのぉ? あたしが若い頃はぁ」

「姉貴、武勇伝ぶゆうでんちょっとウザい。ちょっと待ってよ、閉めたら行くから」

「お酌してー! お姫様扱いしてぇー! ついでに一緒に飲んじゃってよぉー!」

「酒を売ってる人間が、お酒の法律破っちゃ本末転倒ほんまつてんとうでしょって……ん?」


 その時、店の扉が開いた。

 少しかしいだ音がガタピシと響いて、客がやってきた。


「いらっしゃいませ」


 レジの前に戻って、正重はふと奇妙な違和感を感じた。

 四十代前半くらいのスーツの男は、商社マンだろうか? 気味が悪いくらいに服装が整っている。おだやかな顔つきだが、なでつけた黒光りする髪に、細い目……少し薄気味悪うすきみわるいと思って、申し訳なく感じた。

 その背後には、染井吉乃ソメイヨシノや姉と同年代だろうか? やはりスーツの女性。

 恋人同士には見えないし、仕事の同僚だろう。

 キョロキョロと周囲を見渡す女性は、どこか呑気のんきな笑顔を浮かべた。


「わあ、感じいいですね……下町の酒屋さんって感じで」

「……店内、清潔感を感じますが、完璧に清潔とは言いがたいですね。48点」

「あの、部長?」

野原ノハラ君、適当に買い物を。別に何でも構いませんので」


 女性を野原と呼んだ男は、やはり上司のようだ。

 一見して温和な紳士に見えるのに、その細められた瞳から値踏ねぶみするような視線が放たれる。正重は、見えないそれがサーチライトのように店内を走って、最後に自分を撫でてゆくのを感じた。

 変な寒々しさが背筋を這い上がる。


「ふむ、接客に問題はないですが、高レベルとは言えません。32点」


 正直、ムッとした。

 だが、客は客だ。

 殿様商売とのさましょうばいをするつもりはないし、正直客を選べない経済状況でもある。そして、店を開いているからには、客を選ぶような仕事はしたくなかった。


「部長ぉ! ビールでいいですかあ? あ、凄い。外国のも少しある。へえ、ベルギーのビールだ」

「野原君、無駄口が多いですよ。ふむ……間取りはこのままでいいとして」

「おお! 駄菓子だがし……じゅるり。ハムカツ屋さんは鉄板ですよねー、あとは……甘いもの! !」


 本当に奇妙な客だった。

 そして、その違和感の正体に正重は気付いた。

 気付いたというよりは、勘付かんづいた。全くの直感で、言葉に出来ない何かが感じ取ったのだ。男の背中を見詰めて、その確信を深めてゆく。

 この二人は、

 少なくとも、部長と呼ばれている男は買い物をするつもりはないらしい。

 いな……酒は買うつもりがないだけで、ずっと店自体の評価をつぶやいている。

 しかも、かなり辛口からくちだ。


「そろそろいいですか? 野原君」

「あ、はーい!」

「因みにそれ、経費で落ちませんから。……おや?」

「あっ、部長はビール、お嫌いでしたかあ?」

「ほう、ペールエールですか。なかなか……しかし、冷え過ぎていますね。27点」

「なんか、デザインがかわいいので買っちゃいました!」


 両手いっぱいにお酒とお菓子を抱えて、野原君と呼ばれている女性がレジにやってくる。

 ペールエールというのは、平たく言えばビールのたぐい、ビールとの違いをわからず買って飲む者が日本では大半だろう。それに、あまり売れ筋ではない。だが、国産ビールの銘柄めいがらを一通りそろえつつ、正重は一種類ずつペールエールやレッドエール、ダークエールなんかを置いている。

 言われるまでもなく、本当なら冷蔵庫を分けたい。

 喉越のどごしが自慢の国産ビールは、ギンギンに冷えている方が好まれる。だが、エールは冷やし過ぎずに味わいを楽しむのも大事だからだ。

 だが、そんなことは口には出さず、だまって正重はバーコードを読み取る。


「あっ、こ、これも! これもお願いします!」


 野原君とやらは、レジの横に積まれた一口サイズのチョコレートも追加してきた。本当に甘いもので酒を飲むらしい。

 その間ずっと、例の男は店内を歩いていた。

 品定しなさだめするようなその巡回は、おおよそ無駄と思える行動が一切ない。

 時間をかけてゆっくり、彼は一巡して全てのたなを確認したようだった。


「お会計、1,864円になります」

「あ、はいっ! えっと……あれ? 千円札が……あ、そっか。ごめんなさい、クレカって使えますかあ?」

「あー、ごめんなさい。クレジットカードの決済、導入してないんですよ。すみません」


 いつでもニコニコ現金払い、それがリカーショップトノサキだ。クレジットカードが使えれば便利だし、便利に越したことはない。だが、導入するコストに二の足を踏んでしまう。そして、この店の顧客層はカードで買い物をする人間が皆無かいむだった。

 そうこうしていると、例の男が「……11点」と呟きながらやってくる。

 彼はスーツの内ポケットから、黒光りする財布を取り出した。

 千円札を2枚と、14円の小銭を出す。

 一瞬戸惑とまどったが、正重はそのままPOSポスレジに打ち込んだ。


「ありがとうございます、150円のお返しになります」

「ふむ……ま、いいでしょう。なかなかの店舗です。立地も悪くない」

「ど、どうも……あの」

「さ、野原君。行きますよ……一度社に戻ります」


 なんと、これから仕事なのだろうか。露骨ろこつに嫌そうな顔をした部下を連れて、その男は行ってしまった。もう一度「ありがとうございました!」と正重はその背に頭を下げる。

 この時はまだ、気付かなかった……これが、危機との遭遇、ファーストコンタクトだったということを。

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