後編

 6月9日、土曜日。

 今日も梅雨らしくしとしとと雨が降っている。この雨は明日の夕方くらいまで降り続けるそうだ。

 午前9時半。

 私は玲人君の家に向かって出発する。今日もじめっとしているな。

 月野駅を過ぎたところにコンビニがあったので、玲人君に何か冷たいものでも買おうと中に入った。

 飲み物のコーナーに行くと新発売のブラックコーヒーが。期間限定の抹茶マシュマロや私が飲むストレートティーと一緒に購入した。玲人君、喜んでくれるといいな。

 コンビニを後にして、玲人君に一目惚れをした公園を通る。今日は雨が降っているからか、玲人君の助けた茶色い猫はいなかった。

 玲人君の家に到着すると、玲人君が玄関までやってきて、さっそく彼の部屋に連れて行ってもらう。


「お邪魔します。玲人君、途中でコンビニに寄ったら、新発売のブラックコーヒーがあったから買ってみたよ。はい、プレゼント」

「ありがとうございます! これ、近いうちに発売するのは知っていたんですけど、もうコンビニで売り始めていたんですね。さっそくいただきます」


 玲人君は嬉しそうな様子で缶コーヒーを受け取ると、さっそくゴクゴクと飲んでいる。その姿がとても可愛らしい。


「うん、僕好みのコーヒーです。ありがとうございます」

「いえいえ。玲人君の嬉しそうな顔を見ると買ってきて良かったって思うよ。期間限定の抹茶マシュマロも買ったから、あとで一緒に食べよう」

「そうですね。いやぁ、嬉しいですね。いい週末になりそうです。それに、2週間前は僕が風邪を引いて、先週は会長が風邪を引いたので、こうしてお互い元気に週末を迎えるのは久しぶりですから」

「そういえばそうだね」


 2週間前は試験疲れで玲人君が風邪を引いて、先週は私がお腹を出して寝ていたから体が冷えて風邪を引いちゃったんだよね。だから、元気な状態で一緒にいるのは久しぶりなんだな。


「私は月曜日までの課題を終わらせたけれど、玲人君はどう?」

「こっちも月曜日までの課題がありますけど、量も多くなかったので昨日のうちに終わりました」

「おっ、偉いぞ」


 私は玲人君の頭を優しく撫でる。そのことに玲人君は静かに笑った。

 体調も良くて、やらなきゃいけない課題も終わっているから思う存分に玲人君に甘えてもらえる。よし、さっそく言おう。


「ねえ、玲人君」

「何ですか?」

「……私に甘えてきてほしい! 玲人君のしてほしいことや我が儘をできるだけ叶えるつもりだよ!」

「えっ?」


 すると、玲人君の顔から笑みが消えて、首を傾げながら私のことを見てくる。


「沙奈会長。昨日からどうしたんですか? 僕に甘えていいとか言ってきて。実は熱があったりするんですか?」

「そんなことないよ! ただ、その……一昨日の仕事終わりに、樹里先輩から玲人君と私はどっちが年上なのか分からないとか、私が玲人君に甘えることが多いって言われたことが胸に痛く響いて。それで、振り返ってみれば私ばかり甘えて、玲人君は私にそんなに甘えてこなかったなって。それで、玲人君に甘えてきてほしくてさ……」

「ああ、そういうことだったんですね」


 あははっ、と玲人君は口に右手を当てながら笑う。そんな玲人君の姿は可愛らしいし、美しくも思える。あぁ、押し倒して口づけしたい気持ちが膨らんでいくよ。


「だから、昨日は生徒会の仕事をする前に、僕に甘えてきていいって言ったんですね」

「うん。実は琴葉ちゃんに相談したの。玲人君はあまり我が儘を言わないから、甘えていいっていうことを伝えるのがいいんじゃないかって言ってくれて」

「琴葉に相談したんですか。思い返せば、琴葉や姉さんは俺にしてほしいことをたくさん言ってきましたね。それで、僕が嫌だって言っても、無理にさせられたこともありました。姉さんが小学生の間は、姉さんの友達も一緒にでした。考えてみると、僕から何かをしたいって言ったことは、そんなに多くなかったですね」

「琴葉ちゃんの言っていたとおりだ」

「でも、そんな頃の自分に比べたら、今の俺は我が儘を言っていると思いますけどね。特に沙奈会長に対しては。ただ、一番の我が儘というか、願望は沙奈会長と一緒にいたいことですからそう思えるだけで、実際にはあまり言っていないのかな。だからこそ、会長は僕に甘えてほしいって考えたのかもしれませんし」

