137 君だけを


 月の無い深夜だが、闇とは感じないほど煌々こうこうと星が照っていた。圧倒的な数の星の群れが、バッソス城のほの白い輪廓を浮かび上がらせている。


 早朝には黄金こがねに、日暮れには藤色ふじいろに染まる優美な城は、一転して不気味なほどに無色だ。見る者に息をつかせる風情は消え、城塞そのものの姿があらわれる。


 静寂の中、星明かりの影をぬうように鎧姿よろいすがたの兵たちがすべり歩く。城壁のうちには、等間隔にあく狭間さまが設けられ、彼らはその横を慎重に過ぎていった。時おり鳴る微かな金具の音だけが、兵の存在の多さを示している。


 ひとり、またひとりと列を離れ、兵は持ち場の狭間へと身を寄せた。狭間から眼下を見晴らせば、バッソス公国の大半を占める広大な砂漠が広がっている。

 ひらけた眼下に、敵の姿は見当たらない。

 

 帝都アデプからはるか東、イクパル帝国全土で見たならちょうどへそにもたとえられる位置にこのバッソス王城がある。逃げ込んだ、、、、、ことは知られているはず。にもかかわらず、敵がいっこうに現れぬ理由とは。


 単にこちらの配備が上回ったか。あるいは、

「……やはり砂漠を越えているな」

 敵が別の経路を選択したか。


 狭間横に張り付いた兵に並び、ディアスは目を細める。

「ヤンエ砂漠を?」

 独りちたに等しい言葉に返事をよこしたのは、並び立つ兵ではなかった。


「ホスフォネトか」

 背後に目を配り、ディアスは低い声で返す。

 篭城における配備の概略を直々にほどこさせてほしい。そう進み出たバッソス公王ホスフォネトの提案を、ディアスはやんわりと辞していた。


 こと城の構造に関しては、細部まで把握できている。幼少の折、バッソス城には何度も滞在した経験があるからで、ホスフォネトも心得ているはずだった。大きく改築したような跡もなければ、今さら隈なく案内を受ける必要はない。「それでも」と押しきられ、連れ立った裏には、なにがしかの意図さえ予感させた。


 狭間から身を離し、星明かりのつくる影へと身を潜める。二人の主君が居並ぶさまは、移動の最中にある兵たちの驚きを買っていた。片手を挙げ黙礼を許しながら、ホスフォネトが向き直る。


「砂漠を越えていると言いなすったか」

「ああ、言った」

 二人はそのまま、影の中で視線を交わす。

踏破とうは不可能と名高いヤンエ砂漠を、わざわざ行きますかな」

 淡い色の瞳が次いで向けられたのは、狭間向こうに広がる、果ての見えない砂漠だ。


「メルトロー王国単独なら無知なだけと片付けられましょうが、帝国本土に領土をもつ、テナン公国とイリアス公国の混合軍ですぞ。……まあ、貴方がたがせんだって、無理やり踏破なさったことも流れてはいるでしょうが」

 言葉尻をすぼめて、ホスフォネトは言いきった。

 ディアスは吐息で笑う。

「たしかに踏破はしたな。何度か殺されかけたわけだが」


 額面通りの皮肉を言われ、ホスフォネトは大袈裟に身を竦ませる。

耄碌もうろくしておったとしか、言いようもございませぬ。成人なさる以前には、よくよく御尊顔も拝しておりましたのに」


 先帝アエドゲヌの後宮ハレムに請われながら、ホスフォネトの愛娘には子ができなかった。彼女を護衛する任に就いていた女が、代わり立つようにして皇子を――ディアスを産んだのだ。

 愚帝アエドゲヌを毛嫌った公女が、身代わりを立てたのだというもっともな噂が流されたのも無理はない。そのせいもあって、後ろ盾とは言わないまでも、バッソス公国は第四皇子ディアスに対し柔軟な態度をとることが多かった。

