Undeads

白空

Undeads

人が何故死ぬか。それは人が、この世に全(まった)き存在と成り果てたときに、結句死ぬのではないか。

わたしはそういった考えに至り、この度、誠に、死ぬことを決意した。

これを本気で止める人間は、数人かそこらはいるだろうが、どうか逝かせて欲しい。

わたしはこの世に、未練は最早、微塵もありはしない。

つまりわたしの価値とは、既にこの世になく、向こうにある。

これはもうどう考えても、間違いは無い。

もう一度しつこいが言うけれども、わたしはこの世に一切の未練を喪ったので本気で死ぬことにした。

確かに”向こう”の世界が実際在るのかどうか、というのはこれ知りようが無い話だ。

だから直裁に言うと、わたしは”本当の絶望”なるものに至った為、今、樹海にいる。

樹海からアンドロイドで、今これを打っている。

樹でできた海とはよく言ったもので、ここは正しく樹の海の底のように、静かである。

鳥はずっと鳴いていて、樹はずっとざわめいているが、ここには人間たちが作りだすことも叶わない静けさというものがある。

彼らはわたしがここで何をしようと、決して責めるようなことはしない。

わたしの死に場所を、ここに選んだことはきっと神の想(おぼ)し召しであるだろう。

しかし先程から沸き起こるこの胸のざわめきは何か。

それは想いださなくとも良いだろうことを想いだしてしまったからだ。

樹海という場所には、決まって自殺企図者が度々訪れる為、自殺企図者を狙った快楽殺人者がよく待ち伏せているという。

わたしはもう少し奥で死のうと考えていたのだが、どうにか殺される前には死にたかったので、もうここらでええかな、と想った。

早朝に麓(ふもと)に着いてからずっと歩いてきたし、十分深奥(しんおう)だろう。

深奥で死んおう(死のう)と言った人は自分だけだろうか。

今から死ぬ、というときに、変なテンションになる人は多いのかもしれない。

取り敢えず、向こうから快楽殺人者風の人間が歩いてきたらば、わたしは想いきり奇声をあげようと想う。

一百百百百百(いっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ)ひゃっひゃっひゃっひゃあああああああっっっと叫びながら尋常ではない動きで相手に向かって、四つん這いになって走り寄っていくのである。

するともしかしたら、逆に恐れて逃げてくれるかもしれない。

しかし相手がもし自殺企図者だったらば、非常に罪深い話なので、わたしは早くに死ななければならないという焦りに囚われた。

わたしは鞄の中からロープを手に取り、ちょうど良い按排(あんばい)な樹を見つけるとひゅいっと樹の枝にロープを投げて引っ掛けた。

ロープに錘(おもり)を付けていた為、一度で成功した。

これで輪っかを作り、輪っかに頭を入れて樹を登る。

あとは登ったらロープの長さを調節して樹に括りつけ、樹から想いきりジャンプするだけで多分首の骨を折って即死か窒息死かで死ねるはずである。

簡単なものだ、自らを、絞首刑に処してやるのだ。

この世界に想い残すことなど、なんにもないのだから。

早く死んでしまおう。わたしはこの世界に、必要な存在ではない。

わたしは手にしたロープを少しのあいだ見詰めると、それを頭の入る大きさに輪を作った。

そしてその輪に首を入れ、樹をふうふう言いながら猿みたいに登った。

そして高い位置にあったロープを引っ掛けている枝のところまで来た。

こんなちょっと登っただけで、随分遠くのほうまで見渡せるものだ。

といっても樹が何本と生えているばかりで特に珍しい何かがあるわけでもない。

と、そう想ったそのとき、わたしは少し向こうのほうの樹と樹の間の土の上に見える変なものを見つけてしまったのであった。

あれはどう見ても、人のように見える。

人のような何かが、地面に仰向けになって寝ているように見える。

もしやあれは、自殺者ではないか。

わたしは自分の逝く末が、あれであるのだと想うと、それはどういうものであるのかということを見ておかなければならないという激しく苦しい強迫観念に瞬時囚われ、気が進まないものの、のそのそと輪から首を外して樹を下りた。

一体どんな状態であるのだろう、もし、酔っ払ってただ寝ているおっさんとかならどついたろうと想った。

でもこんな山奥まで来て寝ているのは明らかに不自然である。

酔い潰れて寝ていたとしても何か深い事情があるのは確かだろう。

寝ている人間の側まで来て、恐るおそる、その顔を覗いてみた。

わたしはその顔を見たとき、畏れと感動と昂奮(こうふん)がわたしの胸奥(きょうおう)を凄烈に震わせた。

これはどうして、なんという美しさであるのか。

見たところ、西洋系の若い20代後半か30代前半くらいの男であった。この顔は日本人ではない。

これほどまでに美しい人間はわたしは見たことが無い。

いやこれは既にとっくに死んでいるから人間ではないのだろうか?

これは明らかに死体であり、生きた人間では決して無いだろう。

その証拠に、この変に蒼白な肌は生きた人間の肌色とは言い難い。

さらに、わたしはその軀に触れて確かめた。

完全に死後硬直していてひんやりとした冷たい肌とその感触は生きた人間のものではなかった。

この男は、確かに死んでいる。

瞼も脣(くち)も静かに閉じて、眠っているかのように死んでいる。

この美しい男は惜しくもこれから腐乱してゆこうとしている。

何故この男はこんな処で独りで死なねばならなかったのだろう。

誰にも見つけられずに、ここで独り、白骨化してゆくのだろうか。

なんと寂しく、哀しい死に様(よう)であろうか。

わたしはこの男が、これまでどのような人生を歩んできて、自殺を実行するほどの絶望へと至ったのか、想像を廻(めぐ)らしてみた。

この男は一流会社に勤め、一流エリートとして活躍するまではそこそこ順風満帆(じゅんぷうまんぱん)の人生を送ってきた。

子供の頃は気弱で本(特に神話や幻想小説系)ばかりを読んで空想にいつも浸っているような少年時代を過ごしたが知識を増やしてゆくと共に自分の魅力にようやく気付き始め、自分の魅力をみんなにわかってもらいたいという強い欲求を抱くようになって行った。

だがインテリゲンチアには甘い(うまい)話が付き物で、一番危ないのは、わたしは貴方の知識を信じている。という人間で、この男は世の実力者たちに益々(ますます)評価されたい一心でまんまと煽てられ、良かったら君の力を貸してはくれないか。君の力が是非とも必要なんだ。と言われて甘い話に乗っかった。

純真なこの男が求めているのはマネーではなく、自分が尊敬し続ける人間からの更なる評価と称賛であった。

この男は、可也(かなり)のナルシストであっただろう。

自分のすべてを信じていた。自分の行なうすべてのことが、必ず著大な評価をされるべきだという己惚れを自恃のままに信じて疑わなかった。

男はその為に純粋であると同時に愚かで、高慢であったので、男を嫌いながら妬む人間たちはある極秘の派閥を生んだ。

実力者たちが用意した甘い話とは、実は男をどん底まで突き落とすための大掛かりな謀略(ぼうりゃく)であった。

具体的にどういうことがあったのか、というところまでは想像しづらいのであるが、まあそんなところではないだろうか。

いや、でももっと、もっと哀しい話があったのかもしれない。

例えばどういう話だろうか。

わたしは穏かな顔で死んでいる男の死体を眺め渡し、またもや想像してみようと想ったのだが、ふと、”或る”異変に気付いた。

それは男の下腹部が、異様に膨らんでいるのである。

丁度、大事な処に当たる部分であるのだが、何故そんなに膨らんでいるのか、奇妙な話である。

わたしはその部分がどうしても気が気でならず、男に向かって手を合わして心の中で「許してください」とお祈りをしてから履いていた黒いスーツのトラウザーのボタンを外しファスナーを下ろすとその下のボクサーブリーフも下ろした。下ろす際に、何かがしつこく引っ掛かった。

わたしは、目のまえに起ち聳えるそれに対し畏怖と哀愁と欲情を感じ、もう一度それに向かって手を合わして深く礼拝した。

何が哀しくて、男は死んだあともこうして屹立(きつりつ)しているのであろうか。

此の世のすべてへの望みを断ち、こうして樹海にやってきたがいざ死ぬときになって、寂寞(せきばく)のなか異常な情火が男を襲い、己れを慰み(衣服の上から)ながら命を絶ったので、硬直したそれは硬直したままの男にとっての持続可能性という奇跡を生みだしたのであろうか。