「……うん」


 どうして、こう……キュンとする言葉を玲人君はさらっと言ってくれるのかな。しかも、爽やかな笑みを浮かべながら。ううっ、嬉しすぎて顔はもちろん全身が熱いよ。


「大丈夫ですか? 顔がかなり赤いですけど」

「……大丈夫だよ。嬉しい気持ちのせいで赤くなっただけから。もう、玲人君に対して色々な欲が膨らんできちゃうよ」

「ははっ、そうですか。でも、僕にとっては甘えてくる沙奈会長の方が、会長らしい感じがしますけどね。もちろん、内容によっては叱りますけど」

「ふふっ。でも……私は玲人君の恋人だし、1歳年上のお姉さんだから、玲人君にもっと甘えてきてほしいの。純粋にそう思ってる」


 私は玲人君のことをぎゅっと抱きしめる。純粋に思っているとは言ったけれど、甘えてくる玲人君を見てみたいとか、色々な私の甘えが実際には混ざっている。

 すると、玲人君は私の背中に手を回して、私の唇を包み込むように口づけをしてきた。強引に舌を絡ませてきて……あぁ、このままされ続けたら欲望が爆発しそう。気付けば、玲人君に体を預ける形になっていた。

 唇を離すと、目の前には頬をほんのりと赤くした玲人君の顔があった。


「口づけをするのっていいですね、やっぱり」

「そうだね。でも、強引に舌を入れてきたからビックリした」

「……そういう口づけをしたかったので。あと、新発売のコーヒーを買ってくれたお礼です」

「ふふっ、そっか」


 今のは玲人君の甘えだったってことね。


「そうだ。沙奈会長にしてほしいことがあるんですけど」

「おっ、口づけして素直になったのかな? 遠慮なく言ってごらん」

「……膝枕をしてほしいなと思って。小さい頃に姉さんや琴葉に無理矢理させられた以外にはなかったですから。それに、沙奈会長なら気持ち良さそうだなって」

「うん、分かった」


 私が正座をすると、玲人君は仰向けの状態で膝の上に頭を乗せてきた。ただ、私の胸のせいで、少し前屈みにならないと玲人君の顔全体が見えない。


「どうかな、玲人君」

「思った通り、凄く気持ちいいですよ。温かいですし、ちょっと柔らかくて。いい匂いもします。あと、景色もなかなかいいですね。寝やすそうですし」

「どこを見て言っているのかなぁ?」

「仰向けになったら胸も見えちゃいますって」

「……ふふっ」


 あぁ、胸で玲人君に色々なことをしてあげたい。そんなことを考えながら彼の頭を優しく撫でる。


「幸せな気分になれますね」

「……私も幸せにさせてもらってます」

「それなら尚良かった。これからはもう少し沙奈会長に甘えてみようかなと思います」

「遠慮せずにたくさん甘えていいからね」

「……はいはい。そのためには会長にはずっと側にいてもらわないと」

「何言ってるの。私の方から玲人君の側に行くよ」

「ははっ、沙奈会長らしいですね。そういうところも……好きですよ」

「……うん」


 今の玲人君の笑顔はいつもの大人びた感じではなく、年相応の無邪気さが感じられる笑みだった。それがとても可愛らしくて。

 膝枕という玲人君のささやかな甘えで、彼との距離が更に近づいた気がする。新たな一面も見ることができたような気もした。


「ところで、玲人君。抹茶マシュマロより前にここにある2つの大きなマシュマロを食べてみないかな?」

「僕は抹茶マシュマロの方を食べたいですね。まだ一度も食べたことないので」

「そんなに遠慮しなくてもいいのになぁ。ほらっ、喰らっちゃえ!」

「んんんっ!」


 前屈みになって玲人君の顔に胸を押しつける。あぁ、玲人君の声が体に心地よく響いていくわぁ。

 しかし、すぐに玲人君に肩を強くに叩かれたので、そっと体を起こす。すると、さっきよりも顔を赤くした玲人君が私のことを鋭い目つきで見ていた。


「本当に窒息して死ぬかと思いましたよ」

「恋人の胸の中で死ねるなんて幸せなことじゃない?」

「その胸が凶器となって死ぬのは真っ平ごめんですよ。その……温かい方は後でいただきますから、今は抹茶マシュマロを食べさせてください」

「おっ、さっそく甘えるようになってきたね」

「今のは甘えじゃないですけどね」

「ふふっ、そんなこと言っちゃって。もう、可愛いんだから」


 体の中で何度もキュンとしちゃう。

 これからも玲人君にたくさん甘えてもらって、たくさん思い出を作りたいな。それを何かの形でこっそりと残すことができればいいな……というのは、ここだけのお話。




特別編-沙奈会長は甘えられたい- おわり

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