第2話
泣き疲れて眠ってしまったようだ。
よくあんな状態で寝れたなと、自分の神経の図太さに驚いたが、寝不足と精神的疲労が限界だったのだろう。腫れぼったい目を擦りながら体を起こす。
「いてて……」
変な体勢で寝てしまったせいか、この世界に飛んできた時の衝撃のせいか、全身が痛かった。
「これからどうするかな……」
起きたら病院のベッドの上でした。
……なんて幸せな展開もなく、俺の眼前には昨日と同じ森が広がっていた。
「夢なら……覚めてくれ……」
俺は異世界に憧れていた。
だがそれはあくまでも妄想の中の話だ。
実際に異世界らしき場所に来ても、喜びよりも困惑の方が大きい。
何より俺の妄想していた異世界転移では、初期位置は当然豪華なお城の中で、こんな森の中ではない。
転移した俺を迎えてくれるのは綺麗なお姫様か魔法使いで、断じて熊らしき謎の生き物ではない。
右も左も分からない。
人影も見えない。
近くには熊に似た危険そうな生き物もいる。
こんな状況で異世界に来れたことを喜べるはずもなく、俺はあまりの暗中模索っぷりに軽く絶望する。
―― いや、軽くじゃないから重く絶望する、か? 何だよ重く絶望するって……。
「まず、まずは状況の整理だよな……」
自分の思考に突っ込みを入れつつ、自身に言い聞かせるように呟く。
山で遭難した時も、慌てず冷静に行動した方が生存率が上がるという。
俺はまだ死にたくないし、死ぬわけにはいかない。
「帰らなきゃ……」
そう、俺は帰らなきゃいけない。
ここがどこだか知らないが、俺には帰りたい場所、帰らなきゃいけない場所がある。
異世界に転移する直前、俺がやっていた仕事のことだって心配だ。あのクソ忙しい中、人員が減ったら同僚たちがどうなるのか……考えたくもない。
……
本当に自分が異世界転移したのかまだ半信半疑だが、とにかく帰るためにまず状況の整理をしようと思い、辺りを見渡す。
寝ている間に日が落ちてしまったのか、周囲は闇に覆われ月明かりだけが頼りだ。
「ん…………?」
ふと夜空を見上げたところで酷く違和感を覚える。
「月が……月じゃ、ない……?」
―― そう、空に浮かぶ月が俺のよく知る月ではないのだ。
まずデカい。スーパームーンなんて目じゃない程の大きさだ。更に色も白や黄色ではなく、かなり濃い紫色だ。
「何で気付かなかったんだ……!」
一度気付いてしまえば何故気付かなかったのか不思議なほど、違和感を感じる。
そして同時に様々な疑問が湧いてくる。
地球は月の引力で自転が安定しているはずだ。
月がなくなると地球の自転が乱れ、高速で回転し出すらしい。
逆に月が近くなりすぎた場合、月の引力の影響で気候が大きく変動すると本で読んだ覚えがある。
つまり、月が異様な大きさにも関わらず大気が安定し、俺が普通に生きていられるこの世界……いや、この星は地球じゃない。俺が月と呼んでいるあの星も、正確には月ではないのだ。
当たり前すぎて、気にしてもいなかった。
ここが地球じゃないのなら
何故、この世界でも朝と夜がくるんだ?
何故、俺は普通に立っていられるんだ?
何故、俺は普通に呼吸が出来ているんだ?
曖昧な知識しかないが、朝と夜が来るのは地球が太陽の周りで自転しているから、人が地面に立てるのは重力が働いているから、呼吸が出来るのは大気中に酸素等があるから……のはずだ。
つまり、この異世界も地球と同じ法則が働く惑星だという証明に他ならない。
改めて空を見上げれば、夜空に星が輝いている。
「星が見えるってことは、別の星……惑星や恒星があるってことだよな……?」
何かが解決したわけではないのだが、あの星のどれかが地球かもしれないと思うと妙に安心した。そもそも俺は地球からこの星に来たはずだ、逆だって可能に決まっている。
「帰れる……きっと帰れる……!」
自分に言い聞かせるように呟く。
少しだけ希望を見出し、冷静になった俺はもう一度横になる。
暗い中を闇雲に歩き回るよりも、今は体を休め明日に備えることした。
…
「ん……」
目が覚める。やはり目の前には昨日と同じ森が広がっていた。
「状況は変わらず、か……」
とにかくずっとこの森でじっとしているわけにもいかない。
俺はスマートフォンのメモアプリを起動し、やらなきゃいけないと思われることを書き出していく。
1、現状の確認
2、周囲の確認
3、衣食住の確保
4、帰る方法の模索
「こんな感じか……?」
正直こんな状況は初めてだし、どう行動するのが正解なのか全く分からない。
「最初は現状の確認だよな……」
まず、体の状態を確認する。
所々打撲っぽくはなっているが、動けないほどではない。
サラリーマンの戦闘服であるスーツにコートを羽織り、足元は厚手の靴下に革靴を履いている。
次に持っていた通勤鞄の中身を確認する。
この中身は今後をかなり左右するだろう。役に立ちそうな物が入っているといいんだが……と思いながら通勤鞄の中身を漁る。
一番外側のポケットには、タバコとライター、定期券や手鏡が入っていた。
ライターがあるので火を起こせそうなのはよかった。
「ま、タバコは我慢だな……」
次に3つある中ポケットの内、1つ目のポケットの中身を取り出す。
中に入っていたのは電子書籍や動画を見る時のために持ち歩いていたタブレット、ソーラーパネル付充電池、音楽プレーヤーだ。
ソーラーパネル付充電池は、以前大規模な震災があった時に慌てて買った物だ。電気がなさそうな森の中でも電子機器を充電出来そうで、過去の自分を褒め称えたい気分になった。
「流石過去の俺……! グッジョブ過去の俺……!」
実際に過去の自分を褒め称えながら、2つ目の中ポケットの中身を取り出す。
頭痛薬、胃腸薬、エコバッグ、ティッシュ、ハンカチに加え、飴や酢昆布が乱雑に入っている。
薬が必須品だった労働環境に少し悲しくなる。袋は食べ物を集めたり、水を汲んだりするのに使えそうだ。
「まぁ……薬があるのは安心だよな」
自分を慰めつつ、最後に3つ目の中ポケットの中身を取り出す。
中には、社員証、そして……家の鍵が入っていた。
子供の頃から鍵につけていて、ボロボロになってしまったキーホルダーが妙に哀愁を誘う。
俺は慣れ親しんだ家の鍵をぎゅっと握りしめながら呟く。
「絶対に、帰る……」
……気持ちを切り替えて次だ。
鞄の中で一番広く場所を取られている、メインコンパートメント。
その中には財布、折り畳み傘、ノート、筆箱、飲みかけのエナジードリンクがこれまた乱雑に入れられていた。
筆箱の中には筆記用具に加え、カッターやホッチキスが入っている。
IT企業のくせに月末の書類を紙で提出させる会社に無駄を感じていたが、そのおかげでカッターが入っていたのはよかった。ナイフ代わりに使えそうだ。
持ち物をスマートフォンにメモした後、綺麗に鞄に入れ直しながら覚悟を決める。
「サバイバル……するしかないよな?」
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