ブラック上司の憂鬱

@NANIMONO

第1話

スマートフォンのアラームが鳴った瞬間に私は目を覚ました。

朝六時。隣のベッドで寝ている妻・綾子を起こさない様、すぐにアラームを止める。


枕元に置いていた眼鏡をかけ、リビングへ向かう。

冷蔵庫を開け、そろそろ食べてしまった方が良いであろう食材を選び、調理を始める。

料理は得意な方だし、嫌いじゃない。

テレビを付け朝のニュースを見ながら手を動かす。


「次のニュースです。株式会社〇〇の女性社員がパワハラが原因で自殺をしました。」


テレビの中の女性アナウンサーが深刻な顔でそう伝えた。

入社三年目の女性社員が会社のビルの屋上から投身自殺をしたという。

上層部の人間達がたくさんのフラッシュの光の中で頭を下げている。

会社は「パワハラ」があった事を認め、遺書に名指しで書かれていた女性社員の上司であった男性社員を解雇した。


「・・・パワハラねぇ」


近頃よく耳にするこの言葉は若者にとって大変便利な言葉だと思う。

今や、若者社員を怒る、という行動はリスクを伴う。

その流れに逆らうことなく私が勤める会社でも怒鳴り声は聞こえなくなった。


女性社員が実際どんな仕打ちにあっていたのかは分からないが、

自殺の選択肢しか残されない状況とは一体どんな状況なのだろうか。

思えば私も二十代の頃は罵声を浴びせられ、人格否定もされ、時には物が飛んでくることだってあった。

ただそれは私にとって「教育」であり、全てがマイナスのことでは無かったと思う。


「私の頃は、なんて通用しないか・・」


「何が通用しないの?」

気がついたらいつの間にか綾子がリビングに現れていた。

「いや、ただの独り言。おはよう、早いね」

「ふーん、おはよう。作ってる音が聞こえてきたから起きてきちゃった」

「あ、うるさかったかな?ごめん」

「ぜーんぜん」

そう言って綾子は微笑むと少し背伸びをしてキッチンを覗き込んだ。

「もうすぐ出来るよ」

「ありがとう!」

綾子はテレビの前のソファに座り、まだ眠いのだろう、大きい欠伸をした。

テレビはすでに次のニュースに変わっていた。


自分で言うのもなんだが、あり合わせで作ったにしては上出来な朝ご飯をテーブルに並べた。

わーい、と子供のように席に着く綾子。

「いただきます!」

「はい、いただきます」

さあ食べよう、という時に箸を止め綾子は私を見た。

「どうした?」

「この前、河合さんに自慢しちゃった」

「河合さん?」

「ヴァイオリン教室の生徒の河合さん」

「ああ、何を自慢したの?」

「毎週火曜日は旦那が朝ご飯を作ってくれるんです、もう結婚して20年経ちますけど出張の時以外は絶対、欠かしたことないんですよって」

「・・・へえ」

私は喜びを隠せず思わずにやけてしまう。

「河合さん、ずーっと娘さんの自慢話をしてるから、ちょっと間に挟んでみたの。そしたらその後黙っちゃって。あれは多分旦那さんとはうまくいってないのね」

「なるほどねえ」


私と綾子は子供に恵まれなかった。悩んだ時もあったけれど、私が28歳、綾子が26歳で結婚してから20年、今もこうして仲良く過ごせていると思うと夫婦2人で生きていくのも悪くないと今は思える。


「あー美味しかった。ありがとう」

満足そうに伸びをする綾子。

毎週この綾子の満足した顔を見るのが私の楽しみだ。

「それは良かった」

「洗い物はもういいから、会社行く準備しちゃって!」

「ありがとう」


身支度を整え、全身鏡の前に立ち深呼吸をする。

私の毎朝の儀式である。

「今日も1日、良い仕事をしよう」

自分に言い聞かせる。


綾子に笑顔で見送られ、家を出た。

こんな平凡な朝がこれからもずっと続くと思っていた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る