わたしはそれからどれほどの時間、男の臍側に向かって勇ましく、また未練がましく立つ悲壮な凛々しきそれを凝視し続けたことだろう。

気付けばこの樹海に、夕闇が訪れていた。

刻一刻と、闇は深まって来て、止めることは最早できない。

わたしは己れのなかに流るる、情欲の血の道というものを放免する為、履いていたCUNEのうさぎジーンズを脱ぎ、ショーツも脱ぎ捨て、男の下腹部の上に跨った。

わたしは今から、自殺という一線の前に、一線というものを超える。

それは死体の男と交合するという神に背く不義と堕落の魔の道の行為である。

わたしは男の上に跨りながら、ある一つの妄想をした。

それはわたしの生涯のベスト2に入れたいほどの我が愛書、「チベット永遠の書」というドイツ人探検家の実話の訳者あとがきに書かれてあった話から膨れ上がっていった。

この本はチベットの秘境に探検家が辿り着き、そこで数々の恐ろしき現実を目の当たりにするという世にも稀有で珍異(ちんい)な前代未聞探検記の奇書である。

著者はこの本のなかでチベット密教徒たちの行う死者蘇生の秘術について、あまりの不快感ゆえに著者はここに書くことを躊躇ったということを言っており、非常に厳秘的で肝心なことを教えてくれない著者にこちらも不愉快であったが、その本のあとがきには死者蘇生の秘術の方法についてほんの少しだけ書かれてあり、著者が知り得た秘術については詳細に書かれることがなかったものの、わたしは多分にそれが呪術的な行為と同時に行なう「屍姦(しかん)」の儀式である可能性は高いのではないかと想察している。

チベットの呪術師が、死者に対し呪術的な屍姦という行為を行い、死者を蘇えらせていた可能性は大いに考えられる。

何故なら人間の性エネルギーというものは人間のなかで最も大きな霊的なる創造エネルギーであるとよく宗教の世界でも言われているからである。

これを笑う者があるなら、その者は人間の持つ能力の可能性を、自ら閉じてしまっていることになる。

わたしは確かに先程までは、自分の可能性のすべてを断つように死にゆこうとしていたが、男の死体を目にして、気持ちが変化したのである。

この男の死体はまるで、わたしに請うようにその哀しき陰茎をそそり立たせ続けているかのように想えてならないのだ。

わたしはこの男の死体を、わたしの奇跡なる能力によって、蘇えらせよう。

強く信じ続ければ願いは必ず叶うとイエス・キリストも言い続けたではないか。

その魔の能力を、自ら封じ込める必要は本当に在るというのか。

わたしがこの男の死体を蘇えらせたいと願うこの想いが、愛でなくて、なんであるのか。

そうして、わたしは男を蘇えらせる一心で祈り続けながら男の死体と交わった。

さらに、呪術的なものと言えば生き血を飲ませるなどすると、効果がぐんと上がると想ったので持ってきた剃刀で手首を切り、その滴る生き血を口移しで男の脣の間から飲ませながらわたしは男の死体と交接した。

男の凍るような冷たい陰茎は、わたしの熱(ほて)った肉体と激しい摩擦とによってあたたまり始めた。

わたしは気付くと精魂も身体も果てていて、その瞬間、猛烈な睡魔に気絶するように男の上に突っ伏したまま眠りへと落ちた。

わたしは惜しくも処女ではないもののこれまで男との性交渉で最高潮に達して果てた経験がなく、初めて果てたことに心から満たされる想いで幸せな心地の眠りの入り口であった。


夢うつつの中で、わたしは目を閉じたまま鳥の声を聴いていた。

一つの鳴声は、カッコウの声であった。

カッコウの鳴声は樹海の朝の目覚めにふさわしいと想える異界に響き渡るような声である。

そしてもう一つの鳴声は、鴉の声であった。

その鴉はカッコウが「カッコウ」と鳴くと「アワ、アワ、アワ」と鳴いていた。

わたしはこの鴉の鳴き方にいつも想うのだが、一体なにが、「泡、泡、泡」なのか。

気になるのであった。

泡がどうしたのか。

そのときである。わたしの瞼の上に、何かがぱさぱさと動いた。

蛾か何かの翅虫が、わたしの瞼の近くで羽ばたいているのであろうかと想った。

わたしは静かに、その目を開けた。

瞬刻ののち、わなないて声にならぬ悲鳴を上げた。

何故なら男がこちらを真っ黒な黒曜石のようなてらてらと黒光りする目で見詰めながら瞬(まばた)いていたからである。

この男の二つの目に、虹彩の薄い色は見当たらなかった。

瞳孔は完全に開ききっている瞳孔だけの状態の目である。

死んだ鯨のような、顔面積に対して小さい目をしており、男の目は変に優しい目であった。

わたしはかつて市販薬をOD(オーヴァードーズ)したときに、死の手前の世界と想える地面も空も灰で埋め尽くされた寂しくてたまらない世界を何時間と漂い、嘔吐したあとに用を足しに行く途中ふと壁掛の姿見鏡に映った自分の目を見てみると、その目は瞳孔が開ききっているような真っ黒い人形の目に見え、異様にその目がてらてらと輝いており自分は死んでいるのかと戦慄したことがある。

男の目はわたしのそのときの目と同じ目であるように見えた。

わたしのあのときの目は暗い部屋で見たからきっと真っ黒に見えたのだろう。

だがこの男の目は、この目こそが、本物の”その”目である。

つまり、この男の目は、人形の目である。

白い部分と黒い部分しかない目をしている。

無心の目と想える男の目を見詰め返しながらわたしは再びチベット永遠の書の話を想いだしていた。

あの本に出てくる呪術師によって甦らされたのであろう者たちは、生気と人格をまったく感じられない存在であり、その歩き方から操り人形のように異様で死人のような空ろな目をしていたという。

探検家のテオドール・イリオンはこの者たちを、「ロボットないしゾンビ、または自動人形」だと呼んでいた。

ここにきてわたしは、長時間ものあいだ男の上に跨っていたことからの腰の痛みを感じた。

なので非常に不安であるが、わたしは男から離れようと腰を浮かして、よいしょ、と言いながら離れようとしたそのとき、男の右手がわたしの腕を力強く握った。

きょとんとしたような表情は特に変わりは見られない。男はどうやらその無表情の奥に「嫌だ」という感情があるのかもしれない。

そうか、おまえはわたしと離れることを拒むということは、不満という感情がおまえのなかにあるということだろうから、そこはすこし、ホッとしたよ。

わたしは疲れた声でそう言うと男の上に腰が楽になるように横向きになって寝た。

男は重くて内臓が苦しいかもしれないが仕方ない。わたしも腰が痛いのである。

最初は男の目を見たときはその異体に怯んだが、それからじっと見詰めているとその異体さが痛々しく、美しいものに想えて男が愛おしくてならなくなり、男への愛を神に向けて心のなかで誓ったのだった。

気付けば男の身体は、人間の温かみと、その白い肌色とを甦らせていた。

男が甦ったことの喜びと安心から男の上でうとうととなり眠って目が醒めると、男はまだ同じようにわたしを邪気のない純然な目で見詰めていた。

こうとなれば日が暮れるまでに、この樹海を抜けださなくてはならない。

わたしは男の身体から起き上がって男の衣服を元に戻し、男を起き上がらせるためその手を引っ張った。

男は引かれるままに黙って上体を起こし、その肉身を立ち上がらせた。

衣服や髪の毛についた枯葉や土を払い落としてやると、地面に男の身体の下敷きになっていた黒いバックパックを見つけた。

拾って中を見てみると、男の免許証やクレジットカード、携帯電話や大量の包装シートの向精神薬、財布や手帳、ノートとペンなどがばらばらと入っていた。

今になって気になったのが、男は一体どのような方法で自殺したのだろうか?

首にロープの痕は見られなかった。薬や劇薬を飲んだような形跡は見られない。(どこかで飲んでそのゴミはその場に捨て、この場所までのた打ち回りながら這いずって来たか、普通に歩いて来てここで眠ってそのまま死んだのであろうか)

とにかくこうしていられない、この樹海を一時でも早く脱出しなくては。

わたしは男の左手を握り緊め、来た方向を想いだそうとした。

ところが、完全に、愕然とした。

見渡す限り、似たような樹木の海である。どのように来た方角を憶えていられるのか?

