年上の新人は社畜さん
ながやん
第1話「プロローグ」
ここは商店街の喫茶店、
目の前には、緊張した
美人だ。
地味だが、とても綺麗な人である。
年は履歴書に、24歳と書いてあるから、6歳も年上だ。彼女が落ち着かない様子なのも、自分が若過ぎるからだと正重は思った。
(へえ、東大出てる……で、就職して……一年で
チラリと顔を見たら、彼女と目が合った。
すぐに
長い黒髪を腰まで
それなのに、モノクロームに沈んだその姿が、とても美しかった。
だが、仕事は容姿でするものではない。
意を決して、正重は口を開く。
「えっと、ハローワークさんから聞いてると思うんですけど……
「は、はひっ! ……え、えと、履歴書に……
「あ、そっか……すんません、書いてました」
履歴書にちゃんと、日商簿記一級と書いてある。
不自然な空白の一年が気になって、見るのがおろそかになってたらしい。
他にも、情報処理
フムと
正直、面接なんてどうやっていいかわからない。
高校入学の時に受けたっきりだし、この春は大学に進学しなかったから。
「えっと、じゃあ……
「は、はい……その、すみません」
「あ、いや、なんかおめでたいなって。あ! それも失礼か。ごめん」
「いえ……すみません」
小さな声が自信のなさを押し出してしまっている。
中高とどっぷり
声が出ないのではない、出せないのだ。
そういう選手はすぐに、脱落していった。
だが、今の正重が彼女に……吉乃に求めるのは、経理と事務の能力である。
「とりあえず、うちは小さな酒屋、リカーショップです。ただ、取引先が意外と多いから、帳簿管理と雑務全般をやりつつ、店番をしてくれる人を探してる。あ、一応俺が副社長ね」
「はい」
「それで……何か聞きたいこと、あります?」
自分からは、空白の一年の話を聞くつもりだった。
先に質問を
そう思っていると、彼女はビジネス
テーブルの上に置かれた、それはハローワークの
「あ、あの」
「何か、求人内容に不明な点でもありましたか? ……結構単純なことなんですけどね」
東大卒のバリバリのエリートが、小さな酒屋で経理と事務……妙にミスマッチだ。
だが、彼女は給与のことには全く触れてこなかった。
「こ、これ……えと、その」
「ああ、週休二日です。土日ばっかりって訳にはいかないですけどね」
「その……週休二日って、何ですか?」
空気が固まった。
カップを磨くフリをして聞き耳を立てていた、知り合いのマスターも固まってしまう。
店内には他に客はなく、静かに有線放送でジャズが流れている。
沈黙の中、サッチモことルイ・アームストロングの歌声が響いていた。
「あー……えっと、週休二日ってのは。あ! 確か、そうだったな」
そう言えば、少し聞いたことがある。
求人票に週休二日と書いても、毎週二日間の休日を与えない企業があるという。そしてそれは、ハローワーク側から見ればグレーゾーンとすることが多いらしい。
週休二日と書いて、毎週は週休二日じゃない。
本当はそこは、完全週休二日制と書くべきだったのだ。
失念していたので、正重は正直に話す。
「毎週、お休みの日が二日あるってことです」
「えっ!? ……あ、あの、毎週ですか?」
「そうですけど……あれ、何かまずいかな」
「……毎月、二日じゃなくてですか?」
今度は正重が「へっ!?」と奇妙な声を出してしまった。
一ヶ月働いて二日しか休みがなかったら、死んでしまう。
だが、彼女は他にも求人票を指差して小声で話す。
「毎週二日も休んで、その上……こ、こっ、ここに……」
「ああ、
「……え? 残業代、出るんですかっ!?」
「ええ、そのつもりですけど」
「残業代が出るボーダーライン、何百時間までですか? ……まさか、全時間……ですか?」
「いやいや、何百時間も残業するような店じゃないですけど」
正重は
そして、驚いた。
その時、信じられないといった顔をしていた吉乃が、笑った。
まるで、神の祝福を受けた幼子のように、ぱああ、と笑顔になった。
とても愛らしい、天使か女神のような顔だった。
「あ、あの! 私、こういったサービス業や小売業は初めて、でも、あの!」
「は、はあ……」
「一生懸命やらせて頂きます! 裏帳簿とかも作れるので、もう何でも言ってもらえれば」
「あ、そゆのはいいです……
「はいっ! ……あ、その、すみません。つい」
改めて正重は、履歴書を見た。
去年、まるまる一年の空白。
そして、その前は大学卒業と同時に日本一有名な大企業に入社している。で、一年で辞めている。
何かの人間関係のトラブルか?
小動物のような吉乃の第一印象に、ネガティブなものはなかった。
「……ま、わかった。明日からこれますか?」
「は、はいっ! ありがとうございまびゅ!」
また、
そして、真っ赤になって吉乃は俯いてしまう。
白い肌に黒い髪、彩りのない彼女が初めて色付いた。
「よ、よろしくお願いいたします……私、頑張ります!」
「ん、まあ、あんまし
「えっ……交通費? それ、何ですか?」
「いや、だから通勤時の交通費。バス代とか電車代とか。深夜までの残業になっちゃったらタクシー代出すから……あの? 染井さん?」
吉乃は固まったまま、何度も
これが、リカーショップトノサキの新たな社員……年上の新人、染井吉乃との出会いだった。
そして、正重は後に知ることになる。
彼女を通じて、
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