第72話 温かい危機

<オトーサン、大丈夫ですか?>

 アキラの思考通信が若干お疲れ気味である。

 それ以上に私もお疲れ気味ではあるが。

<何とか、今のところは無事だよ>

 私は今、大きな寝台の上に乗っている。

 小さな手が私の柄を掴んでいた。

 

 あの後、昼食にパルファの娘であるフェイアも加わったのだが、大人たちの会話に飽きた彼女が壁に立てかかった私を見つけてしまったのだ。

 そして、私を持って逃走を図ったのである。

 当事者本人を除けば、アキラが1番慌てていたが、色々な意味でその場に混乱が生じた。

 今日も入り口でハンネスのチェックを受けていたものの、子爵たちは白い布に包まれた中身がホウキだとは知らなかった事もある。

 ひとまず、ホウキを持った幼子をどう取り押さえようとアキラが躊躇している内に、フェイアが私を引きずって食堂から脱出した。

 直後に白髪の老婦人、彼女自身の乳母に取り押さえられるも、フェイアは私を決して離そうとはしなかったのである。

 一応、そこで私がリブラ教官の家の家宝であり、形見離さず持ち歩くことになっていることが説明された。

 明らかな戸惑いの表情を浮かべつつも、エミーリアのフォローもあり、そういうこともあるのかという感で無理やり説明を飲み込んだ子爵一家。

 ただ、口にはしないが細かい感想はそれぞれで違うようだった。

 そしてその後、その家宝の持ち主が、とんでもないこと言ってくれたのである。

「大事に預かってくださるなら、帰るまでフェイアお嬢様にお預けいたしますよ」

 おかげで、その後、散々振り回され、おままごとに付き合わされ、馬の代わりに跨がれ、今はしっかり握られたままお昼寝に付き合わされていた。

 ちなみに握っている手は若干ねちょっとしている。

(これだから子供は嫌いだ……)