わたしは男の顔を、困窮の顔で見上げた。

男は薄っすらと、天使のように微笑んでいるように見えた。

一縷の望みを男に託し、男に話しかけた。

「わたしは来た道を戻りたい。おまえは憶えているよね。おまえの来た道を、一緒に戻ろう」

すると男は足をその場で踏み踏みした。

「そうだ、その調子だ、おまえの来た道を、今から歩いてゆこう」

そう言うと男はついに、足を前に出し、操り人形か自動人形のような歩き方で歩きだした。

わたしは感極まり、幾度も涙を流しながら男とこの戻れない世界であったはずの世界から、もとの世界へ戻って来ることができたのであった。

何時間歩いてきたかわからないが、わたしと男は無事にバスとタクシーを乗り継いで(わたしの鞄は失くしたので男の財布からお金を拝借した)、わたしの家に到着することができた。

家に着くと、夜中の午前二時を過ぎていた。

やけに自分の部屋が、懐かしく想えたものだ。

わたしは歓喜にうち震えるなか男を力一杯抱き締め、トイレで用を足して水をグラス一杯飲むと、疲弊のあまりベッドの上にぶっ倒れた。

という企図を脳内で作りあげ、わたしは歓喜にうち震えるなか、男を力一杯に抱き締めた。

したら男が、約30分あまりの時間わたしの身体を離そうとしなかった為、我慢していた尿を漏らしそうになった。

男はやはり、わたしの言葉が伝わっているようで、まったく伝わっていないようである。

何度も「ちょっとだけ離してくれるかな」と優しく言ったものの、男は言うことを聴いてはくれなかった。

そして次に、トイレに入って一応、鍵を閉めたのであるが、これが男は気に入らなかったのか、何度もガチャガチャとしつこくトイレのドアノブを回し、わたしが用を足し終わってトイレから出ると、男の顔が哀しい表情をして涙で濡れていたのである。

わたしは男にこのような繊細な感情があることを賛美し喜んだがそのあと男は、約一時間近くわたしを抱き締め続け、全く何をどう言っても離そうとしなかった為、男がやっと離してくれて一緒にベッドに横になった瞬間、意識が物凄い早さで遠のいたことだ。

明くる午後、わたしは至福の感覚と全身の激しい倦怠感及び筋肉痛と共に目を醒ました。

時間はもう夕方で、何故こんな胸が圧迫されるのかと想ったら、男が頭をわたしの胸に突っ伏す状態ですやすやと子供のように眠っていたからであった。

それにしてもこの至福の時はなんという素晴らしさであるだろう。

まるでわたし自身も、男と共に甦ったような心地であった。

もしわたしが、男の死体を見つけなかったなら、もし男の死体が、わたしに見つけられなかったなら、わたしたちは共にあの樹海で腐敗してゆく運命であったのである。

わたしはそっと起きて男のバックパックのなかに入っていた免許証をもう一度よく見た。

名前はデニス・バーソロミュー(Denis Bartholomew)、年齢はわたしより7歳下の29歳、住所は都心に近いここから電車とタクシーで一時間あれば着くようなマンションだった。

財布のなかには名刺が入ってあり、会社はネットで調べたところどうやら新しい次世代パーソナルコンピュータを開発している会社のようだった。

ブラック企業だという噂もネット上には見当たらないし、技術者と言える有能な人材ばかりを集めたパソコン開発企業に勤めながら彼は一体何に絶望したのだろうか。

未来のコンピュータはどのようなものなのだろうか。パソコン開発というだけで皆わくわくして社員たちが働いているようなイメージがあり、わたしは漠然とした悲しみを感じた。

親や兄弟たちはいるのだろうか。恋人はいなかったのか。結婚して子供がいてもおかしくない。

でも住んでいるマンションは広めのワンルームのようだから、ここで夫婦や子供と一緒に暮らしているのはあまり想像できない。

わたしは免許証を眺めながら、そこに映っている几帳面で神経質そうでありながらも慈悲深い表情をしている写真の彼と、今わたしのベッドにまるで幼児のように眠る男が同一人物であるとはとても想えないのだった。

それは彼が”死体”であったときに、既に違うようであったと想いだす。

わたしは彼の隣にまた寝そべり、そのあどけない寝顔を見詰めながらこの男に、新しく名前をつけてやろうと想った。

彼にふさわしい名前、それは・・・・・・そこでわたしは、ふと聖書の言葉が浮かんだのであった。

それは出エジプト記の3章14節の聖句である、「わたしはなる、わたしがなる者に」というところだった。

これは神がモーセに対して告げた言葉であり、「わたしは何であれ自分の望むものになる」という意味であるとされている。

つまりこの訳が正しければ、神はモーセに、「わたしとおまえは同じである。おまえの望むものはわたしの望むものであり、わたしの望むものはおまえの望むものである」と言っているようなものなのである。

これを言い換えると、「わたしとおまえは同じものとなる。おまえの望むものはわたしの望むものとなり、わたしの望むものはおまえの望むものとなる」と言える。

そしてこの、「なる(生る、成る、為る)」という意味は、同時に「ある(在る、有る)」という意味が必ずあるということにわたしは注目した。

すなわち、「なる」は「ある」になり、「ある」は「なる」である、ということを意味しているとわたしは想ったのである。

ということは、「ある」よりも先に、「なる」があったかもしれないという面白い矛盾がそこに生じるので、その矛盾こそが、真理的に想えるのであった。

さらに、「ナル」とは、同時に「ナイ」ことではないかと想ったのは、「Null(ヌル)」というプログラミング言語で「なにもない」を表す言葉の英語の発音が、「ナル」であることから考えた。

このことから、「ナル」という言葉は「ある」という意味と「ない」という意味が同時に含まれている言葉であるのかもしれないという結論に達し、さらに、ナルシスの語源となったギリシア語のラテン語表記である「Narkhv(ナルケー)」には”昏睡、死、無気力、無感覚、麻酔、麻痺させる”という意味があるということを想いだし、「ナル」は「生る(ある)」という意味でありながら同時に「死」や「無」の感覚を意味しているという一つの言葉で対の関係性を表している言葉であることに気付いたのだった。

わたしのいま目のまえにいるこの男は死者なのか生者なのか、そのどちらでもあるのか、それともそのどちらでもないのか、と考え、今のところ、一番近いのは”死んでも生きてもいない”という状態であるのではないかと想い、在ると同時に無いという意味を持つ「ナル」という言葉に、同時に”在ることも無いこともない”という意味があると感じたので、この男に最も相応しい名前であるだろうとの想いから男の名を、「ナル」と名づけることとなった。

名前が決まったことにホッとしたので、わたしはもう一眠りすることにしたのであった。

わたしが次に目を醒ますと、男が真っ黒にキラキラと光る目でわたしをじっと見詰めており、その顔はどこか爽やかそうであった。

瞳孔は開ききったままの、瞳孔だけの目であっても、わたしはその目に癒され、その目に安心を覚えたのである。

わたしは男に向かって「おはよう」と言って微笑んだ。

男は何も返さないがどこか嬉しそうな顔をした。

「おまえの名を決めたよ。おまえの名は今日から、”ナル”。この名はとても深い意味が込められているんだ。どういう意味かというと、おまえの望むすべてが、おまえの望むとおりに”なる”という意味が入っているんだよ。そうであってほしいという願いを込めて、わたしはおまえを今日から、”ナル”と呼ぶよ。気に入った?ナル」

ナルはわたしを見詰めて瞬きをするばかりで、口角は微妙な笑みを湛(たた)えていた。

そのミステリアスな微笑はわたしの最も望む母性と父性のバランスをちょうど伏在(ふくざい)させているかのような笑みに想えたのであった。

わたしは胸の底があたたまる幸せな心地でナルと見詰め合っていた。

すると、ナルはすこし口元を引き締めるようにして鼻の穴も若干膨らませた。

わたしはどうしたのだろう?と想っていると、その瞬間、何かが噴出すような音がナルのところから聞え、次には仄かな赤ちゃんの糞便のような臭いが漂ってきたのだった。

ナルの顔は先程よりも益(ま)して、爽やかそうであった。

なるほど、なるほど、そうゆうことであるか。

わたしはナルの頭を撫でてやり、布団を捲(めく)って、彼の汚れた衣服を脱がせて丸裸にした。

彼は柔らかい糞便だけではなく、小便もしっかりと垂れておった。

衣服はもう、ナルの軟便を拭ったあと袋に詰めて捨てることにした。

彼は生まれ変わったのだから、同じ衣服を着る必要は最早ない。

わたしはナルの手を引いて、風呂場に向かい、わたしも服を脱いで二人で風呂に入った。

湯船にゆったりと二人で浸かっていたとき、ナルは気持ちが良かったからかまたも二度目の脱糞を行なった。

ナルと二人で湯船から上がり、栓を抜くと彼の糞便は水と共に、排水溝の奥へと流れて行った。

わたしはその様子が、非常に愉快であった。

彼の身体を洗ってやってると、彼の局部が元気になってきたので、それを打ち眺めているとわたしは昨日のことを想いだした。

たった昨日の出来事が、遠い昔に想えるのは何故か。

昨日、わたしが自殺の実行をしていたなら、わたしもナルもここにいないのである。

ナルはわたしを抱き締め、発情した雄犬のように下腹部を擦り付けてきた。

興奮と共に気が焦り、素早く彼の生殖器を、自らの生殖器の穴のなかへと挿し込んだ。

絶対に、彼の精液を外に放出させてなるものかと逆上して凶暴な感情になり、彼の尻を鷲摑みにして絶対に離すものかとその爪を尻肉に食い込ませながら行為に及んだ。

そしてその行為は、約30分以上続き、オルガスムスの脱魂するかのようなエクスタシーは延々と続いた為、わたしは快楽と同等の精神的な重苦に同時に襲われ、「消えてしまいたい」という感覚に陥った。

