名もなき騎士の讃歌

メアリー

第1話 ミュラカー平原の戦い


 

「王子の首だ!!!!!」


 蒼天より矢の如く突き刺す光。鮮血に染まる草原。戦いは終わった。若き黄金の髪を持つ首は血の雨を降らせながら天へと掲げられ、斬首したわずか十六歳の少年は、涼しげな顔でそれを見上げていた。


「オルリアンの勝利だ!」



狂気に満ちた歓声は空高く響く。山を超えて遥か遠く。風よりも早く。雲よりも高く。


(古オルレアン伝記より抜粋)





「今日の戦いは最高だった。」

「ああ!」


 ここはオルリアンの兵士塔。古い石造りの壁からは光が漏れ、真夜中なのに明るかった。木製テーブルに並んだ不味そうな牛肉、酸化したワイン、カビ臭いチーズに固いパン。

蝋燭は時折揺れて、灰色の煙が飛んでは消えた。歌う者、トランプをする者、片隅でゆっくりと語らう者、兵士は大勢いた。その中で一際目立つ大きな木彫りの椅子に座っていたのが今日の戦いを指揮した将軍だった。黒い髪を束ねた2メートルはあろう大男。髭をたくわえた中年の男は将軍にふさわしい風貌をかもしだしていた。

彼の周りには多くの騎士が集っている。出世を狙うオルリアンの騎士にとって将軍の機嫌を取るのは常識だ。


「将軍、勝利の瞬間の話を聞かせてください!」

「おお。ぜひとも。」


 将軍はワインの入ったグラスをテーブルに置いた。


「聞いてくれることはありがたい。しかし、私だけで英雄気取りはできぬな。今日の勝利は二人のものだ。来なさい、リオ。」



 そこにいたのは一人の容姿端麗な少年。艶のある茶髪を軽く耳にかけ、髪と同じ色の瞳はアーモンドのように切れ長で、鼻筋が通り、口はまだ子供のようにピンク色をしていた。それとは対照的に、背は高く体は鍛練されガッチリとしている。どこかまだあどけなさが残る反面、奇妙な落ち着きを見せる影のある少年。見る者は皆、彼を知っているようだ。どこか尊敬と一方で僻みの眼差しで彼を見ていた。何を隠そう彼こそが今日王子を殺し、斬首した16歳の少年だった。将軍は笑いながらリオの肩を叩いた。


「リオ。お前は私の命の恩人だ。」


 リオはニッコリと笑い軽くお辞儀をした。目は笑っていなかった。そんなリオの肩に大きく硬い手を置くと将軍はしゃべりだした。


「私は斬られる寸前だった。あの恐ろしく腕の立つ王子に。その時だ!リオは私を守り、王子の剣をかわし、一撃をくらわせたのだ!お前達、この歴史的瞬間、私は体が震えたよ。」


話は大いに盛り上がった。少年は顔色ひとつ変えず、時折ニコニコしながら将軍を見ていた。

夜は更けていく。この世界では今、喜びがあると必ず悲しみがあった。そのすべてを包み込むような夜。月は出ていない。しかし十分だ。今日照らし出すものは、平原に横たわる氷のように冷たい永遠の眠りについた人々なのだから。



少年の名前はリオ・ウィルクリブ。

大国オルリアンに住む、16歳の少年。

この話はアストルダム王国の図書館にある1番古びた本の物語。それが真実か嘘かは誰にも分からない。けれども図書館の創設者アナスタシアがその本を1番大切にしていたということだけは唯一の事実である古の物語。




「エドワード、寝た?」


 祝宴も終わり、リオと友人のエドワードが眠りにつこうとしていた。外は真っ暗だが刻々と日の出の時間に迫っていた。

2人が寝ていたのは貴族しか使えない宿舎の一室。石の壁でできている簡素な室内には小さな天蓋ベットが二つあるだけ。天蓋の布は所々破れており、蝋燭はとっくに無くなっていた。埃臭い赤いベルベットのカーテンは風に揺れていた。


