第55話

 

『もちー! ほーら、餌よー!』


「きゅっ? きゅっ!」


『……レッス、やめてやれよ』


 レッスを馬車に乗せて3日程経過した。

 草原を走る馬車の中、レッスがもちの前で干し肉をブラブラさせて遊んでいる。

 

 馬車に乗り込んだ当初は『ひえぇ―……あんたってもしかして凄いお坊ちゃまなワケ……?』と謎の突っ込みをしながら気後れしている様子だったが、3日も経てば流石に慣れるらしい。今は随分と寛いだ様子だ。


 今日は天気がいいので、荷台の外、馬車の前方にある御者台に、俺とレッスともちの二人と一匹が仲良く並んでいる。


 もちが干し肉を食べようとすると、レッスが干し肉を持ち上げ、食べられないように上下させている。もちは目の前にある干し肉にありつけず、悔しそうにきゅーきゅー鳴いていた。


『ふふふー……ほーれほーれ』


「きゅーっ!」


『普通に上げろよ、もちが可哀想だろ?』


 穏やかな日差しの中、わいわいと話している時だった。


『……あ』


 ふと、もちで遊んでいたレッスが声を上げる。

 俺が『どうした?』と問いかければ、レッスは小さく『馬車、止めて』と呟く。俺は言われた通り、エクウスの手綱を引いて馬車の速度を落とす。


『……王様の魔力がかなり薄くなったわ。もうすぐ魔力圏内を出ると思う』


 レッスが固い声で告げる。


『そっか……。じゃあ、ここでお別れかな?』


『……そうね』


『本当にありがとな、レッス』


『ま、結局何も出なかったから、護衛なんて意味なかったけどね!』


 俺が手を差し出すと、レッスはその手をハイタッチするかのように軽く叩く。

 握手のつもりだったのだが、通じなかったようだ。


 手の感触を感じたのは一瞬だったが、レッスの手は女性とは思えないほど固く、ゴツゴツとしていた。城壁の外で生活するため、長年鍛えたのだろう。

 俺は自分の手を見て、少し恥ずかしくなる。スティード達の訓練で所々マメなどは出来ているが、まだまだ全体的に柔らかさを残している。


『……じゃあね、トワ』


『あぁ。俺もレッスくらい強くなれるよう、頑張るよ』


『ま、期待しないでおくわ。ナーエに向かって、危ないと思ったらこっち戻ってきなよ?』


 メール達と同様に、危険を感じたら戻って来いと声を掛けてくれるレッスに対し、俺は自身に言い聞かせる意味も込めて、笑顔で返す。


『……いや、危なかったらナーエ方面に向かって全力で逃げるよ』


『……そっか。そうだね、トワは先を目指すんだもんね』


 レッスが少し寂しそうに笑いながら、馬車を降りる。

 やっぱり一緒に行かないかと声を掛けようとして、臆病な俺は言葉に出すことが出来なかった。レッスも行きたいと思っているなら、一緒に行きたいと言う機会は何度でもあった。


 ―― 言わなかったということは、そういうことなのだろう。


『じゃあな、レッス! 元気でな!』


『……トワ、やっぱり……アタシも……』


『ん?』


『ううん……何でもない! トワも元気でね!』


 今度はとても明るく、迷いのない声で言い切って、レッスが笑う。


『おう!』


 俺は片手を上げてレッスに答える。


『行こう、エクウス』


 そっと手綱を操ると、エクウスがゆっくり動き出す。

 後ろを振り返れば、レッスが笑顔で手を振ってくれていた。

 俺もレッスに見えるよう、大きく手を振る。


 馬車の速度が上がり、レッスの姿が見えなくなる。



 ……



「また俺達だけになっちゃったなー……寂しいなーもちー」


「きゅー……」


 レッスが最後にくれた干し肉にかじりつきながら、もちも寂し気に鳴く。

 俺はそんなもちを撫でながら、先程までレッスが座っていた、ぽっかりと空いてしまった空間を見つめる。もちと俺だけで座るには、この御者台は少し広すぎる。


「早く旅の仲間、欲しいな」


「きゅ!」


 その鳴き声が「そうだね」なのか「元気出せ」なのかは分からないが、もちが力強く鳴く。


「早くナーエに行こうな」


 俺はもちを撫でながら呟く。

 もうそろそろ魔力圏内を超えるだろう。

 一応馬車の後方に魔物除けのサシェを取り付けているとはいえ、どれくらい効果があるのかまでは分からない。


「……魔力圏内越えたら魔物がうじゃうじゃいる、とかないよな……?」


 ビクビクと俺は目を凝らす。

 念のためもちを馬車の中に放り込み、左手に手綱、右手に銃を握りしめる。


「魔物が見えたら撃つ……魔物が見えたら撃つ……」


 スティード曰く、基本的に人間に友好的な魔物は少ないそうだ。

 先手必勝、銃で遠距離から攻撃出来る利点を最大限に生かし、魔物が見えた瞬間に撃ち殺せと指導されている。


 とにかく早くナーエの王の魔力圏内に入るため、馬車の速度を最大限まで上げる。

 ロワ……ノイの王の魔力圏内と、ナーエの王の魔力圏内までの距離は、途中の野営を入れても2日程度らしい。

 魔物を対処出来る自信がないなら、とにかくその区間を早く抜ける為、その間は休むことなく走り続けろとアドバイスされた。


「無理させてごめんな、エクウス……頼むぞ!」


 俺はナーエの王の魔力圏内に入ったかどうか判断出来ない。

 通常休みを含めて2日かかる距離なら、2日間休まず走り抜ければ確実に魔力圏内に入れるだろう。

 一応魔力圏内に入ったか目印となる風景の特徴も教えて貰ってある。そこまで走り抜けるしかない。



「行け、エクウス!」



 ……



 走り続けて5時間ほど経過しただろうか。

 辺りの景色は藍色と赤が混ざったような色合いで塗られ、美しさと共に妙な恐ろしさも感じる黄昏時だ。


 目に映る景色が凄い速さで流れていく中、前方に生き物の影が見える。



 ―― 人型じゃない。魔物だ……!


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