ナルはやっと力尽き、わたしを抱いたまま風呂場の床にしゃがみ込んだ。

わたしも貧血状態になったがナルも顔が蒼白になって苦しげに喘いでいたので可哀想でならなかった。

昨日に生殖行為によって、ナルを恰(あたか)も生まれさせ、そのたった次の日に早くも生まれてから初めての生殖行為を行わせてしまったことが哀れでならなかったのである。

ナルは身体こそ成人であるが、その意識状態は、成人のものとはとても言えないであろう。

いやその前に、ナルは人間と言えるのか。

人間とも言い難い存在とは、まるでまだ人間の形だけをして魂の宿っていない胎児のようなものではないか。

わたしはここに来て漸(ようや)く、ナルに対する過ちの意識と、彼と共に神から下された堕罪の苦しみを覚えたのであった。

ナルはそんなわたしの苦衷(くちゅう)も察することなく、わたしの乳首に興味を覚えたのか、乳首を弄ったり甘噛みしたりして遊んでおった。

わたしは起き上がってナルの手を引き、身体を拭いてやって風呂場から出て水を飲ませてシーツを換えたベッドに寝させてやった。

そして服を着てパソコンに向かい、ネットアパレルショップで黒とグレーのTシャツ4枚組セットと、グレーのシャツとチャコールのニットカーディガンとダークグレーのニットセーターと、黒のアンクルパンツと黒のテーパードデニムとブラウンのコーチジャケットとダークグレーのボクサーブリーフ5枚組セットと、セール中のグレーの靴下6枚組セットを、金欠なので仕方なくデニスのクレジットカードで注文した。

振り返るとナルは精根尽きてか、静かにうたた寝をしていた。

この時、樹海へ向かってから初めての空腹を覚えた。

家にあるのは白米とパスタくらいだったので白米を洗って炊飯器に設置して炊飯ボタンを押した。

こないだに、わたしはデニスの職場へ電話をかけた。

受付の男性が電話に出ると「そちらで働いているデニス・バーソロミューさんに繋いでもらえますか」と言ってみた。

男性は「少々お待ちください」と言って電話から離れ、少し経って戻ってくると「デニス・バーソロミューという社員は三ヶ月ほど前に自ら退職しており、現在この会社のどこにも所属しておりませんが・・・」と返ってきた。

わたしは「そうですか。ありがとうございました」と言って電話を切った。

自ら退職している、一体デニス・バーソロミューに何があったのだろうか。とりあえず仕事は辞めているので職場からの捜索願は出されることはないだろうからそこは安心した。

残るは友人、恋人、家族などからこの先捜索願を出された場合、やばいという問題である。

わたしがまるで自殺に失敗して白痴になってしまった男を誘拐し、監禁していると加害者扱いされるのではないか。

ここでわたしが彼らに「いや、誘拐したんとちゃいますがな、あのね、彼はね、わたしが見つけたときはもう死体だったんですよ。それでね、わたしがね、ちょっと秘術をあれしてね、彼を甦らせることにこれ成功したと、こないなわけだんねん」等と必死に弁明し説得させようとしても、わたし自身が閉鎖病棟に監禁される羽目になるであろう。

頭のおかしくなった彼をただ連れて帰ったと想われたならまだマシで、彼の頭をおまえがおかしくさせたんとちゃうんかと想われたらこれは厄介である。

彼はどう観ても、普通じゃない、特に彼のその目は、人間の目でもない。目の病気で目が瞳孔だけになる病気はあるのか知らない。

とにかく、わたしが恐れているのはわたしが彼らに変態性的嗜好者等と疑われることではなく、彼をわたしから奪われることである。

わたしは何があっても彼を奪われたくはない。わたしは彼の可愛い寝顔を見詰め、「ナルだって、そうだよね」と話し掛けた。

デニス・バーソロミューという男に、たぶん恋人はいなさそうだとわたしは想った。

多分いても、「てめーはよぉ、価値があんのはその顔だけだろ、顔以外、趣味は最悪だしくだらねえしよー、何が初音ミクだっ、話もつまんねーし、セックスは度下手だし早漏だし、てめー生きてる価値あんのかよー、死ねや、このghost faceがっ(白人を差別する用語)」等と言う女だったのではないか。

愛した女が、突如原因不明の粗暴で野卑な人格に豹変し、この世に絶望して死にたくなったのかもしれない。

あるいはこういう恋人だったのかもしれない。

「もう限界が来ました。本当のことをあなたに言います。あなたの身のこなし、ちょっとした仕草、ボディーランゲージ、何から何まで、女性的で柔らかくて、オカマ的で気色が悪いのです。わたしはもっと、上品だけれども男らしさの漂う、クールでニヒルのなかにもワイルドさを仄かに醸しだしデモニッシュ的かつディオニュソス的な男が好きなので、明日から約半年間地獄経験をこれでもかと言わんばかりに経験し、わたし好みの人格に生まれ変わる為に、中国の強制収容所で働きに行ってもらえませんか?それが嫌なら仕方ありませんね。未来永劫、無縁の関係となって戴きます」

こういった言葉を、「あなたを愛している」と今まで何度と言ってくれた天使のように美しく優しい微笑の顔で言われたので、男はその瞬間、”空”の境地に至ったのかもしれない。

または、デニスは同性愛者で、恋人の男が浮気をし、その浮気相手が自分の父親だったので死にたくなったのかもしれない。

ある晩、親父に旨い酒を持って行ってやろうと親想いの親切なデニスは、実家に赴くと、そこには髪がぼさぼさになって服を前と後ろ、逆に着ている親父が焦った様子で迎えて、その後ろから自分の恋人が同じく狼狽した様子で出てきて、「なんで君が、親父のところにいるんだよ」とデニスが言うと、明らかに言葉を探しながら「いやちょっと、おまえの親父さんに相談があってよ」などと引き攣った笑顔と震えの止まらない口許で言われて。

デニスが走って親父の寝室に行くと、ベッドの上には、恋人の長い栗色の髪が数本抜け落ちている。

よく観ると、その栗色の髪は、親父の白髪と、絡み合い、縺れ合っていた。

デニスの死を、誰が、止めることができるのであろうか?

最早、誰の「死ぬな」の言葉も、彼には届くまい。

逝くならば、逝かせてやろうデニスギス。

誰もがそう想うに違いない。

それ以外の万事がうまく行っていても、たったそれ一つのことだけで彼は奈落の底の底まで堕とされるのである。

その前に、彼の親父が死んでいてくれていたほうが、ずっと彼は幸福だっただろう。

哀れな男デニス。彼の一生は、一体なんだったのか。

何の未練も、きっとなかったのだろう。この世界に。

でももう大丈夫だ。彼の全ては、もう終った。

彼が生き返って、今ここにいるわけではない。

わたしが甦らせようとしたのは、彼ではない。

あそこにあったのは、彼ではなく、一つの鋳型(いがた)とダイカスト (die casting) のようなものだ。

ダイカストとは、金属製の鋳型に、溶かした合金を流し込んで器物を大量生産させる鋳造(ちゅうぞう)方式(方法)、またはその方法によって製造された製品のことである。

わたしがそのダイカスト法でもって、わたしの切実なる願いの熱く溶けた合金を彼の死体なる鋳型に流し込み、今ここにいる男、ナル(ダイカスト)を生産させたというわけだ。

”Die”という綴りは”死”という意味と”鋳型”という意味があるということは、死を裏付ける死んだあとの身体である死体というもの自体にも鋳型の意味が隠されているはずである。

聖書の創世記では、土(塵)で作りあげた男の型に神が息を吹き込んでアダムという人類最初の人間が創られた。

神が息(魂)を吹き込む前のその男の人型のものはまるで死体と同じものであっただろう。

そうであるならば、魂の抜けでたあとの死体を基に、神が再び別の魂を吹き込んで人間を創りだすことができないはずはないであろう。

わたしはこのダイカストと死の繋がりを知る前に、その繋がりを寓喩(ぐうゆ)しているかのような夢を見たことがあった。

その鋳型には、自分であって自分ではないという存在が拘束具によって拘束されており、それをわたしは中空から見下ろしていた。

その鋳型に、自分を嵌め込んで作り上げ、苦しく痛い幾つもの頑丈な拘束具で拘束したのはわたしであったはずだ。

新たに誕生した喜びというものを覚える暇もないほど、わたしは誕生する為に必死であり、失敗してはならないという緊張で絶えず高揚していた。

このとき、ピーッピーッピーッピーッピーッという「ご飯が炊けましたよー」という合図のビープ音が廊下で鳴り響いた。

あ、もう炊けたんや。しばらく思念の海底でもぞもぞしていたので、あっという間に時間が過ぎたようだ。

炊飯器、電子釜、電子ジャー、というダイスカットのその取り外しの利く内釜という鋳型のなかに、白米という魂を注ぎ込んで出来上がった出来立てほやほやご飯を、わたしはさっそく杓文字で混ぜに行った。

