14 色彩

 「目覚めたか、フェイリット!」

 しばらくして、アンが部屋に入ってきた。仕事から帰ったところなのか、着ているのは軍服だ。

 その後ろから、見慣れぬ銀髪の青年が続く。軍服ではない宮廷衣を纏ったその姿を見て、フェイリットは首を傾げた。


「よかった、顔色もいいね」

 フェイリットは寝台から身を起こして、アンに向けてぎこちなく微笑む。手当てをしてもらい、こうして家にまでお世話になってしまったのに、何にもお礼ができそうになかった。

「あの、何て言ったらいいか…本当にありがとうございます」

「いいんだよ」

 アンが嬉しそうに返して、傍らの銀髪の青年を見遣った。


 その視線を受けて青年は、やや前に身体を置く。フェイリットからも見やすく、青年もフェイリットを観察できる、けれど決して近づきすぎない距離だった。

「ウズルダン・トスカルナです」

 視線を受けて青年が発する。


「――ウズ…ルダンさん」

 鸚鵡おうむ返しに呟いて、はたと気づく。

 〝ウズ〟といえば、アンの兄の名前ではなかったか。けれど目の前に立つ青年は、およそアンとは似つかぬ容姿だ。

 長い銀色の髪と薄い北方の肌色……それに加えて氷山を思わせる無表情な整った顔。張り出た額は骨ばっていて、とても温和とは言い難いしわが眉間に二本刻まれている。

 冬空を思わせる灰色の双眸に見つめられ、フェイリットは身が竦む思いさえ感じていた。

 あの燃えるような赤毛を持つエセルザから、こんなにも冷めた色が生まれ出でようとは――…。


「異母兄妹なんだ」

 さっぱりとした口調でアンが言う。まるで今までの思考が読まれでもしたかのような気分で、フェイリットは自分の頬が赤らむのを感じた。

「わたしは」

「フェイリット、と言いましたか」


 ウズは灰のその瞳を、微かに細めてこちらを見た。鋭い視線に、フェイリットは頷きながらも戸惑う。

 それが何かしたのだろうかと、再び口を開こうとした途端、


「……あぅぐっ」


 ウズの長く細い指が伸びてきて、フェイリットの顎首をがっちりと掴み上げる。アンが驚きの声を上げるのを耳の端で聞いたが、それでも解放されることはなかった。

 ウズに顎を掴まれたまま、右へ左へと顔を向かせられて。まるで検分でもされているような気分になって、フェイリットは顔をしかめる。


「生まれは?」

 氷のような冷たい声が、間近から浴びせられる。

「リ、……リマ」

「メルトロー、ではなく?」

 ひやり、心臓が縮むのを感じるが、顔には出さない。

「はい」

 ウズは片眉をつんと吊り上げて、可笑しいですね、と言った。

「フェイリットという名は確か、メルトロー王国第十三王女殿下がご生誕為された折につけられた、仮名かりなではありませんか? なぜリマ生まれの貴方が敵国の王女の名など」


「それは…」

 ―――顔色が青ざめぬよう気を保つのに精一杯だった。

 ばれて、いるのだろうか?

 たとえ公妾の子だとて、王族の血が少なからず流れている。自分の顔かたちに歴代の王たちの特長や、雰囲気が全くないとは言い切れないが…。


 いや、そんなはずはない。いつだったか聞いてみたことがあったのだ。自分は父に似ているのかと。

 メルトローを統べる第八七代国王・ノルティスは、完璧なメルトローの色系を保持していることで有名だった。


 象牙のように白い肌、澄み渡るような青空の色の瞳に、麦穂の色の金髪。他国との交流も多く人種が混じりつつある今、父のような原色が現われることは珍しくなったとも聞く。


 その特長と自分の容姿を比較したなら、やはり違う。

 濃くはない金髪と霞んだような水色の瞳、山麓暮らしが長いせいで、肌は生まれた時より格段に日焼けしている。

 王族を思わせるような宮廷の所作だって、山中深くに生活していれば身につくはずもない。


「父がメルトローの出身でした。ちょうど王女のご生誕と時期が重なったので、祖国を懐かしんで付けたと聞いています」

「確かに、よくある名ではありますね」

 そう、ごくありふれた名前。メルトロー王国の首都に行きその名を叫んだら、人込みの雑多のなか振り向く者が必ず一人や二人混じっているほど。


 通常王族と同じ名を子にあつらえるのは禁じられているが、幼名となると話が違ってくる。

 それは幼名が、正式な名が国の中枢部や宗教を通って決められてくるまでの、ほんの二ヶ月程度しか使われない名だから。祝事にあやかって、幼名を頂くことを規制する法は無い。国民達はそこを自由に解釈して、自らの子に名をつけるのだ。

