梅神吾郎の憂鬱
音水薫
第1話
画家が家に帰ったとき、部屋にはすでに見知らぬ男がいて、枝だけになった庭の落葉樹を眺めながら休んでいた。展覧会に出す絵が描けなくて苛立っていた画家が男を追い出そうとすると、「面白い話を聞かせてあげましょう。それで絵本を作るといい」と男は言った。絵本は自分の分野ではない、と画家は思っていたが、かねてから憧れであった、自分だけの「絵のない絵本」を作るのも悪くない、と思ってノートと鉛筆を用意して男の話を聞いた。
ある年の四月上旬、愛媛県にある新居浜高専に入学した梅神吾郎は香川からひとり、高専の学生寮に引っ越してきました。香川にも詫間高専があったのですが、吾郎の家はどちらかといえば愛媛県寄りだったので、新居浜高専に行くことを選んだのでした。同じような選択をした友人が何人かいたので、吾郎は新生活にあまり不安を感じていませんでした。
引っ越してきた初日、吾郎は学生寮を管理している老夫婦に挨拶に行きました。
「梅神吾郎です」
吾郎がそう自己紹介すると、
「嘘おっしゃい!」とお婆さんは怒り出しました。
「滝の宮公園の梅は三月にもう咲いちまったよ!」というのです。なんということでしょう。お婆さんは吾郎の自己紹介を自己紹介だとは思わなかったようです。梅の見頃は四月まであるはずでしたが、温暖な気候の愛媛県では四月の頭にはもう梅は散っていました。なんと間の悪いことでしょう。吾郎は困り果ててしまいました。このままだと僕は選挙に出馬することができないぞ。だって、街頭演説で名乗っただけで嘘つき呼ばわりされてしまうのだから、と頭を悩ませていた吾郎は妙案を思いつきました。
「そうだ。梅の季節に自己紹介すればいいのだ」
吾郎は早速その案を実行するため、三月を待ちました。
二月末、吾郎が国領川の河川敷を散歩していると、梅の花が白いつぼみをつけていました。梅は滝の宮公園にしか咲いていないと思っていた彼はその発見を喜びました。夏は四国最大級の花火大会が開かれ、秋は高専文化祭の会場となり、秋には「いもたき」が行われた、一年の思い出がつまった場所で梅が見られるなんて、と思った吾郎はその梅の開花をきっかけに、今度こそお婆さんに自己紹介するぞと決心しました。
そして三月中旬、国領川の梅が満開になりました。吾郎は老夫婦の部屋を訪ね、「梅神吾郎です」と自己紹介をしました。するとお婆さんは、「そうだねえ。梅が見頃だ。わざわざありがとう。あした、花見にでも行こうかねえ」と言いました。
「滝の宮公園より、国領川のほうがいいですよ」と吾郎が教えると、「歩いて行くにはいい距離だ」とお婆さんは嬉しそうでした。またも吾郎の自己紹介は失敗に終わったのですが、お婆さんが喜んでくれたことに気をよくした吾郎は高専に在籍していた五年と専攻科にいた二年の、合わせて七年間、毎年欠かさずに老夫婦の部屋を訪ね、「梅神吾郎です」と自己紹介に行きました。
最初は喜んでいたお婆さんでしたが、梅の知らせだけを持ってくる吾郎を不審に思い、お爺さんに相談しました。しかし、「そいつは高専生なんだろう? それくらい変わっていてもおかしいことはないだろう」と相手にしてくれませんでした。お婆さんは、今年もまたあの男が梅の知らせだけを持ってくるのではないだろうか、と怯えていました。
案の定、三月中旬になると吾郎はやってきて、「梅神吾郎です」と自己紹介しました。
「あんた、なんでこんなことをするんだい」とお婆さんが怒鳴ると、吾郎は困ってしまいました。自分でもなぜそんなことをしていたかを忘れてしまったのです。そして、高専の卒業と就職をきっかけに四国から引越し、七年間続けていた自己紹介をやめてしまいました。
翌年、お婆さんは吾郎の来訪を怯えながら待っていましたが、彼が来ないまま四月を迎えると安堵のため息をつきました。しかし、さらに翌年も吾郎が来ないと、あの男はどうしたのだろう、と考えるようになりました。お婆さんにとって、吾郎の自己紹介は春の風物詩として定着していたので、彼が来なくなると途端に寂しく感じられるのでした。
そして、ついにお婆さんは吾郎を探しに行くことに決めました。しかし、お婆さんはもうほとんど目が見えなくなっていたので、吾郎の姿を見ることはできませんでした。ですから、出会う人出会う人に「梅は見頃ですか?」と尋ねて歩きました。近所の人はお婆さんを不審に思い、彼女を避けるようになりました。もちろん高専は、そんなお婆さんに寮の管理を任せてはおけない、とお婆さんを追い出しました。お婆さんは病気になって倒れてしまうまで、吾郎を探し続けました。倒れたお婆さんは河川敷近くの労災病院に運ばれました。
そして、ベッドで目を覚ましたとき、看護師さんがお婆さんに「梅が見頃ですよ」と言って病室の窓を開けました。国領川の河川敷に咲く満開の梅の香りが病室にまで漂ってきました。すると、お婆さんは「それはよかった。明日は花見かねえ」と言って笑顔のまま息を引き取りました。
話が終わったとき、画家はふと何かに気がついたようだった。
「梅神吾郎ですか?」
すると男はにやりと笑い、窓の外を指差して「梅が見頃だよ」と言った。そのことばにつられた画家が外を見ると、庭の落葉樹には見事な梅の花が咲き誇っていた。画家が男の話に夢中になっている間に冬が終わり、春が訪れていたのだった。
「これだ」と思った画家は急いでその梅をキャンバスに描き写した。彼が絵を書き終えたとき、男はすでに部屋からいなくなっていた。画家はその梅の絵に「梅神吾郎」というタイトルをつけ、展覧会に出した。
ところで、話はここからがらりと変わります。美術館を訪れた批評家の集団は絵描きが描いた「梅神吾朗」を見て、鼻で笑いました。ただのダジャレじゃないか、くだらんことをするやつもいたものだ、と。そこに杖をついた薄汚い男が現れ、「梅が見頃だ」と呟きました。すると、批評家たちはこの絵がなんとなくよく見え始めてしまいました。タイトルこそダジャレだが、絵はなかなかいいんじゃないかね、生命の息吹を感じるよ、と口々に褒め、どこからか梅の香りさえしてくるような気がしてきました。梅を見ながら酒を飲むのも乙なものだ、と美術館の廊下で批評家たちは花見を始めました。その宴会は展覧会が終わってからも続き、しまいには批評家たちはアルコール中毒をこじらせてぞくぞくと死んでいきました。困った美術館の職員たちは「作者は自殺したというし、気味が悪いから捨ててしまおう」と梅の絵を処分しました。ですから、この梅の絵の行方を知る者は誰もいません。
梅神吾郎の憂鬱 音水薫 @k-otomiju
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