そしてこれで大き目の塩握り飯を二つ拵え、海苔を巻いた。

ちょうど、その握り飯を部屋まで持っていくと、わたしはナルとぱちくりと目が合った。

「ナル、起きたん」わたしはベッドで横になっているナルの身体を起こし、抱き締めようと想ったが、抱き締めるとまた数十分と離してくれないかもしれないと想ったので、頭を撫で撫でするだけにして、ナルに握り飯を手渡した。

わたしが目のまえで握り飯を食べると、ナルもそれを真似して食べてくれた。

こうしてすぐに真似をして食べることができるということは、ナルは幼児並か、それ以上ということだろう。

水を入れたグラスを二つ持ってくると、ナルは水も真似して飲むことができた。

食物を食べることができる、水も飲める、排泄もまだお漏らしだが問題はなくできる、風呂も嫌がらない、大丈夫だ、生きてゆく上での必要最低限なことはなんとかできる、わたしたちは、生きてゆけるだろう。

あとは二人が生きていくための生活費をどうするかである。

わたしは男の手帳やiPhoneを隈なく調べた。

どこかに、暗証番号は無いか?カードの・・・。

暗証番号さえわかれば男の銀行に貯蓄してきた死に金を確認して生活費として月に12万円でも引き落としてゆけるなら、なんとか二人で貧しいながらも生活してゆくことは可能だ。

もしそれが無理でも、わたしは長年の慢性的な鬱症状という精神障害を患っているため、生活保護を受けるなら二人で内緒に生きてゆくことも可能なはずだ。

男のiPhoneのアプリフォルダの2ページ目にあったメモアプリ、パスワードらしき羅列を発見した。

わたしはそのパスワードをアプリを隠すことの出来る機能制限という設定のパスワードに入れてみると、先程はなかったメモアプリが出てきたのでそれを開いてみると、そこには暗証番号らしき4つの数字が三つ書かれてあった。

これが何かの暗証番号だとすれば、暗証番号のメモを残しているということは、暗証番号を最近変えたか、男は健忘症のような症状があったのかもしれない。

しかしここで初めて、これがカードの暗証番号で、男の貯蓄を毎月引き落として男と一緒に生活した場合、わたしは何かの刑法に触れるのではないかという懸念が沸き起こってきた。

男の住んでいたマンションは多分賃貸であるだろう。ワンルームマンションを購入する人はいるだろうが、多分少数派ではないか。すると毎月支払わねばならない家賃を払わないでいると当然家主や管理会社の人間が何度もインターフォンや電話や張り紙なんかで知らせようとし、それでも払わなければ勝手に鍵を開けて部屋の中を捜索する。

おい、バーソロミューはん、おりませんやんけ。となって連帯保証人であるだろう家族の誰かに連絡が行くはずだ。

すると家族がデニスの行方を探し回り、果てには警察に捜索願を出すであろう。

そうなっては大変まずい。つまりわたしはデニスの借りている部屋の賃料を支払い続けてゆくか、あの部屋の賃貸契約を解約せねばならない。

解約となれば、本人でなくどこの人間かもわからないわたしが行なうことはできないはずだ。

ってことは、わたしはデニスの部屋の賃料を払い続けて行かんければ、最悪、ナルと引き離される可能性が出てくるということである。

男のマンションの相場を調べてみると、ちょうど隣室が開いていて、そこは意外と安い管理費含めた137,000円であった。

35階建てマンションの34階、築22年、11畳のリビング兼ベッドルームは2畳のキッチンと小さな壁で若干仕切られているものの空間的には一緒になっていてドアで仕切られていない為良い間取りとは言えない。この間取りは絶対におかしい。何故なら一人暮らし用の冷蔵庫の煩さを少しでも考慮するならベッドルームとキッチンをドアで隔てない間取りなど作らないはずだからである。(しかしガスコンロが3口もあるというのは素晴らしいにも程がある。デニスは自炊をしていたのだろうか)

キッチンの奥のスペースはSto.と小さく書かれていて、これはStorage(ストレージ)の略で、倉庫・貯蔵室・納戸のことであるようだ。貯蔵室があるワンルームマンションなど、便利ではないか。

しかしこの間取りを設計した人間というのは、人間がどうすれば少しでも心地好く暮らせるかということをやはり完全には頭に入れていない人間である。キッチンとリビング兼ベッドルームは、必ずドアで仕切るべきだ。

しかしここにわたしたちが住むと決まったわけじゃなし、どうでもええことに頭を悩ませてしまったではないか。

男の収入を想像するともう少し良い部屋に住めそうに想うが、デニスはきっとこの場所、この部屋が気に入ったのであろう。

冷蔵庫の稼動するブイーンブイーンという音にストレスを抱えながらも耐え忍んで暮らしていたのかもしれない。

わたしはデニスが住んでいた部屋を見に行きたくなった。一体どんな部屋の中なのだろう。男の持っていたバックパックの中身をすべて出し、鍵を探した。するとバックパックの外の小さなポケットの中に鍵が入っていた。

鍵は一つだけだ。良かった。デニスは多分車を持っていない。もし車を持っていたなら駐車場代やらで余計支払費が嵩んでしまう。

デニスの住んでいたマンションまで電車とタクシーで一時間もあればたぶん着く。

そうだ、ナルのために注文した服が届いたら、すぐに行ってみよう。

早くて明日着くかもしれない。

わたしは想いついて急いでナルの不自然な黒い目を隠すためのAmazonで薄いブラウンの色が入ったサングラスを注文した。

これも明日届けてくれるようだ。

わたしはさっきからナルが裸ン坊のままでいることが気になってはいたが、特に寒そうにしている様子は見受けられなかったので、お腹だけは冷えないようにブランケットを腰に巻いてあげて、あとはそのままにしておくことにした。

ナルはずっとずっとわたしをきょとんとした澄んだ眼差しで見詰めている。わたしが動くたびにわたしを目で追う。

たぶん、何も考えていないに違いない。いや、ずっと何かを考えているのかもしれないし、錯綜な意識が渦巻いていてもおかしくはないのだが、その意識や考えや彼の言語というもの自体が人間のそれとは種類の違うもので、彼はやはり人間的なのはその肉体と習性、本能といったものだけで、それ以外が人間ではない人間離れしたもののように感じられて、わたしはそれがどこまでも清々しく、それがわたしを幸せにするのだった。

わたしはナルの目と合わせるたび、胸がときめいて、ドキドキとしてナルに恋をしていることは確かであるのだが、ナルへの恋は神に背く行為であるのだと感じていた。

なので近づいて触れたい想いが募れば募るほど近づくことが苦痛であるわたしがいて、その為、こうして少し離れたところから御見合い結婚で結婚した新婚夫婦のようにちらちらと目を合わすことしかできないのであった。

嗚呼、恋。これが本当の恋というものであるのだろうか。彼を愛するあまり、彼に触れることが苦しみに変わるのである。こんなことは小説のなかで何万回と言われているのかもしれないが、そうか、これが真の恋なのか。わたしはこの歳でやっと真の恋を知ったのだと、そう想って、あんまりその恋が胸を苦しくさせたので、ちょっと残っていた赤ワインを、キッチンで飲んだのである。

すると、視界から消えたまま戻らないわたしを心配してか、ナルは不安そうな表情になってキッチンへ歩いてやってきた。

その歩き方というのは、ちょうどハイハイから立ち上がって二足歩行ができたばかりの幼児の歩き方に似ていた。

これが、本物の小さな幼児であったなら、あー可愛い可愛いなあーと想いながら抱き上げることもできるのだと想うのだが、彼の場合、幼児のようでありながら成人のようであり、成人のようでありながら幼児のようなのである。その彼が、廊下と居間の段差のある敷居を跨ぐ瞬間に、彼の頭の後ろに後光が見えたように感じ(ただの逆光であったかもしれないが)、その眩き神秘なる存在にわたしは一種の恐れを感じた。

わたしは近づいてくる彼に対して後退りし、玄関ドアのところまで逃げ、追い込まれて、ふうふうと息を荒げながら彼と壁の隙間をすり抜けるように走って居間に逃げ込んだ。

するとナルはそれにショックを受けてか、居間に戻ってくると涙を嗚咽しながら落としだしたのでわたしはナルを力一杯抱き締めると、ナルもわたしを想いっきり、苦、苦しい・・・・という力強さで抱き締め返し、その後、立っている力も尽きて床の上にずるずると落ちたわたしをナルは夜明けが来るまで離してはくれなかったので、わたしはナルに抱かれたままその疲労から何度と意識を失ったのであった。これが、本当の本当の恋、嗚呼、そういえば、うちの姉が「子供ができると、まるで子供に恋をしているような気持ちになる」とかって、ゆうとったよなあ、と想いだしながら。

