12『旅の過程にこそ価値がある』
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スーツケースを引いて上海浦東儷晶ホテルに到着したのは、午後十二時三十分過ぎだった。ここは以前にも宿泊した、三ツ星ホテルである。
一九九七年にオープンし、二〇〇七年に全面改装されたものの、建物は年季が入り、ロビーもかなり地味である。
地下鉄から歩いてすぐの便利さから、滞在を楽しむより、狭い部屋には寝るだけと割り切って観光を楽しむにはもってこい、とサクヤは割り切っていた。
「みんなで上海に来て以来やね」
高校の同窓会で知り合った旅好きの藤原キョウ、多田トモ、濱崎ミナトと訪れた日のことを思い出していた。高校時代はろくに話したこともなかったのに、卒業後に再会してお互い趣味が旅と知り、一緒に海外旅行へ出かけるようになった。
「都合が合えばやけどね」
それが一番難しい、サクヤは胸の内で呟いた。
チェックイン後、部屋に荷物を置いたサクヤがまず向かった先が両替だった。
通りでみつけた、自動外貨両替機で両替する。パスポートは不要だし、行列に並ぶ必要もない。日本語表示もあるので便利だ。
タッチパネルを操作するサクヤは目を細める。
「一元十六円。いややわぁ、円安。堪忍やで」
小さく舌打ちし、息を吐く。
かつて社会の授業で学んだことを、サクヤはおぼろげに思い出していた。
一九八四年、貿易赤字解消のために中国が打ち出した大幅な人民元安政策によって、世界は激動した。同じ共産主義国でありながら中国とソ連の対立は一九六〇年代から続き、中国の改革開放路線がますます対立を深めていた。戦後の米ソ冷戦時代の中、一九七九年の米中国交正常化は、米中VSソ連構造を生み出し、人民元の大幅な切り下げから十年も経たずに、ソ連は一九九一年に消滅した。
米中の融和関係から取り残される形で日本は、一九八五年のプラザ合意により大幅な円高に見舞われる。
その年のはじめ、一ドル二六〇円だったものが、年の終わりには一ドル一六〇円に値上がった。この傾向は続き、二年後には一ドル一二〇円まで跳ね上がる。
人民元は、プラザ合意前に二度目の切り下げを行っている。
切り下げ以前、一ドルが一・五元のところ、二六〇円。
元円レートにすると、一元は一七〇円となる。
それが一年後、一ドルが三・八元のところ、一六〇円。
元円レートなら一元四十二円。
さらに二年後、一ドルが三・八元のところ、一二〇円。
元円レートなら、一元三十二円。
三年で人民元は、五分の一に値下がりした。
やがて日本はバブル絶頂期を迎える。中国ではその後、天安門事件が起き、ドイツではベルリンの壁が崩壊、リトアニア・エストニアが独立宣言し、ソ連は崩壊し消滅。米ソ冷戦が終わり、東西ドイツ統一。日本のバブル崩壊がはじまり、長い平成不況に入っていく。
そんな一九九〇年、三度目の人民元切り下げが行われた。
元円レートだと、一元二十三円。
非自民政権の細川内閣誕生した翌年の一九九四年、四度目の人民元切り下げを行った。
元円レートなら、一元十二円。
人民元は円に対し、十年で十五分の一近く値下がりをしたことになる。
中国で千五百円の商品が、日本で百円で販売されることを意味している。結果、百円ショップに中国製品が並ぶ事となった。以後、中国が世界の工場と呼ばれていく。
三十年以前は今よりずっと元は高かったことを考えると、心の痛みは小さくなる気がした。落ち着いたところでサクヤは、昼ご飯を食べに上海の街へとくり出した。
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