 八年前の事件が起きるまでは。


 その事件――〝皇太子暗殺〟という政局の異変ののち、全てががらがらと崩れたのだ。

 嫌疑をかけられたディアスは、弁明の機会もなく投獄。その後も次々と跡目の皇子が死んでいくという不可解な事件の末、ついに先帝は真相の解明を放棄した。

 残ったのは、投獄されたままのディアスと、隠しだねとして密やかに育てられていた五番目の皇子コンツェだけ。


 〝無実のかどで封じられた第四皇子ディアスは、必ずあなたに復讐を企てるであろう〟

 そう言い含め、アエドゲヌを疑心の渦に巻いたのは、テナン公国の前王だった。


 他の国々はテナン公国をうかがい、日和見を続けた。バッソス公国がどちらにも動かなかったのは生業、、に関するところが大きい。請われれば、金と利害の次第で動かざるを得ない〝傭兵〟国家ゆえの。


「まあな、変わったように見せていた私にも責はある」

 獄中で〝狂った〟とされてから、ディアスを支持する勢力はひと時に削がれていった。生き延びるための〝ふり〟でも、当人が見せた姿は現実味を帯びていたのだろう。ホスフォネトの選択を責める余地はない。


「いいえ。たとえ貴方様が賢君の振る舞いをしたとして、起こり得たのは今よりももっと酷い内乱だけでしたでしょう」

 四公国の王たちは若く血気に溢れていて、今ほど財政が絞られてはいなかった。つまり、豊富な国力をかけて内戦を起こし、血で血を洗う凄惨な歴史をつくりあげることもできた。そう論じながら、ホスフォネトは渋い顔をする。


「じわりじわりと国力を削ぎ、内戦どころではない状況を、敢えておつくりになられた。〝暗愚〟の汚名を被りながら、この八年をかけて」

 背をあずけた岩壁が、ざり、と音をたてる。汚泥をすするようにして生き延びたのに、の使いどころをはずしてしまった。厳しい表情を浮かべたまま、ディアスは首を横に振る。

「……長く刻をかけすぎた。手回しの末こちら側に引き込んだ〝第五皇子〟も、結局のところ失ったのだからな」


 四公国の力を完全に削ぎ落とし、八年前の粛正とともに、新たな皇帝を迎えるはずだった。

 だが蓋を開けてみれば、コンツ・エトワルトは自らの選択でテナン公国の王となっていた。血の繋がらぬ父の遺志まで継いで、宣戦布告に踏み切ったのだ。

 妹シアゼリタ暗殺への報復と、独立を兼ねそなえた大義名分もくてきを掲げて。


「現実は、図ったようにはいかぬものですなぁ。この美しい砂漠を長くあずかり治めておりますが、同じ景色が見晴らせた日は一日としてございませぬ。人にも同じく、決して見通せぬ〝ことわり〟があるように感じます」

 なにかを含めたような笑みを向けて、ホスフォネトは場にそぐわぬほどのんびりと告げる。


「跡目を譲り、すべての責を担って退くことは、もう繰り返すべきではございませんからなあ」


 無言のまま視線を動かし、ディアスは瞠目する。

「……おまえ、」

「ええ。ほんの少々、心に留めて頂きたいだけです。……さてはて、篭城をするにも敵が見えぬのでは、いかが致しましょうかな?」


 ホスフォネトの言葉は、見え透いた論点のすげ替えだった。なにかを隠しているというより、語る必要がないと括ったようにも見える。

「そうだな」

 ディアスは眉間のあたりを摘まみ、割りきるために息を吐く。

 現状話し合うべきは、今後の戦況をおいて他にない。


「敵の拠点は未だチャダ小国が南端のはずだ。帝都からならヤンエ砂漠の迂回もさして苦にはならんが、チャダ小国からとなると」

「ああ……ヤンエ砂漠を横切りたくもなりますな」


 バッソス公国の北側に位置する広大なヤンエ砂漠は、距離だけなら最短の経路だ。バッソス公国にも、その先のドルキア公国にも短時間で渡ることができる。ただし、机上の理論であることを忘れてはならない。