胸のなかがあたたまりながら縄で締め付けられるように、幸福であり、苦しかった。


インターホンのチャイムの音で、わたしは目が醒めた。

宅急便かっ、わたしは慌ててベッドから飛び起きてインターホンに出ると望み通り宅配便であった。

服一式とサングラスが同時に届いた。

時間は昼を過ぎている。わたしが居間に戻ると、ナルが起きていた。

また不安そうな表情をしてベッドの前に突っ立っていた。

わたしはナルの手を引いてトイレに行き、ナルをそこに座らせた。

どうにかトイレで排泄をさせたい。昨日漏らしてからナルは排泄をしていないだろうから、きっとものすごく我慢している状態に違いない。

わたしはナルの排泄欲を促すため、彼のお尻の穴を後ろから手でマッサージしてやった。

すると驚くほどに、彼は途端に迸るほどの糞尿を排泄したのだった。

わたしの感動は凄まじく、彼の排泄器官から流れ出る糞尿が神の流す金色の涙の如くに想えたことだ。

彼のお尻を拭いてやり、さっと二人でシャワーを浴びると早速、届いた服を彼に着させてやった。

グレーのシャツの上にチャコールのカーディガン、下は黒のアンクルパンツ、グレーのソックス姿のナルは、とても好青年に見える。

届いた薄いブラウンの色の入ったレンズのグラスをかけさせてみると、怪しくなるだろうかと想ったが案外御洒落で似合っていた。

握り飯をまた二人で食べ、彼にブラウンのコーチジャケットも着させ、わたしとナルは往来へ出た。

まずは近くのコンビニのATMでデニスのカードからお金を下ろせるかやってみる。メモアプリにある暗証番号を順番に打つと二回目で通った。

残高は、ゼロが7つの、10000,000円、1000万円・・・・・・ちょっきし入っている!

カードは三枚あったので、他の二枚のカードも暗証番号を入れてみた。

何度も試してやっと暗証番号が一致し、残り二枚のカードにも同じく1000万円もの金額が入っていた。

ということは、デニスの貯蓄3000万円を使えるということか・・・・・・。

わたしはその金額の多さに忙然としたが、ここで長々と突っ立っているわけにもいかないので、とりあえず20万ばかしだけを下ろし、一応お握りやお茶、それと札を入れる封筒なんかをレジで購入してコンビニの外へ出た。

そしてお金が少なければ電車とタクシーでデニスの家に向かおうと想っていたが、それはやめて、タクシーだけで行くことにした。

多分片道4千円ほどで行けるはずだ。

タクシー会社に電話してコンビニの前のベンチに座ってナルと待つことにした。

ナルにペットボトルのお茶を最初は自分が飲んで、次にナルの口元まで持ってってやるとナルはそれをごくごくと飲んでくれた。

あんまり飲ませすぎてタクシーの中でお漏らしするとやばいので少しだけにしておいた。

ナルはわたし以外に興味がまだ持てないようでじっとわたしの目を横から見詰めてくる。

すべての記憶を喪った人間もこんな風に、目を醒まして初めて見る相手を親だと想って愛を求めるものなのだろうか。

本当はナルにもっと素晴らしい場所へ最初に連れてってやりたかったが、ナルはわたし以外をまったく観ようとしないため、連れて行っても意味ないんかなと想って、デニスのマンションへ直行することにした。

西日が目に眩しく、タクシーは本当にわたしたちのところに来るのだろうかと想った。

15分ほど経過して、タクシーは到着した。

わたしはナルの手を引いてタクシーに乗り込んで、メモしておいたデニスの35階建てのマンションの住所を運転手に伝えた。

無口な運転手は何も言わずタクシーを走らせた。

流れてゆく景色を最初のうちは窓から眺めていたが、何の面白みも感じられない景色ばかりで、また西日が強くてつらかったので観ているのも億劫になりわたしはナルの肩へもたれて目を瞑った。

目を醒ますと、タクシーはマンションの前に着いていた。

わたしは料金を払い、ナルと一緒にタクシーを降りた。

運河のそばの歩道は広く、その道路際に建っているデニスの住んでいた高層マンションが西日に照らされて美しい景観を作りだしていた。

誰かが部屋に居ないことを祈って、わたしはナルの手をぎゅっと握り締めてオートロックのドアをデニスの鞄の中に入っていた鍵で解錠し、広い高級感溢るるエントランスを通り抜けエレベーターで彼の部屋のある34階まで上がった。

エレベーターが34階に着いて、わたしとナルはデニスの部屋の前に立ち、緊張と不安のなか、その白いドアの鍵穴に鍵を差込、解錠せしめ、震える想いでナルと共にデニスの部屋の中へと入った。

入ってすぐ、たたきには靴が一足もなかった。ということは、部屋に誰かがいる可能性はこれは低いのではないか。玄関のたたきに靴を脱がない人間とは強盗か外国人くらいであろう。

もっとも、デニスはアメリカ人でアメリカ人の友人や恋人や家族が靴を脱がずに上がりこんでいる可能性はこれは十分に有り得る。

わたしはほっとした瞬間また不安になり、それでも一応靴は脱いで、ナルの靴も脱がせて(ナルの靴はデニスが履いていた靴である)わたしたちは恐るおそる、廊下を進んで突き当たりのドアをそうっと開けた。もし誰かに会ったなら、こう言うしかないと考えていた。デニスは何故か事故にでも合ったのか、記憶をまったく完全に喪失してしまっている。あなたは誰ですか?デニスのなんですか?彼女?まさか。わたしがデニスの最も愛する女ですよ。マジっすよ。数えきれないほど、デニスと寝た女ですよ。日本人は嘘をつかないんですよ。っていうのがまあ、大嘘なんですけれども。たはは。たはは。と笑って誤魔化す。そうするしかないだろうと、わたしは他に良い考えがてんで浮かばないのであった。

白い木目調のドアを静かに開け、わたしは部屋を見渡した。

大きな窓が奥と右側に合計三つも在る。そのすべてにブラウンのブラインドが掛かっている。左側にベッド、右側には小さな円形のカウンターテーブルとチェア一脚、デスクとデスクチェアとデスクの上には大きな液晶のパソコン、二人掛け用のソファ、水母(くらげ)っぽい形のサイドテーブル、姿見のミラー、木のシェルフには本が並んでいるのが見える。寝具やラグや間接照明ランプやヒーターなるもののそのすべてダークブラウンで色を揃えていて白い壁と薄い色のフローリングに色が冴えている。デニスはかなり几帳面な性格だったのだろう。そして木や土の温かみというものを強く欲していたに違いあるまい。11畳はさすがに広々としているなあ。とわたしはその片付いて整頓された綺麗でミニマルな部屋を打ち眺め渡した。心和む植物やペットもない。壁に何一つ貼られてもいない。

はっとまだ確認していない空間を想いだして、わたしは左の奥まったスペースにあるキッチンを覗いた。

幸い、そこにも誰かがいて「おい、誰なんだよ」という意味の言葉を英語で「Hey, who is it?」と言われることもなかった。

良かった・・・あとはトイレとバスルームと、ストレージを確認したほうが良いだろう。

わたしはナルをその場に残してあとの三つの空間を誰も居ないことを確かめた。

誰もわたしに向かって、驚愕した顔で「Hey, who is it?」と言うことはなかった。

もしトイレやバスルームを開けて、下半身丸出しか、または全裸の状態で「Hey, who is it?」と言われても、わたしはどうすれば良いのかわからずに、無言でドアを閉めざるを得なかったであろう。

良かった。本当に良かった。この部屋には今、わたしとナル以外存在していないようだ。

デニスは自ら命を絶つほど絶望のどん底に生きていたであろう人間だから、この部屋に彼を心配して尋ねてくる人ひとりいなかったのかもしれない。

考えれば考えるほど、デニスの存在が哀れに想えるのだった。

普通ならこんなええところに住んで、ええところに勤めてて、アメリカ人で顔はHottie(イケメンツ)で美しく身長もそこそこ高いし、胸毛と臍下の毛もちょっとだけ生えていたし、もて過ぎて困りますねん、たはは。ぱ・は・は・の・は。とか笑って生きられそうな人間でありながら、何ゆえ、何故にデニスは絶望し切って死というものを打ち求め、Kill oneself(自殺をする)を実行に移したのであろうか。

バルコニーからの眺めはさすが、高層ビルが運河の間に建ち並んでおり、その真ん中をリバースブリッジという橋梁(きょうりょう)が猛々しくも聳え立つ絶景であった。だがその大気は光化学スモッグで霧がかっており、大気汚染を感じずにはいられなかったので夜に限定して観たい景色である。

わたしはとりあえず、この部屋の真ん中でナルと突っ立っているのも何か居た堪れない想いになってきたがため、少し、落ち着こうと想ってナルの手を引き寄せてデニスが何度と座って寛いでいたであろうソファーに座って背を「ふうーっ」と息を吐きながらもたせた。