 王族の幼名を頂くと、出世するとか良縁に恵まれるとか、そういった風説がいつの間にかできあがっていた。


 サディアナ・シフィーシュ・ファロモ=フィディティス―――この長い名前の一節でも混じらないなら、法に触れることはまず無い。

 だから幼名をあやかって付けたと言ってしまえば、格段疑われるようなことは何もない…はずだが。

 この目の前の青年の、疑うような眼差しは未だ解けない。


『リマの血が混じっていると言いましたが…その完璧なメルトロー色の容姿で?』

 唇を噤んでウズの瞳を見つめた。完璧…? この霞んだような色の容姿を、どう間違えたら完璧だと言えるのか。

 流暢なメルトロー語―――それも民草には理解できない宮廷古語―――での問いに思わず驚きの声を上げそうになるが、フェイリットはただわからないとでも言うように首を傾げて沈黙するだけにした。


 リマ出身の自分が、宮廷古語を操れるはずがない、、、、、から。

 ぴん、と張りつめた空気が漂う。

 わからないふりをしていても、背中を伝う汗はひんやりと冷たい。捕まれていた顎からその手が外されて、フェイリットはようやく息をついた。


「…いいでしょう、本当に何も知らぬ村娘のようです」

 ウズは言うままに立ち上がって、その切れた眼差しを横で逡巡しゅんじゅんするアンに向ける。


「お前さっき、何て言ったんだ?」

 胡乱うろんそうな眼差しで、視線を受けたアンが問う。

「アンジャハティ」

 問いには答えず、その冷たい声のままウズは繋げた。

「この娘を貰います」

「は、」

 唐突な言葉を理解できなかったのか、アンが聞き返す。フェイリットも何事が起こったのかと、目を見張る。


「貰うって、ちょっと待てよウズ…どういう意味だ? まさか愛妾ジャーリヤにでもあげるつもりか!」

 半ば怒りを含ませた口調で抗議するアンにため息をついて、ウズはその目をフェイリットへと戻す。

「私の執務室に置いて雑用を。前から一人くらい雇えと貴女にも言われていたはずでしょう。それとも何ですか、私に眠るなと?」

「そりゃあ…お前が忙しすぎるのはわかるさ」

 アンはぼそぼそと言い澱んで、フェイリットの顔をちらと見つめる。きっと、意思を求めているのだろう。

 その視線をウズも認めて、しばしの間沈黙が降りてくる。


「あの」

 フェイリットが口を開くと、アンは小さなため息をついた。

「フェイリット、無理すること無い。しっかり怪我が治るまでうちに居ればいいんだ。母さんも何やかんやで喜んでいるし」


 執務室でする雑用と言ったら、きっと給仕のような仕事なのだろう。

 ウズの給仕になる…それはそのまま敵国宰相の給仕になるということだ。いくら顔も名前も国家的に伏せられているとはいえ、王女サディアナの正体がばれる危険は増す。

 ――だが…、

「行きます」

 フェイリットの返答に、ウズは微かに頷いて見せた。無感情で無機質な表情。


 メルトローに帰るわけにはいかない。帰るべき本当の場所ももうない。

 ならばここで残りわずかな寿命を食いつぶすしか、道は残っていなかった。それに竜である自分が、人間として生きられるのも二年に満たないはず。それなら。


「いいのか?」

 アンが不安げに眉根を下げる。

「お世話になってばかりでは悪いです。拾っていただいて、何もせずでは」

 些かうつむき加減にそう言うフェイリットに、アンはため息で返した。

「ウズ、せめてフェイリットの怪我が治るまで待っててくれよ」

 アンの言葉を受けて頷くのかと思ったが、思いに反してその視線はこちらに向く。


「利き手は右手か? ああ、自由に動かせますね。歩くことは?」

 フェイリットが問いに素直に頷くと、

「ならば問題は無い、明日の夜に迎えをやりましょう。皇帝宮に来てもらいます」

 抑揚の無い声でウズは言い、寝台から身を離して立ち上がった。


「よ、夜に皇帝宮だって? ウズ…執務の雑用ならこの宮でだって」

「アンジャハティ、貴女がこの家に居て私に意見が通るとは、思わない方がいい」

「…お前が、それを言うか!?」


 言い残して立ち去る彼の背中に、怒りを向けて立ち上がる―――彼女アンの握る拳が、かすかに震えて固まった。


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