第33話

 

 朝起きてスマートフォンの画面を見る。画面には俺が異世界に来た日から1年進んだ、同じ日付が表示されていた。




「……異世界に来てから……もう1年、か……」




 俺は鞄からそっと家の鍵を取り出し、握りしめる。1年も異世界に居たというのに、驚くほど俺は前に進んでいない。


「ごめん……もう少しだけ、もう少しだけ待ってて、母さん……」


 そう言いながら心の中で自分自身に問いかける。



 ―― 俺は本当に帰る気があるのか?



 森の中を彷徨っていた頃、俺は心の底から帰ろうとしていた、帰りたかった。母さんを一人にしたくないという思いも勿論あったが、俺の心と身体も限界だったからだ。


 しかしノイに来て、ノイの皆に温かく迎えられて、俺の心と身体は癒された。


 言葉が喋れないから、お金がないから、一人で旅に出るのは危険だから……俺は自分自身に言い訳をして、ズルズルとノイの街に居座り続けた。


「だって……しょうがないじゃないだろ……帰る方法の検討もつかなかったんだから……」


 俺は布団の上で膝を抱え呟く。


「しょうがない……闇雲に街の外に出たって死ぬだけだ……」


「きゅ?」


 布団の上から動かない俺を不審に思ったのか、もちがそっと近づいてくる。


「しょうがないんだ……武器も防具もなかったし……」


「きゅー……?」


 もちの頭を撫でながら、俺は自分に言い聞かせるように呟く。


「俺は……俺は出来る限りのことをした……!」


 そう言いながら、本当は自分が一番分かっていた。なりふり構わず命懸けで旅に出たり、情報収集をしたり、そんなことはしていない。

 いつだって安全で、遠回りな方法を選んできた。



 ―― 何度ノイに残りたいと思ったか、数えきれない。



 俺は手の中の家の鍵を、壊れるほど強く握りしめる。


「覚悟は決めてる。俺は元の世界に帰る。ノイの街を出る。もう迷わない……!」


「きゅー……」


 俺がよほど酷い表情をしていたのか、もちが心配そうに鳴きながら俺の顔を見つめる。


「もち、俺……頑張るから。もうちょっとだけ付き合ってくれ、な?」


 もちを抱き寄せ、強く抱きしめる。

 俺が連れて行くと決めたのはもちだけだ。


 もちを群れから……家族から引き離した責任を持って、もちだけは絶対に一人にしないと決めた。多分もちも、群れと逸れたと時に俺と同じ……孤独を経験しているだろうから。


「きゅっ!」


 もちは「任せとけ!」とでも言うかのように、力強く鳴く。


 もちには本当にいつも勇気づけられてばかりだ。



 ……



『トワ―? 起きたの―? 今日はレギュームさんの手伝いだから朝早いんでしょうー?』


 コンコンと扉がノックされ、メールが声をかけてくれる。メールの言葉通り、今朝は朝一でレギュームの畑仕事の手伝いが入っている。ゆっくりしている暇はなかった。


『ごめん、起きてる。すぐ行く!』


 俺は鍵を鞄にそっとしまい、急いで身支度を整えて隣の部屋に向かう。既に席についていたメール達が笑顔で迎えてくれる。


『おはよう、トワ』


『おはよう、メール、ペール、レイ』


『はは、やっと起きたか? ほら、トワの分も用意しておいたぞ』


 今日は珍しくペールが朝ご飯を作ってくれたらしい。俺が元の世界の料理を教えたところ、ペールも興味を持って色々と試すようになったのだ。


『今日は "オムレツ" が上手く出来たんだ』


 ペールは自慢するように、ふわふわと焦げ目一つない綺麗なオムレツを差し出す。


『すごい……! オムレツを綺麗に作るの難しいのに』


『ははは、まぁコツさえ掴めば簡単だったよ』


 ペールが澄ました顔でそう言うと、メールが横から茶々を入れる。


『あら、ペールったら「トワにいいとこ見せるんだー!」って、オムレツ何十個も作ったのよ?』