「・・・・。起きてるよ。リオ。」


 リオはエドワードのベッドとは反対方向を向いていた。


「首を切り落としたのは初めてだった。」


 リオは小さな声で言った。その言葉に、エドワードは少し気持ち悪くなった。彼は人を斬るのも、血を見るのも苦手だった。

 エドワードはリオの方を向いた。

 するとリオは起き上がりながら、


「ちょっと頭冷やしてくる・・・。」


 そう言って部屋を出て行ってしまった。エドワードの体は鉛のように重くなって今にも眠りの沼の底に落ちそうだった。


 戻ってきたリオの前髪は少しだけ濡れていた。エドワードはリオの暗い影を追っていたが、それが見えなくなるといよいよ目をつぶってしまった。


リオは部屋のバルコニーへと出た。頭の中は興奮状態なのに体は疲労感で今にも崩れ落ちそうだ。十五歳から戦争に出て、今日で8回目。いつも戦いの後に遅れてやってくるこの感覚。城の庭は静まり返っているが、リオの耳には今日の戦いの音がこびりついていた。そして王子の言葉も。



 ―平和を託す!―



 自分を見つめ、刃のように突き刺さる鋭くとがった青い瞳。綺麗だった。まるで清らかな水のように澄んでいた。


「平和。」


 


 リオが無意識に呟いた時、人の気配を感じてその方向を見た。隣の塔のバルコニーに人影があった。リオは自分の目を疑った。女性だ。赤ん坊を抱いている。長い髪をなびかせて空を飛ぶ船のようにやさしく揺れていた。かすかに聞こえるのは赤ん坊の泣き声。彼女はあやすように声をかけている。しかし女性はリオの気配に気づくと隠れるように中に入ってしまった。その塔は、貴族の罪人を監禁する塔。リオの心臓はキュッと締め付けられた。―まさか― もうすぐ日の出だ。東の空が明るくなってきていた。鳥の鳴き声が聞こえ始め、新しい1日が始まる。リオは嫌な予感が消えないまま部屋の中に入るとベッドに倒れ、気絶するように深い眠りについた。






正午。



 オルリアン城の中央にある玉座の間。多くの兵士が集まっていて騒音を奏でていた。酒臭かった。巨大な広間には象の足のような石柱が左右対称に並び、複雑かつ立派であるが悪趣味な装飾。飾れば飾るほどいい。それがオルリアンの美学だった。確かにどれも手の込んだものばかりだが、古めかしさしか伝わってこない。一際目立つのが巨大なオルリアンの国旗。濃緑の茨が一本の剣に巻きつく青い旗。その青は深海のように青く、オルリアンブルーと呼ばれていた。恐ろしく美しかった。その下には第十九代オルリアン王と女王が白い大理石にありったけの宝石の装飾を施された椅子に座っていた。王はなんとも滑稽な顔をしていた。赤みがかった頬に、大きな鼻。細い目に長いまつ毛。髭か少し薄いのにそれを隠すように伸ばし、頭の上にはダイアやサファイアが散りばめられた黄金の冠が乗っていた。対照的に女王は漆黒のドレスに身を包み、キリッとした目と鼻筋が通った美しい女性だった。


王は言った。


「ゴルディナ将軍、大儀であった。」


 顔に似合わない高い声はすごく頼りなく聞こえた。王の言葉に将軍は一礼した。


王は続けた。


「そして若き騎士、リオ・ウィルクリブよ。」


 将軍の隣にいたのはリオだった。


エドワードとリオのもう一人の友達であるデルタは兵士の中にまぎれ、つま先立ちをしてなんとかリオが見える場所にいた。


「さすが、リオだな。」

「そうだね。」


 貴族のエドワードとは違い、デルタは城下町に住む平民だった。母親と2人暮らしで、裕福とは言えない生活をしていた。訓練でリオとエドワードと知り合い、3人は意気投合し、今では何でも話せる仲だった。



