第8話

 

 言葉が通じないことに馬車の男も気がついたようだ。お互い口を指差し首を振る。



 ―― ボディランゲージで意思を伝えるしかない、俺はそう覚悟する。



 まずは自己紹介をすべきだと思い、自分を指差し「トワ、ワタリ トワ」と繰り返す。馬車の男が名前だと気付いてくれるまで、その行為を何度も繰り返す。


 三回ほど繰り返したところで、馬車の男も名前だと気付いてくれたようで、俺を指差しながら『ワタリ トワ』と確認するように呼んでくれる。


 俺は満面の笑みで深く頷き、もちのことも同様に紹介する。


 馬車の男も自身を指差し『スティード、ノイ・レブハフト・スティード』と自己紹介してくれる。


 スティードは彫りの深い欧米系の顔立ちで、ガッシリした体型の真面目そうな男だ。


 年齢は俺より少し上の三十代前半ほどに見える。髪と瞳は共に濃い茶色で、肌も日焼けしているのか小麦色に輝いている。服装は革で出来た鎧……簡易的なレザーアーマーのようなものを身につけていた。


 服装からして戦士なのだろうか?

 三人の盗賊を一人で相手していたところを見ると、かなり強いのだろう。俺がスティードの立場だったら、盗賊達に袋叩きにされていた自信がある。



 俺もスティードを指差し名前を呼んでみれば、スティードも笑顔で深く頷いてくれた。


 スティードは誠実そうで頼りになる雰囲気だ。初めて会った異世界の人が優しそうで良かった。


 互いの自己紹介が終わったところで、俺は「よろしく」と言って手を差し出す。


 スティードが首をかしげたため、スティードの手を引き寄せて無理やり握手し、もう一度笑顔で「よろしく」と繰り返す。


 スティードも友好の言葉だと気付いたのか、笑顔で「XXXX」と何か言ってくれる。


 狙い通りの行動に、俺はにやりと笑う。


 スマートフォンの録音アプリを起動し、自分の口を指差してもう一度「よろしく」とゆっくり発音する。


 スティードも俺を真似、先程と同じ「XXXX」という言葉をゆっくり繰り返してくれる。



 録音アプリの再生ボタンを押し、録音した音声を流す。スマートフォンから[よろしく、XXXX]と音声が流れる。



 スティードは驚いたように何か早口で喋っている。雰囲気的に多分「なんだこれは!?」みたいなことを言っているんだろう。「落ち着いて」と身振り手振りでスティードを宥め、スマートフォンを指差す。


「スマートフォン」


 まずスマートフォンの名称を説明し、もう一度録音機能を実演して見せる。他にも写真機能や、お絵かき機能を見せた。スティードは様々な機能を見せるたび、興奮した様子で驚いてくれた。


 次に俺は鞄からこちらの世界にはなさそうな物を出し、どんどんスティードに見せていく。


 その度スティードは首を傾げ「XXXXXX?」と、尋ねるような言葉を喋る。


 俺はその言葉を待ってましたと言わんばかりに、即録音する。



 ―― これで現地語の『これは何?』が分かった。



 この言葉さえ分かれば、とにかく対象を指差して質問を投げ、単語を覚えることが出来る。


 そう、この世界の辞書なんて物はないのだから、自分で辞書を作るしかない。まずはリスニングから、そしてゆくゆくはリーディング、ライティング、スピーキングを極めるつもりだ。



 ―― 異世界言語マスターに、俺はなる。



 スティードに『これは何?』と聞かれたら、その物の名称を答える。俺もスティードの物を指差し、1つ1つ『これは何?』を繰り返す。


 スティードは本当にいい人で、何度もその行為に付き合ってくれた。


 お互い身につけている物の名称を何回か言い合ったところで、スティードが俺の服を引っ張り、馬車の方へ誘導してくれる。




 スティードに促されるまま馬車の中に入ると、中には五十代くらいの夫婦とおぼしき二人組がいた。


 スティードが俺のことを説明してくれたようで、夫婦は『よろしく』と挨拶してくれる。


 先程覚えた現地語の『よろしく』を聞き、何だか少し感動する。俺も発音に気を付けながら『よろしく』と現地語で挨拶し、先程と同じ方法で再び自己紹介をする。


 俺の自己紹介の後、夫婦も自分を指差しゆっくりと名前を教えてくれる。旦那さんは『ノイ・ジェンティーレ・ペール』さん、奥さんは『ノイ・ジェンティーレ・メール』さんという名前のようだ。


 名前のルールは苗字・苗字・名前なのだろうか?