『こ、コラ、メール! 内緒にしてくれと言っただろう!』


『ふふ、私がトワを起こそうとしたら「まだ待ってくれ!」って必死で止めてたんだから』


『め、メール!』


『あはは、ありがと、ペール。すごく美味しいよ、このオムレツ』


 俺はペールが作ってくれたオムレツを一口食べて、ペールにお礼を言う。ペールは少し恥ずかしそうにしながらも『そうか、ならよかった』と微笑んでくれる。


『わたしも! わたしも手伝ったよ!』


 レイも横から『はい!』と元気よく手を挙げ、卵を割るのと混ぜるのを手伝ったのだと主張している。


『レイもありがとう。オムレツ、美味しいよ』


 俺が笑いながらレイの頭を撫でれば、レイも嬉しそうに『コツ、つかめば簡単!』とペールの口調を真似て来て、とても微笑ましい。


『あ、トワ! ゆっくり食べてる時間はないわよ?』


『本当だ! 遅刻する……!』


 魔石を動力としたこの世界の時計を見ながら、メールが俺を急かす。俺も慌てて残りのオムレツを掻き込む。


『オムレツ本当に美味しかった、ありがとう! 行ってきます!』


 ペールに再度お礼を伝え、家を飛び出す。


『行ってらっしゃい、トワ』


『行ってらっしゃい』


『いってらっしゃーい!』


 背中越しに俺を送り出す声が聞こえた。



 ……



『レギューム、おはよう!』


 俺がレギュームの畑に顔を出せば、レギュームはもう収穫の準備を始めているところだった。


『おはよう、トワ』


 レギュームはニコニコと笑いながら俺を出迎えてくれる。


『ごめん、遅れた!』


『いやいや、丁度今始めたところさね。ほれ、トワはそっちを掘っておくれ』


『分かった』


 レギュームに指示された場所の野菜をどんどん収穫していく。1年こちらの世界で過ごしたが、ノイには四季がないようで、ずっと春のような暖かさが続いている。

 元の世界では収穫出来る時期が決まっていた野菜も、こちらの世界ではあまり関係なく年中採れるようだった。



 ……



『ふー……トマトに人参、じゃがいもにきゅうり……色々採れたね』


『ほれ、トワ。これは生で食べれるでね、食べなさい』


『ありがとう、レギューム』


 収穫が大体終わると、いつも通りレギュームは採れたての野菜をくれる。俺がノイに来たばかりの頃の、ガリガリだった姿がいつまでも脳裏に焼き付いているのか、普通体型に戻った今でもレギュームは大量の野菜を食べさせてくれる。


『じゃがいもも蒸かすかね? バターを買ったからじゃがバターも作れるでね』


『いや、そんなわざわざいいよ! 気持ちだけで充分だよ』


『そうかい? ほら、もっと食べなさい』


 レギュームは俺が食べやすいよう、野菜の皮を剥いたりヘタを取ったりしてくれている。


『ありがとう。でも、もうお腹いっぱいだよ』


 食べようと思えば食べれたが、これ以上レギュームの売り物である野菜をタダで貰うのは気が引けて、俺は食べるのを止める。


『そうかい? トワは小食だねぇ……。フレドならこの倍は食べるでね』


『フレド……あいつ……』


 レギュームの言葉を聞き「どんだけ遠慮せず食べるんだよ」と俺は呆れてしまう。


『お、俺はほら、フレドより細いから……』


 外国人の平均か、平均より少しガタイの良いフレドに比べると、日本人の平均体型である俺は少し細身になる。なので小食なわけではないとレギュームに説明するが『トワはヒョロヒョロだからねぇ……』とちょっと失礼な言葉を貰ってしまった。



 ―― 俺は断じてヒョロヒョロではない。周りの奴らのガタイが良すぎるんだ……!



 俺は少しプライドを傷つけられながら、筋トレの量を増やそうと心に決めた。



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