座った途端、ナルが、デニスの記憶を取り戻し「どうもわたしを甦らせてくださいまして大変ありがとうございます。わたしは本当にあの時、死んだと想いました。いや、想っただけじゃなく、実際死んだのです。それがあなた、あなたが、このわたしを甦らせてくださったと、こういうわけで間違いありませんか。あの時、立っていて、本当に良かった。この御恩は、一生忘れやしませんよ、ええ、本当ですよ。良かったら、一杯どうですか。紅茶でも淹れましょうか。それとも、ワインを持ってきましょうか」などと言いだしはしないよな、と右に座ったナルの目を見詰めながらひやひやとして落ち着けなかった。

もしくは、デニスの変なところだけ想いだして今日からアナルセックスとかを強要されても嫌だなと本気で想った。

アナルセックスは厭だ・・・いくら無邪気に可愛い息子のように甘えてくるナルに強要されてもそれだけは、勘弁だ。

しかしデニスは可なりの変わり者であったのではないか。

本棚を見てみると「聖書」とか、ジョージ・オーウェルの「1984」とか、ジョン・アーヴィングの「サイダーハウス・ルール」とか、ハヴロック・エリスの「夢の世界」とか、ウィリアム・バロウズの「裸のランチ」とか、フィリップ・K・ディックの「ヴァリス」とか、マルキ・ド・サドの「ソドム百二十日」とか、ドストエフスキーの「白痴」とか、アンドレ・ジッドの「背徳者」とか、町田康の「どつぼ超然」とか、ルソーの「孤独な散歩者の夢想」とか、「ペロー童話集」とか、ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」とか、「アミ小さな宇宙人」とか、ノヴァーリスの「青い花」とか、Yukio Mishimaとか、Soseki Natsumeとか、「マラルメ詩集」とか、フロイトの「性と愛情の心理」とか、フリオ・コルタサルの「悪魔の涎・追い求める男」とか、ロートレアモン伯爵の「マルドロールの歌」とか、孟司, 養老とか、セリーヌの「夜の果てへの旅」とか、ヴィクトル・ユーゴーの「死刑囚最後の日」とか、ゴーリキィの「どん底」とか、「息子ジェフリー・ダーマーとの日々」とか、ロバート・ルイス・スティーヴンソンの「ジーキル博士とハイド氏」とか、ユングとか、ニーチェとか、バタイユとか、フーコーとか、トルストイとかヘッセとかカフカとかリチャード・ブローティガンとかエドガー・アラン・ポーなどが並んでいた。

とにかく全ての本をちゃんと読んでいるのかどうかもわからないが、デニスは色んなことを知りたがり屋で、好奇心に溢れた文学青年であり、知識に飢え切った餓鬼の如くにあらゆる書物を読み漁っていたのはこの書棚を見ただけでもわかるものがあるのだった。

デニスは一体なにを求めていたのだろう。何をこの世に乞い求めながら独りで寂しく死んでいったのだろう。

彼の”遺書”は、この部屋に存在しないのだろうか。

わたしは尿意を覚えたので、その前にナルをトイレに連れてってやり、お尻のマッサージを施してやるとナルは気持ち良さそうな顔で放尿したのでわたしも安心して嬉しかった。きっとこれを何度と繰り返していればナルはそのうち一人で排泄行為ができるようになるかもしれまい。

わたしは彼をトイレの外へ出して用を足したかったが、またうるさくドアノブをガチャガチャいわされて壊されたりなんかしたら厭だったので、仕方なくドアを開けたまま着ていたチュニックで股間を隠すように素早く用を足してトイレから出た。

ナルと自分の手を洗面所で洗い、もう一度バスルームや洗濯機のなかや、シューズボックスのなかを一応確認した。

洗濯機のなかは残念ながら空(あったとしても特に手掛りになりそうではないが)で、シューズボックスのなかにはブルーのシューズと黒のスリッポンがあった。

そういえばデニスはスーツを着てブラウンのビジネスシューズを履いていたが、なんで仕事を三ヶ月前に辞めているのにそんな格好で樹海へ向かったのだろう。

スーツ姿で何か用事を済ませたあとに樹海へと向かったのだろうか。

わたしはもう一度デニスの持っていたバックパックの中身を隈なく調べた。

何か見落としているものはないか?

するとバックパックの内側のポケットのファスナー側に何か引っかかっている用紙が一枚、その裏にもう一枚レシート上の紙があることに気付いた。

その用紙を取って引っ繰り返して見ると、それは彼の顔が六つこちらに向かって優しそうに微笑を浮かべている証明写真であった。あの日着ていたのと同じスーツ姿に見える。

履歴書、証明用サイズの写真、彼はまた新たにどこかへ就職しようと考えていたか、もしくは資格か何かを取得しようとでも考えていたのだろうか。

奥にあったレシートを見てみると証明写真機のレシートのようであった。

日付は驚いたことにわたしが彼を樹海で見つけたあの日の前々日午後五時三十七分であった。

彼はこの証明写真を撮ったあと、そのまま樹海へと向かったのであろうか。

今から死に逝かんとする者がなにゆえに証明写真を撮り、またなぜにこのような優しい微笑を浮かべていることができるのか、彼の行動はまったく正気の沙汰とは想えないものである。

それともこの証明写真を撮ったあとに、何事かが彼の身に起きて、すべてが虚しく壊れてしまったのだろうか。

そして重く、じっとりと身体中を嘗め付けるような死の黒雲は彼を包み込んで離さず、衝動的に樹海の奥地へと向かったのか。

デニスは確かに、立っていた。

わたしが彼を見つけたとき、既に彼は立っていて、著しく、狂おしい未練を此の世に残して彼は死んでいた。

彼のその死体現象、死後変化というものはその皮膚の蒼白と死体温と死後硬直、あとは皮膚の乾燥と唇が青紫色がかった褐色になっていたことくらいしか見られなかった。皮膚の乾燥状態と唇の変色は生きた人間とさほど違いは感じなかった。肌寒いくらいの気温だったからかまだ腐敗の変色なども目に見える限りはなかった。

わたしはアンドロイドで”死体現象”というものについて調べてみた。

一般に死後12時間も過ぎれば角膜が濁りだす。

できれば死体の乾燥現象と共に現れてくる瞳孔の透見が不可能になるほどの混濁した彼の角膜を観てみたかったとわたしは後悔した。

今のナルの真っ黒な瞳孔だけの異様な目と、一体どちらがわたしを感動させただろうか。

わたしはそれがどうしても知りたかった。

わたしは目を開けたナルの目を見たとき、最初に”死んだ鯨の目”を想起した。

ナルの目は、とても優しくて悲しい死んだ鯨の目に見えて仕方ないのである。

目には見えなくとも、内臓は既に自身の酵素による自家融解なる現象は始まっていただろうし、腐敗も着々と進行していたはずだ。一般に消化酵素を持った臓器から自家融解して行き、死後1時間内外から腸内細菌の増殖が認められ、腸内細菌の繁殖と胃腸の融解により腐敗が進行してゆくのだという。

通常は長くとも死後硬直後30時間も過ぎれば腐敗の進行と共にタンパク結合が破壊され、緩解(かんかい)と言って硬直が解けてゆく現象が起きるらしい。

デニスの身体は触れたり上に乗った限りではまだ硬直しきっていた状態に想えたが、もしかしたらあの硬直状態でも緩解は始まっていたのだろうか。

既に内臓部はどろどろに融(と)け始めていたかもしれないと想うと、今のナルの内臓状態が一体どうなっているのかが気になった。

融けた状態で消化や排泄などできるはずもないであろうから、心配する必要はないだろうか。

わたしの隣、ラグの上に座り込んでいるナルのお腹や背中を服をめくってさすってみた。

変色、色素沈着、樹枝状血管網なる腐敗網などの異常も見られなければ、痛みを感じている様子もない。まあ、大丈夫だろう。

ソファーにぐったりと深く座り込むとナルの右から覗き込んでくるつぶらな瞳子(どうし)と目が合った。

これから、どうしようか。わたしはナルの真っ黒な眼を見詰めながら、海外の田舎の古い家を買って住むことはできないだろうかと考えた。

デニスの貯蓄で長期間暮らして行かなくてはいけないから今以上に貧しい生活になるだろう。タイニーハウス生活なんかも憧れる。

細々と、わたしは好きなくだらない小説を書き続け、ナルという大きな子供を育て、死ぬ迄生きて、死ぬときが来たら、ナルと一緒に死にたい。

ナルを独りで残すことはあんまり重い罪だ。

わたしがナルを甦らせる望みも持たなければ、ナルは今ここには存在しないのだから。

ではどこにいるのだろう。

そう想ってナルの瞳孔だけの目の奥を見詰めたとき、ナルが初めて、わたしから目を逸らし、立ち上がって覚束ない足取りで歩きだし、デニスのデスクの引き出しを引いて、そこから封筒のようなものをわたしのところに持ってきたかと想うと、全く濁ったことを考えていないような罪なき者の表情で手渡した。

