僕に起きた奇妙な体験

帆士 航

その1 ひょっこりおばさん

当時25歳くらいであった。

当時は大手広告制作会社に勤めていた。

深夜まで働くことが常で、その日もいつも通り終電で帰宅した。


自宅のある池袋駅に着き、家路を急いでいた。確か2月ごろで、とても寒く、なるべく体を温めるためもあり早歩きで、姿勢を正して前を向き歩いていた。


池袋の駅前は歓楽街である。しかし、僕の自宅があった北口付近は、少し歩くと戸建住宅がちらほら見えてくる。どの家も裕福そうで、比較的しっかりした石塀に囲まれた古風な住宅だ。地主さんが住んでいたのかもしれない。


歩いていると、30メートルくらいさきの石垣から、おばさんが顔だけ出してこちらを見ている。笑顔で、髪型はボリュームのあるパーマ、細かいディテールまで覚えていないが、どこにでもいる50代くらいのおばさんだった。


なんだろう?とは思ったが、不思議には思わなかった。なぜなら僕の数メートル後ろに、ベビーカーを押して、楽しそうに会話する夫婦がいて、彼らに投げかけられる笑顔だと解釈したからだ。


あまり気にせず歩いていると、顔が石塀の影に引っ込む。と思うとまた顔がでる。また引っ込む。


何度かその繰り返しをしていた。

顔を出すときはスピードがついていた。ベビーカーの赤ちゃんに対するアヤシなのかなと思った。この夫婦どちらかの実家で、久しぶりの子と孫の帰省に喜んでふざけているのかなと思った。


そんなことを思いながら足早に歩いて、進む。あまり見ては悪いと思って、なるべく前を見て歩いていたが、ふと顔を出していた辺りを通り過ぎるとき、何気なくその顔がでてきていたところ、おばさんがいるであろうところを見て唖然とした。


誰もいないのである。それにその場所には、ただ石塀が平らに伸びているだけで、人が隠れられるようなくぼみも隙間もないのである。


ギョッとして立ち止まり、石塀をじっと見つめる僕を夫婦が追い抜いていく。すれ違うとき、僕の方に警戒しているのがわかった。変な顔をしていたんだと思う。


立ち止まったせいで汗が冷えたからか、

それともよくわからないこの状況からか、

急に寒気がした僕は走って家までの道を急いだ。


それからその道は通らずに遠回りして帰った。


しばらくの間、シャンプーをするときや、曲がり角、何かのくぼみを見つけたとき、またあの顔がひょっこり出てくるのではないかと、怖かった。


池袋からは引っ越した。

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