 ひとまず最後が名前ということだけ覚えておけば、問題ないだろう。苗字が同じようなので、やはり二人は夫婦のようだ。写真を撮らせて貰いながら、名前や特徴をスマートフォンに残す。


 二人とも穏やかな雰囲気で、春の日差しを受けた葉のような、淡い黄緑色の髪が良く似合っている。


 喋り方や表情から読み取るに、旦那さんの方はしっかり者、奥さんの方は少し天然な感じに見える。


 どうやらこちらの世界では、下の名前を呼び捨てにするのが一般的なのか、皆下の名前で呼び捨てにしあっている。


 初対面で、しかも年上の方をいきなり呼び捨てにするのは少し抵抗があったが、俺も郷に入っては郷に従え、ということで呼び捨てにさせて頂く。


 挨拶を終えると、不意にメールが俺の手を握り何か伝えてくる。ペールも同じ言葉を言い、頭を下げてくる。スティードも俺の背中を優しく叩きながら同じ言葉を言う。



 どうやら雰囲気的に『ありがとう』と言ってくれているようだ。



 ペールもメールも争いごとには向いていないように見える。


 俺の手助けなんて、スティードには必要なかったかもしれない。しかし、それでも俺はこの人達を守る手伝いが出来たんだと思うと、嬉しくなる。



 あの時、勇気を出して本当に良かった。



 俺は少し照れつつ「どういたしまして」と言い、『ありがとう』もスマートフォンに録音させて貰った。


 ……


 その後、スティード達は馬車を指差し、身振り手振りで俺も乗って行けと誘ってくれる。


 俺が早速覚えた『ありがとう』を言うと、三人は嬉しそうに「ドウイタシマシテー」と返してくれた。


 俺の気持ちを慮る三人の優しい行動に、思わず感動する。


 正直、平和な日本しか知らない俺は、戦闘がある……人が人を襲う世界なのだと知ってかなり怖気づいていた。


 スティードが俺を敵だと見なしたらどうしよう、馬車に乗ってる人が怖い人や悪人だったらどうしようと、三人と話すまでずっと考えていた。


 しかし、三人の穏やかな雰囲気と、配慮ある優しい行動で、俺はやっと一息つくことが出来た気がする。


 その後、何度か言葉をやり取りし、馬車を出発させることになった。御者はスティードが努め、ペール、メール、俺、もちの三人と一匹は荷台だ。


 ……


 移動中はとにかく異世界の情報収集に専念した。


 まず『これは何?』とペール達に聞きまくり、物の名前を覚えていく。


 流石に全ては覚えられないが、録音やメモ、写真を残しているので後で復習だ。ペール達は嫌な顔ひとつせず、丁寧に教えてくれた。


 馬車の中には食料品や布、鉱石らしき石が積まれていて、見たことがない物ばかりでちょっと楽しくなる。


 馬車の中をキョロキョロと見渡し、目を輝かせながら俺は思う。



 そう、これだよ! 異世界転移の醍醐味って!



 正直スティード達に会うまでの俺は、完全にただの遭難者だった。アレは異世界生活というより、サバイバル生活だった。



 ちなみに俺がサバイバル生活……もとい森での生活中に見つけた植物や俺の持ち物は、殆どの物が知らないと首を振られた。


 ……


 通貨という概念もあった。


 俺が財布から小銭を出し、物と小銭を交換する様子を何度か見せたところ、ペールも同じように小さな石を出し、物と石を交換してみせてくれた。


 小さな石をよく見せてもらうと、石ではなくうっすら紫色をした角だった。その角は色合いこそ異なるが、俺がだいふく達から貰った角によく似ている。


 俺はだいふく達から貰った様々な角を取り出し、二人に見せてみる。


 すると二人は驚いた顔で俺の肩を掴み、早口で何か話しかけてくる。言葉の意味は分からないが、雰囲気や口調からして「何故そんなものを!?」「どこで手に入れたんだ!?」みたいな感じだろうか?


 戸惑う様子に気付いたのか、俺が見せた角を布で厳重に包み、俺の服の中へ突っ込む。


 そのまま真剣な表情で首を横に振る。恐らく「隠しておけ」という意味だろう。


 二人の真剣な表情に戸惑いつつも、俺は何度も頷き、布に包んだまま鞄の奥底にしまい込む。


 ペールは俺が角をしまったことを確認し、言葉が分からない俺でも理解できるように、角の価値を教えてくれる。


 ……


 まずペールは色が薄い紫色の小さな角を出した。次に同じ色合いの少し大きな角を取り出す。


 大きな方の角を手に持つと、上、上、と天を指差す。どうやらこちらの方が価値が高いと教えてくれているようだ。


 次に同じ大きさで、紫色の濃さが違う角を取り出す。紫色が濃い方を手に持ち、また上を指差す。紫色が濃い方が価値が高いと言いたいようだ。


 つまり角の色が濃く、大きければ大きいほど価値が高いらしい。


 なるほど、だいふく達がくれた角は紫色が濃い上、大粒なものが多いため、かなり価値がある物なのだろう。


 豆粒のように小さく、ほぼ透明に近い薄い紫色の角が1個で、果物10個分くらいの価値があるようだ。


 果物1個を100円として、小さくて透明に近い角は1000円くらいの価値だろうか?


 そして小さくて透明に近い角が10個で、同じ大きさの少し紫色が濃い角1個分という価値のようだ。


 円に変換して考えないと脳内が混乱するため、角換算で1円を "1カク" というオリジナル通貨単位にすることにした。


 小さくて透明に近い角はおおよそ1000円くらいの価値なので、1000カクだ。


 それにしても不思議なのは、大きさはまだしも、微妙な色の違いをどうやって見分けるのかという点だ。


 夜間の取引なんてしようものなら、灯りの加減で色合いが違って見えそうな気もするが。


 角を使わず物々交換も可能らしいので、まぁそこは結構適当なのかなと自分を納得させる。



 通貨の価値は何となく理解できた。

 さて、次はこの世界について詳しく聞かないとな。


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