わたしはナルが初めて自立行動を取ったことに恐怖と感動で心が打ち震え、ナルの心を読み取ろうとするも、ナルの表情に今までと違ったものが全く感じられなかった。

わたしは手渡された封をされていない白い封筒のなかを見た。なかにはデニスが書いたものだろうか、手紙が入っていた。

わたしは息を呑んで動悸が激しくなるなか正面に突っ立ったままのナルに見下ろされながら、その手紙を読んだ。






わたしは今まで、自分の中にあるものを言葉にした覚えがありませんでした。

本当は何も遺さず行く積もりだったのですが、わたしはもうこの世を離れるのですから、あなたに話しても良いだろうと思いました。

あなたが誰なのかもわたしにはわかりませんが、わたしが誰なのかもわたしにはとうとうわかりませんでした。

今まで、ほんとうにただただ生きてきました。

わたしは喜びというものをこれまで一度も感じたことがありません。

喜びという感覚がどういうものかを理解したいという思いも持ったことがありません。

人間がみなすべて、"死体"に見える。

そう言えば、きっと狂人扱いされるでしょう。

では、こう言ったとしたらどうでしょうか。

人間は生きているようには見えないが、死んでいるように見えるときが多い。

きっと精神を病んでいると想われるのでしょう。

今、この手紙を読んでいるあなたは、わたしの死体の第一発見者です。

この手紙こそ、わたしが死体であることを証明しているはずだからです。

人間が、生きていると思い込むのはとても愚かなことです。

少なくとも、わたしにはどの人間も、生き物には見えませんでした。

ずっとです。生まれてから一度も。わたしが本当に生まれた日はいつだか知り得ませんが、わたしの記憶にはないのです。

あなたはわたしの生い立ちが気になるのでしょう。

わたしは父も母もアメリカ人ですがわたしは日本で生まれました。

英語はつい3ヶ月前から学び始めましたが、とても億劫です。(今まで暗記した英語はすっかり忘れました)

アメリカ人なのに英語を話せなくてずっと日本に暮らしている。ただそれだけで人々はわたしを笑いの種にしていたことは確かですが、わたしはそんなことは全く気にもしていませんでした。

気にする必要がどこにもなかったからです。

彼らもわたし自身も、生き物だと感じられたことは一度もないのに、気にすることができるように想えなかったからです。

わたしは誰にも話していません。わたしがそのように感じた瞬間の時期も。

それはわたしがまだ母の胎内にいるときです。

母は日本でわたしを妊娠しました。

わたしは常に母の子宮内に、オキシドールの匂いが充満していたことをはっきりと記憶しています。

オキシドール(過酸化水素水)は骨格標本を作るときに使用されるそうです。

わたしを胎児の骨格標本にするために、母親はオキシドールを飲んでいたのでしょうか?

あまりに恐ろしい空間であったため、そのことについて母に訊くこともできず、母はわたしが7歳の冬に肺炎で死にました。

片言の日本語で、母が死ぬまえに病院のベッドで寝言のようにわたしにゆっくりと繰り返し繰り返し言いました。

「かぐや姫が、シンデレラ」「おまえ、死んでら」「死んで、死んで、死んで、神殿レラ、青、赤、白、赤、青、白、青、白、赤、黒」

わたしは母の遺言を、ノートに書き留めました。母は間違いなく、そう繰り返したあとに死んだのです。

わたしはこのノートを母が死んだあとに遅れて病室に遣ってきた父に見せましたが、「おまえの聞き間違いやろ、バカタレ。」とだけわたしに向かって怒りを抑えながら言いました。

父は普段は流暢な日本語の標準語を話していましたが、何故か本気で怒るときだけ変な関西弁になる癖がありました。

しかし、母は何度も何度も呪文のように繰り返していましたから、わたしはそれが聞き間違いであるはずはありません。

母は確かに生前、意味がわからないほどミステリアスな人でしたが、その様なわけのわからない言葉を発するような精神疾患はありませんでした。

でも父も母も、何を考えているのか解りませんでしたし、わたしは絶えず人間というものが全く奇妙なものに想えて、言い表すなら、それは、ただの一つ一つ微妙に違う木目の模様のようにしかわたしには見えないのです。

自分の顔も、鏡を見るとただの一つの木目模様のようなそれ以上のなんの感情も起こらないもので、わたしは不安で、わたしを安心させるものはこの世界になに一つありませんでした。

つまり木目模様を見続ける不安以上の感情の何ものもこの世界に感じられたことのない世界にわたしはいるのです。

そのような世界で誰かに打ち明け、これを解決させようという気持ちも起こらなかったのです。

人間というものはみな、大人しく従順なわたしに優しくあったが、わたしは愛されるよりも、恐れられているように感じていました。

人間だけに限らず、わたしは生まれてすぐ、目に見える生物と言われているものにほんのちょっと触れられるのを感じただけで、わたしの全身にはおぞましい鳥肌状の赤い蕁麻疹が出たので、誰にも触れられたくなく、誰にも触れたくはありませんでした。

わたしを含めた全員が、透明になるなら触れられるだろうにと想ったこともありました。

もしくは、互いに目に見えないほど、小さくなるなら、触れ合えるのだろうと想いました。

生き物と言われるそのすべては、わたしに不安をしか与えませんでしたし、わたしにとっての生き物とは、とにかくすべてなのです。

例えば今、わたしが紙に記しているこの文字の羅列、これも自然物であり、生き物として感じています。

わたしにはそれらすべてが、生きているようには感じられない生き物という存在物です。

本当にすべてが、わたしを不安にさせるのです。

わたしにほんのちょびっと足りとも、安心という快さを与えることはないのです。

わたしは彼らから、愛されていると感じられたことが一度もありませんが、奇妙なことに、彼らはわたしを愛しているのではないかとわたしは不安を感じ続けて生きて来ました。

わたしは常に不安の苦しみにあるのですが、不安を失うことは恐怖以外の何物でもない、不安をもし失う瞬間が在るなら、わたしは死んでしまう方が良いだろうと、そう確信します。

あなたは本当にわたしの死体を確認しましたか?

わたしはだれひとり、生きていると信じられないため、死ぬということも同時に信じることはできないのです。

あなたはわたしが死んでいることを確認できたのでしょうか?

わたしが生きていない死んでいる死体であるということを証明できましたか?

誰に対して?それはあなたに対してです。

わたしはあなたを知りませんし、あなたもわたしを知らないはずです。

それを知りたいという欲求はどこまでも空回りし続け、不安という釘で打ち付けられた柩が火葬や埋葬をされたあとにも、わたしの内部に変わらず在り続けてわたしはこの柩から出る手段を見付けたいという欲求は空回りし続け、そして不安という釘で打ち付けられたわたしという内部に、わたしの柩の蓋を不安という釘で打ち続け、わたしは内部から、欲求し続けています。不安で在り続けることを描いた絵のなかの柩のなかのその空っぽの存在空間の、不安の欲求という内的空間であるわたしのような何か。わたしはわたしだけに触れられるのです。

本当に生きる方法も死ぬ方法も見付かれば、ここに居続けることはできないとわたしはわかりました。

そうです。わたしは見付かりました。

早くあなたに会いたいです。

あなたは初めてわたしを見付けました。

本当のわたしです。

あなたは初めてわたしを見付け、あなたはわたしだけを愛し続けるようになるのです。


わたしの本当のママとパパの愛するあなたへ


あなただけのわたしより







デニスの遺書を読み終えた瞬間、ナルがまた歩いていって、何故かシェルフの棚にあった黒いコードレス電話機のボタンを押した。

すると「一件の新しい保存メッセージがあります。」と音声が流れ、そのあとに続いて男性の聴き取りづらい声が聞こえた。

わたしは電話機に近づいて、もう一度再生ボタンを押して耳を近づけた。

そこから聞えたのは洟を啜っているような音で、そのあとにゆっくりと涙声のような小さな男性の声が、何度も同じ言葉を繰り返していた。

彼は拙い英語で、何度も何度も、繰り返していた。


「Are We Dead Yet?(わたしたちはもう死んでいますか?)」


わたしはその声が、デニスの声であると確信した。


何故なら、そのあと、ふいにわたしがその左にあった姿見の鏡を覗き込んだとき、わたしは自分の目を、見ることから背け、鏡越しにわたしを後ろから見詰めるナルの目だけを見詰め返し、そう心の底から、確信したからだ。


わたしたちは、まるで生きてもいないし死んでもいないように想える。

しかしこの状態こそ、実は本当の死なのかもしれない。




Are We Dead Yet?

Are We Dead Yet?

Are We Dead Yet……?




彼の寂しそうに響くその声が、わたしのなかにずっと谺(こだま)し続けるかのように、消えなかった。

わたしは鏡越しに、ナルの目のなかの闇を、じっとじっと見詰め続けた。

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Undeads 白空 @sirosorajp

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