第52話 水玉問題

 舞踏会へと向けた準備が改めて始まり、午前中にエミーリアを交えて昨日の話し合いの続きと確認がなされた。

 ただその際、私はエミーリアとブドルク男爵夫人の関係については聞くことはできなかった。

 何しろ、昨日の今日である。

 時間がないといっても、エミーリアの心身にあまり無理をかけるわけにはいかない。

 とりあえず当たり障りのない予定と用意すべき品などを決めた後、早めの昼食を竈の火亭で済ませる。

 そして、午後からそれぞれがその予定に従って動き出した。

 と言っても、動くのはもっぱらリブラ教官とアキラで、私とエミーリアは留守番である。

 で、結局その間に何ができるかといえばエミーリアは家の掃除と雑事、私はその手伝いと彼女からの情報収集くらいだった。

 しかし、その掃除に大問題が起きていた。


「ホウキさん、これはどうすればいいのでしょうか?」

 そう言ったエミーリアの顔が若干青い。

「どうしたものかねぇ」

 正直、その青くなっている理由もわかるし、私もどうしたらいいかわからなかった。

 居間の壁や床、家具の一部に大きな水玉模様ができていた。

 昨日のイレギュラーズが色を奪い取った部分である。

 どうやら色は自然に戻らないらしい。

 当初は水拭きでもすれば馴染むかとも思っていたが、そう甘くはないようだった。

「色を上から塗るしかないかな?」

 と言っても何を塗ればいいのかわからないし、それに塗り直すとすればかなりの材料と時間がかかりそうだった。

 皆が舞踏会の準備に奔走する中、そんなことをしている余裕は多分ない。

「魔法でなんとかならないのですか?」

 エミーリアが、少し期待を込めた目でこちらを見てくる。

「いやあ、魔法も万能じゃないからね。汚れとかを落とす魔法はあるんだけど、抜けた色を戻す魔法はちょっと……」

 私の言葉にエミーリアが肩を落とす。

 ものすごく申し訳ない気持ちがこみあげてくる。

 正直、魔法使いとはいったものの、おとぎ話に出てくるような都合の良い魔法は使えないのだ。

 なんとも期待外れと失望されそうである。

「奥様に何と言われるか」

 確かにこの現状を見れば、男爵夫人の性格なら我々だけでなくエミーリアも責めるのは想像に難しくなかった。

 それを想像したのか彼女の顔がますます蒼白になる。

「ま、まあ、事前に何かあったら追加で料金を払うってことになっていたし、きっちりたっぶりお金を支払って君には累が及ばないようにするから。そうだ! この前あったグラハムさん覚えているかな?」

 沈み込んでいたエミーリアが、その名前思い出すように視線を天井に這わせる。

「ああ、あの恰幅の良い優しそうな方ですね」

「そうそう、あの人に相談してみよう、何かと顔が利く人みたいだから」

 その時、突然ローガンの声が響いた。

「先生、それだったらオイラでもなんとかできるっすよ」

 驚いて視線を向けると、開いた窓から少年が顔を覗かせている。


「盗み聞きとは感心しないな」

 言いながら、私は内心で舌を巻いていた。

 リブラ教官ほどではないが周囲の気配にはそこそこ敏感な方である。

 その私がここまで近くに寄っているにまったくその存在に気づけなかった。

 この前の酒場の女将もそうだが、この物語世界の人間はそういう特性でも持っているのだろうか。

 などと思っているうちに、ローガンが玄関の方に回り込む動きをみせた。

 エミーリアが閂を外し扉をあける。

「これもオイラなりの修行の一環っす!」

 家の中に入ってきたローガンはそう言いながら、居間に点在する水玉模様を確認していった。

「?」

「とりあえずリブラお嬢様に気配を感じられないようにするのも、今のオイラの目標の1つっす」

「だったらリブラに弟子入りすればよかったじゃないか」

 その方が、私の肩の荷も少しは軽くなるというものである。

「いやいや、オイラはトーサン先生の弟子がいいっす」

「なぜに?」

「だって、自分で動いてしゃべるホウキなんてスゲーじゃないっすか!」

「それだけか?」

「それだけっす」

 なんというかインパクトだけで選ばれたのか。

 それはそれで聞いたら凹む。

「それにリブラお嬢様もすごいけど、あれはなんかまったく違うすごさっていうか、なんか違うんすよ」

 私はお手軽師匠というところか。


「まあいいが……、ところでこんなところにいていいのか? 我々の監視をしていることになっているんだろ?」

 今、リブラ教官とアキラはそれぞれが果たすべき用件のためにカナン商会に出向いている。

 なのに監視役の彼がここにいるのはおかしいのではないだろうか。 

「監視っていっても、昨日も言いましたけどオイラ1人で皆さんの動向を大まかに探る程度っすし、それを知っているのはセントバンスさんだけっす」

 ローガンが壁を指でこすりながら言葉を続ける。

「それに実のところ、セントバンスさんが1番気にしていた先生についても昨日ただのホウキだったと報告したっす」

 今度は戸棚の変色を角度を変えながら確認した。

「そもそも今は祝祭前でものすごく忙しい時期ですし、それでなくてもいろいろと問題が起きていて大変すから、ちょっとオイラがいなくなっていても、「ああ、何かおつかいなんだな」程度で誰も気にしないっすよ、それにセントバンスさんにも家の様子を探っていたって言えばいいっすし」

 要はサボっているということなのだろうか。

 それにしても今の話の感じからすると、私が思ったほど深刻にセントバンスさんに警戒されているわけではないのかもしれない。

「だいたいわかったっす。これオイラの方で手直しを手配しておけばいいっすか?」

「なんとかなりそうなのかい?」

「まあ、ちょっとお金はかかるっすけど、わからなくする程度なら問題なくできるっす」

 それを聞いたエミーリアが胸を撫でおろす。

「じゃあ、それは教、リブラが帰って来てから改めて話すよ。ただ、作業は舞踏会後だな」

「承知っす。あ、それと今日はペンダントのことで確認に来たんすよ」

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