再び王がしゃべりだした。


「そなたのような若者が活躍してくれてうれしく思う。これからを期待しよう。」


 当然だ。リオ・ウィルクリブだって?あたりにはそんな空気が流れていた。たった十六歳のリオ・ウィルクリブの名を知らない者はこのオルリアンには誰もいなかった。


突然王が顔色を変えた。そして女王を見ながら言った。



「次の問題だ。」


 リオと将軍は急いで下がった。兵士達はざわついた。一番奥の重厚な扉が唸り声のような音とともに開いた。そしてリオは今朝の予想が現実になるのを目の当たりにした。

二人の兵士に連れられた女性。それはリオが塔で見た女性だった。真っ白な長い髪、大きな緑色の瞳。オルレアン国のものではないドレス。あの斬新な色を使う国はただひとつ、隣国のアストルダム王国。昨日戦った国。彼女の手には鎖がついていた。重苦しい鉄の塊が彼女の自由をうばっていた。彼女の緑色の瞳は何も見ていなかった。


「アリアドネだ!!アストルダムのアリアドネ!!」


「王女ではないか!!」


 昨日自分が殺した王子の妻・・・・・。まだ若いはずなのに真っ白くなってしまった髪、そしてその手に赤ん坊はいない。リオの心臓の鼓動は早まった。


「アストルダム王位継承者アルル王子の処刑は今朝施行され、…。」


 リオの心臓は締め付けられた。赤ん坊は処刑された。士官が読み上げる文章に対して、兵士は誰も聞く耳を持たなかった。本来将軍会議で決めればいいことをなぜ国王は平民まじりの騎士が雑多している全体集会で投げかけたのか。


「死ね!彼女に死を!」


 兵士たちは鞘に入った剣を振り回しながら怒号を飛ばした。大広間にはその声が何重にも児玉していた。



「静まれオルリアンの獅子たちよ!」


 その怒号を止めるかのごとく叫んだのは女王だった。アリアドネは初めて顔を上げた。その顔は憎悪と、失望と、すべての感情が入り混じっていた。


「十分すぎる勝利に、陛下も満足しています。アリアドネは亡き英雄トローン公の姪であり、オルリアンの血が流れている。」


 アリアドネの瞳は急に火のついたように生気を取り戻していた。



「殺してやる。」


アリアドネから出た、言葉だった。

リアにははっきりと、聞こえた。



 兵士たちは黙ったが、実に不満気だった。まるで自分たちの昨日の戦いに泥でもつけてくれたかといわんばかりの空気で広間は満たされた。沈黙の中アリアドネは叫びだした。


「殺してやる!夫と子供を殺した者を!私を殺せ!死してもお前たちを呪い殺してやる!」


アリアドネのその美しさが恐怖を助長させ、兵士たちは静まり返った。


しかし、その沈黙をやぶったのはリオだった。


「おお!あなたは!」


 兵士たちは再びざわつき始めた。女王はリオを見た。アリアドネもリオを見た。リオは大きく息を吸って、それから力いっぱい吐いた。女王がリオに言った。



「続けなさい。」



 リオはできるだけ大きい声を出した。


「私が・・・私が昔毒蛇に噛まれてしまった時、あの・・森で。昔。薬を調合してくれた!そうです!この人に間違いありません!まさかトローン公の姪であられたとは!」


 リオはさすがに自分の顔が火照っているのが分かった。兵士たちは飽きれた顔をしている。さすがの国王もあきれていた。

(おいおい。もうちょっとマシな嘘はないのか?)

 リオはそれでも続けた。

「女王陛下、この方は私の命の恩人です。」

 アリアドネはリオを見た。どこかで見たことのある少年。しかし思い出せない。


「よくぞ申してくれました!」


 押し切ったのは女王だった。兵士達はざわついていた。おそらくこの謎の全体集会は女王の茶番。女王は満足そうにリオを見ていた。兵士たちも半ば諦めていた。

リオはほっとしたようにしゃべるのをやめた。女王の計画とは少し違った流れにはなったが、彼女にとってはアリアドネの命が救われればそれはどうでも良い事であった。


こうしてアリアドネの命は強引にこの世に残される事となり、これが二人の出会いであり、この物語の始まりである。





                

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