 早く、帰宅時間になることを祈らずにはいられなかった。


<ところで、そっちはどんな感じだ?>

 気分を紛らわせるべくアキラ達の現状を尋ねた。

<教官も合わせてお嬢様方にもて遊ばれています>

 どうやら、舞踏会に向けた準備ということで化粧の練習などをしているようである。

 そもそも良い素材が揃った面子だ。

 それは遊びがいはあるだろう。

<そっちも大変そうだががんばってくれ>

 内心、さっきの罰があたったのだと思いながら、心のこもらないエールを主にリブラ教官に送った。

 その時である。

 小さく扉をノックする音がした。


 乳母が扉を開けると、子爵と夫人が入ってきた。

「寝ているのか?」

「はい、遊び疲れて」

「そうか」

 そう言って細められた子爵の目はどこまでも優しい。

「本当によく眠ってるわ」

 寝台の端に腰掛けた夫人がフェイアの柔らかな薄い栗色をした髪を優しくなぜる。

 その瞳がこちらを見た。

「随分とこのホウキを気に入ったみたいね」

「そうみたいだな、眠っていてもしっかり握っているし」

 そう言った子爵の声には微かに嫉妬じみた気配があるのは気のせいだろうか。

 目に入れていも痛くないというのはあるが、まさか孫に気に入られるためならホウキになってもいいとか。

 そんなことはあるまいと思う。

 しかし、見上げた子爵の青い瞳の中には羨望の光もあった。

 ジジ馬鹿恐るべし。

「ところで、イングリド」

「はい?」

 子爵が乳母の方を向いた。

 乳母は一礼すると、静かに部屋の外に出ていく。

 扉が閉まるのを確認すると、子爵はバルコニーへと出るガラスがはまった扉の前まで静かに歩んだ。

 こちらに背を向け、穏やか日差しの中、子爵は言葉を口にする。

「エミーリアのことをどう思った?」

「少し、遠慮しすぎな面もありますけど、とてもいい子だと思いますよ」

 寝たまま自らの顔をこする孫娘の姿を微笑ましく見ながら夫人は答えた。

「もしかして、あなたはエミーリアをうちの養子に迎えようと思っています?」

 穏やかな夫人の声に、子爵は振り向いて首を振る。

「いや、それには父君の許可を得る必要もあるからな。そうではなく、私はアリベルクの相手としてどうかと考えている」

「まあ」

 どうやら、それは予想外だったらしく、口元を覆いながら夫人が目を大きくした。

 アリベルクというのは、パルファとコリンヌの間にいる子爵家の長男である。

 話によると今年20歳になり、王宮に仕えているということだったが、ゆくゆくは子爵、そして伯爵の爵位を継ぐことになるはずであった。

「アリベルクもそろそろ身を固めることを考えても良いだろう。エミーリア自身のこともあるので、すぐにという訳にはいかないだろうがね」

「でも、なぜ突然そのようなことを思ったのですか、それこそお父様の許可を得るにはそれなりの理由がなければ」

 夫人の疑問はもっともだった。

 いずれ伯爵家を継ぐ男子である。

 その嫁になら、多くに家から良い話が舞い込むはずだし、実際、今でも舞い込んでいてもおかしくなかった。

 他の有力家と血縁を結ぶことによる家の繁栄も含め考えても、ここでエミーリアを迎えるメリットは子爵にはまったくない。

 それが、もし兄であるブドルク男爵の遺言の中にあったと仮定してもだ。

「正直、我が兄への義理立てという部分があるのも正直なところだが、それよりもエミーリアを迎えていることが、後々、リヨンド家にとって大きな幸運になる可能性があるのだ」

「幸運とは?」

「それは今は言えない、すまない」

 重く落ちた子爵の言葉の横で、フェイアの寝息が静かに穏やかに舞っていた。


「ホーキしゃん、またね~」

 夫人に抱かれたフェイアがそう言って手を振る。

 それに合わせてアキラが、シーツに再び包まれた私を馬車の窓越しに小さく振った。

「エミーリア、それではまた明日」

 子爵の言葉に、エミーリアが頭を下げる。

 御者の鞭の音と共に、私たちを乗せた辻馬車が動き出した。馬車は外周区での人目を避ける意味もあり、このまま拠点に横づけされる予定になっている。

 アーチを潜り抜け馬車が進む。見ると、屋敷玄関前でまだ夫人たちがこちらを見送っていた。


 その姿が見えなくなって、一同は一気に息を吐く。

「疲れましたね」

 アキラが心の底からそう言った。

「申し訳ありません。私にお付き合いいただいたために」

 エミーリアが肩を小さくする。その顔には化粧が施されており、今着ているドレスのこともあり、その姿は貴族の令嬢といってもさほど疑われはしないだろう。

「いや、気にすることはないさ。それに良い人たちで良かった」

「はい」

 心の底からの同意でエミーリアが頷いた。

「それに、舞踏会への参加も正式に決まりましたしね」

 少し、元気を取り戻した様子でアキラがそう言う。

 実は屋敷で、私たちはある物を見せられていた。

 それはエミーリアのための舞踏会への招待状。

 その後、子爵とリブラ教官の話し合いが行われ、明日からは舞踏会の準備を伯爵屋敷内で行うこととなった。

 内容は、王宮でのマナー、ダンス、化粧と身体の手入れ、と多岐にわたっている。

 しかし、子爵夫人を始め、娘たちも恐ろしくやる気をみせており、私たちには拒否できるような空気ではなかった。ちなみに、お嬢様方のたっての希望で、お手伝いとしてアキラも同席することになっている。

「明日からは、今まで以上にがんばってやらないとですね」

 鼻息も荒くそう言ったアキラにの顔を見て、エミーリアが苦笑いを浮かべた。よく見るとアキラの顔には化粧の残滓がところどころに残っている。どうやら、アキラもお嬢様方の餌食になっていたようだ。

 落とし残しについては、後で教えてやろうと思いつつ、リブラ教官の方を見る。

 彼女も、もちろんのように化粧を施されていた。

<トーサン、私の顔に何かついているのか?>

 私には目はないが教官にはお見通しのようである。

<化粧が付いていますよ>

<コリンヌ嬢が妙に興奮してな、エミーリア以上に手を掛けられてしまった。正直あれには参った>

 心底、参ったという感じの思考。

 直後、淡い色の紅を塗った教官の口の端がふと微かに上がった。

<似合ってないだろ>

<まあ、すっぴんの顔を日頃見慣れていますからね、違和感がまったくないと言えば嘘になりますかね>

<そうだな>

<ですが、似合っていないわけじゃないですよ、美人の前に絶世のを付けても、まあいいかなと思うくらいにゃ>

 リブラ教官が窓の外を見るようにして、こちらに背を向ける。

<そうか、化粧は苦手なんだがな……>

 その後ろ姿はなんだか微笑ましく、見ていたい誘惑はあった。

 だが、それよりも優先して耳にいれておくべき報告がある。

<リブラ教官、実は子爵と夫人の会話で少し問題があるものがあります>

 子爵にとっては兄への義理立てと、何らかの利己的理由も入っているとはいえ、エミーリア自体のことを思ってくれているのも確かである。

 しかし、その温かな思いが私たちの任務の危機となっていた。

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