銀行人事と忖度~上司の自殺の意味
私が課長時代、直属の上司の副支店長が自殺した・・・
これは衝撃的なことだった。当時の丸の内支店は有名であった。それは、丸の内支店長がゴリゴリのやり手で、スーパーパワハラであったからだ。ノルマは当然厳しい上に必達。但し、出来ないとわかるとバッサリきられる。その上で支店のアピールするような仕事を求めてくる。
私も、転勤してきた時は毎日呼び出され、質問攻めにあい、答えられないと「もういい、部下に直接聞く。」とばっさりきられていた。次長からは、支店にいる課長で支店長の評価は一番低いみたいといわれた。ショックであったが、しかし、私は、意外と戦う方だったから、そのまま仕事は続けていられた。
ただそうでない人も多かった。過酷なノルマを与えられ、毎日毎日、会議と報告でプレッシャーにつぶされそうになる。丸の内支店では毎年5人の営業の大卒が入社しているが、5年後の生存率はゼロだった。毎年1人辞めていったのだ。
副支店長のことは入社時から知っていた。副支店長は若い時は職員組合の委員長をしていた。銀行の職員組合は、一般企業のそれとはぜんぜん違っており、銀行の経営を学び、経営者と同じ目線をもてるという幹部であった。簡単に言えば、第二人事部といえる。また、委員長ともなれば、人事部が指定しており将来を約束された存在でもあるのだ。
1年も経つとだいぶ支店長にもなれて、ようやく私と支店長も信頼関係も築けたころだった。副支店長が変わって転勤してきた。前述のとおりエリートの肩書きでわれわれは見ていた。すこし、丸の内支店で現場をで経験したら、次は本部だ、腰掛とは言わないが、あまり気にしなくてもいい人なんだと思っていたが、支店長の対応はぜんぜん違っていた。
その当時の、わが支店は業績が芳しくなく支店長は副支店長に対して全然配慮している風は無く、むしろ挑戦的な対応だったと感じられた。
叱責する場面も有りだんだん副支店長も言葉少なくなり顔色が優れなくなっていった。それが半年ほど続いたころだった。
支店長が、私に対し副支店長がいる前で、
「課長、今月の進捗と見通しを教えてくれ。」
といわれた時、副支店長が、
「支店長それは私から報告いたします。」
と言われたが、支店長は、
「いや、もういいよ。私が直接指示しよう。」
「そうですか・・・」
そういうと、副支店長は沈んだ感じで、席を立った・・・
それから、一週間後に部長は自殺した・・・
あの日は、朝から何かがおかしかった。朝8時半からの朝礼になっても上席の上司たち全員があつまらず、打ち合わせを支店長室でしており、支店全体がざわついていた。こっそり、次長に聞いてみると
「まだ、言っちゃダメだよ。今、境次長が確認に言ってるみたいだけど、副支店長が死んだらしい・・・」
それは、とても衝撃だった。その後の情報でようやくわかったのが、どうやら電車の事故での死亡・・・。つまりは、電車に飛び込む自殺だった。しかも、今日は株主総会の日で、朝礼が始まる時間でスーツを着た状態でのことだった。
また、不可解なことが、副支店長の通夜は一般社員が参加するのは禁止となった・・・
今思えば、なぜ株主総会のあの日だったのか?朝会議の日だったのか?スーツ着たままだったのか?会社来る途中だったのか?
いろいろ、疑問はあるが、やはり会社が原因だったのかと思いたくなる。
あのエリートの副支店長が・・・
支店長よりも出世するに違いない副支店長が・・・
役員からの評価が高かった副支店長が・・・
衝撃的なこの事件はいろいろ考えさせられた。
そもそも人事とは何だ!こんなパワハラが許されるのか!
人事の評価とは、一つは昇格(出世)であり、またボーナス(お金)の査定でもあった。意外とわれわれ銀行員はお金より出世をとる傾向がある。
ただ、どちらもまったく理解が出来なかった。昇格は絶対評価で、ボーナスは相対評価であるが・・・本当にきちんと評価されてきたのか?