 砂鉄のまじる砂嵐で磁針は狂い、視界は奪われ、目的を失う。砂にまぎれて現れる野生の化獣が、特殊な血を好んで襲いかかることさえあるのだ。

 そんな中で縦横無尽に動ける者がいるなら、化獣本人――白虎タァインの血を流すザラナバルの一族しかありえない。


「敵の連中もザラナバルを得たかもしれん。だがそれよりも先に考えたのは、ディフアストンなら渡りたがるだろうという予測だ」

 予測でしかない。それでも、ヒョルド・ディフアストンという男がどういう人物なのか、伝え聞くだけで理解はできた。


 十年あまりで二十もの国々を制圧し、支配下におきながら、父王の右腕におさまっている。功績と実力をかんがみるなら、とうに担ぎ上げられてもおかしくはない年齢でありながら。

 おそらくディフアストンは、右腕だからこその現状を、征服の道を闊歩かっぽできる自由を愉しんでいる。

 玉座に腰を据えてしまったら、同じようにはできないからだ。


 そういう人間が〝初めての不可能〟に面した時に見せる反応はどうなるか。

 引き退がるはずがない。むしろ、悦びさえするだろう。


 ディフアストンならヤンエ砂漠を越えることを、まず真っ先に考える。


「シャルベーシャの隊を呼び寄せた。敵の補給路をたたかせていたが、そろそろ本来の役に戻そうと思ってな」

「向かわせるのですか? 白虎タァインの彼らを、ヤンエ砂漠……いえ、ディフアストン討伐に?」

「長いこと〝待て〟を命じてしまった。そろそろ奴の腹を満たしてやってもいい頃合いだ」

 砂漠に育ち、〝王を喰う〟特質を科せられた一族たち。シャルベーシャはディフアストンにうってつけ、、、、、だ。彼らならディフアストンを、一噛みどころではなく、全力で欲するであろう。


「わたくしはそれで、貴方様の暗殺を仕損じたのです。加えてあちらには、その失敗の根源となった彼女、、が居るのでは?」

「居ない」

 首を横に振り、ディアスは確信めいた調子で告げる。

 白虎タァインを倒し得る人物である彼女――フェイリットは、テナン公国に身を寄せて久しい。それでも充分な月日が過ぎており、実兄であるディフアストンに伴われて戦場にいる可能性さえ、否定はできない。だが。

「わかるのですか」

「ああ。出てきたら、わかる」


 軽い振る舞いでひとつ首肯くディアスに、ホスフォネトは面食らうことしかできなかった。

「……はあ。それでは、」

 と咳払いながら、ホスフォネトは改めるようにディアスに礼を向ける。

「ご出立までのあいだ、お休みいただくへやをご用意致しております。どうぞお越しを」

 

 耳打つように告げられた言葉に、ディアスは眉間の皺を深める。

「女が必要というなら、城内に待機する者たちに与えてやってくれ。禁じるような野暮はせん」

「ですが陛下」

「私はこのまま、兵の顔と城の首尾を見て回る。わずか五百の者たちに、あと、、を任せてしまうのだからな」

「いえ、わずかと申されましても……」

 何かを言いかけながら、諦めたのだろう。ホスフォネトは小さく微笑んで、かしこまる。


「皆、喜びますでしょう。じきじきに、それも一人ずつ鼓舞を戴くことなど滅多に御座いませんからな。この城を与る者としましても、有難く存じます。しかし……お休み頂くというのは、ほんの建前でしてな」

「……建前? 他になにがある」

 渋々といったていで耳を傾けるディアスに向けて、ホスフォネトが笑い含める。

「陛下の〝好色家〟が根っからのものであるなど、思ってもおりませぬ。わたくしがおすすめしたいのは、もっと別の品でございます」

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