ところが自分が課長として部下の評価をするときになって始めてきちんと評価されていないということが、課長として自分が評価できる立場に無いことからわかった。
『昇格評価は、部下に点数をつけて40点以上はB、60点以上はA』
等だが、知識や、リスク管理や、様々な項目で評価され数値化される。わたしが課長として部下を評価しようとした時、次長から
「酒井君は今回42点で、前田さんは48点で適当にお願いします。それでまわしてください。」
私は、「えっ、どういうことですか?」
次長、「私も部長からの指示です。よろしくお願いします。」
次長は、部長から言われたと言っていた。つまりは人事権のある人が判断し、私たちはただそれを通していくだけ、まったく私の評価や思いは要らない。とにかく、お上(人事部)に対する忖度だと思っているが、常にこういうお上(人事部)の力が働いている気がした。
どこまで行けば、自ら判断するのかいまだにわからない。もしかしたら支店長さえも、本部の人事部からの指示で動いていただけであろう。
そもそも、採用制度もオープンではないような期がする。銀行の採用制度には採用のリクルーター制度がある。金融機関の銀行や保険、証券等で採用している企業が多い。
自分の出身大学や、指定された大学の学生と会う。1次から3次くらいまであった後に、人事部面接という流れが一般的だと思う。但し、一般採用枠というのも有る。リクルーターを通さず、試験や面接を受けて入社するのだ。
私は、このリクルーター制度も銀行の閉鎖的な文化だと感じていた。所謂、融資等と一緒で、一見さんよりも「身内に近いもの、知っているもの、後輩等」を良しとする企業風土があると思う。
これは、組織としては異分子や、反対意見を言わない人物が多くなる。なんとなく村社会のようであるし、派閥も出来るのだ。同じ出身大学に、役員が何人いるとか、今は京大派が強いとか、慶応、早稲田までは役員になれるが、他の私大はなれた人がいない。等、実力とは関係の無いところでこの会社の未来は決められていた。
働き方改革がいわれてようやく気付いたことだが、「転勤は仕事のひとつだから、転勤が出来ないと難しいよ」とか、「転勤も仕事なんだよ」なんて、今ではハラスメントのひとつではないだろうか。それよりも、転勤が仕事なんて馬鹿にしてる。
ただ、転勤は下っ端だけでなく支店長にとっても重要な問題だ。東西産業銀行でも年間で数回転勤の時期がある。全国展開しているから転勤と同時に転居となる。人事部の同期から聞いたが、転勤の場所決めは、上位者(本部の部長や支店長)からのスカウト以外は、カルタかトランプのフダを全国に配るようなものだということだった。
最後の勤務地であった丸の内支店のこの酒井支店長は「東京出身で、どうしても西が嫌で大阪には行きたくないと無理を言って丸の内支店にしてもらった。」と聞いたが、さすがに役員クラスの支店長だと無理を言えるのかと驚いた。
採用されても一人前になるには、5年くらいかかる。それまではOJTにより現場で指導するのだが、新人が入ると本当に大変だ。特に銀行としては、バブル崩壊後の業績不振の影響で、ある時期が採用が極端に少なく人材不足でもあったので新人でさえも即戦力として見られた。即戦力とは即ちノルマも一人前に割り当てられるのである。人材の育成しながら、ノルマは一人前と非常に現場に負担がかかることを強いられ現場は本当に疲弊していた。
新人の育成だけでなくさらに困った問題は、使えない人材。例えば債権管理担当の黒田さんは50才過ぎて課長にもなっていないが、私に平気で、「俺は年収8百万円の現在でもう我慢して退職までいるよ。出世などしなくていい。この給料で我慢する。」というのだ。
8時半から17時半までほとんど生産的なことはしないで時間になると帰る。自分から進んで仕事しようとはしないのだ。銀行では、こういう人が3割以上いると思う。出世できなくても給与は高いから、世間的にはまったく問題ない。
不稼動な人材がそこそこ高い給料を貰い、生活のために時間を過ごす。そして、一部の出来る兵隊で組織は動き、兵隊が疲れて辞めると新しい兵隊が入ってくる。これでは、組織としてとてもクリエイティブな活動ができるわけは無い。
この組織の犠牲になった部長に対し、憤りを感じつつ、自分が内部から組織の風土を変えてやるという意気込みでその後はやってきた。しかし、自分のその思いが最後まで貫徹できず、さらに大きな犠牲を出したことは大変残念で私自身の退職にも繋がっていったと思っている。
出来なかった原因は、人事制度、ノルマ、本部制度等これまでの企業風土をかえるのは内部からではなく、多分外部からだと考える。特にノルマは様々な銀行に大きな弊害をもたらしており、薄利多売のこのビジネスモデルをもう少しクリエイティブなビジネスモデル(リスクテイクした目利き等による融資で企業産業の育成や、M&Aによる経済の活性化や、スタートアップ企業の育成等考えられそれらからの手数料は現在より高く設定できるものとかんがえる)に変換するべきであろう。合併するだけでは行き着くところは見えている。
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