第22話『刹那落下』

 絶対霊度を出ようとしたとき、アリスさんは楽しそうに手を振りながら姿を消していった。これからも見続け、機会があれば姿を現したいという言葉を残して。

 出口を抜けると近くのベンチに姉さん達が座っていた。僕達に気付いたのか姉さんは元気に手を振ってくる。


「玲人、琴葉ちゃん、沙奈ちゃん。お疲れさん」

「お姉ちゃん、大丈夫だった? お姉ちゃんの叫び声が聞こえたし、セーラー服姿の女性が恐がった様子であたし達を追い越していったし、お姉ちゃん達が出るのも結構遅かった気がするし……」

「……色々とあったけど大丈夫だよ」


 脚に息を吹きかけられたり、僕に迫ってきたり、アリスさんが登場したりと盛りだくさんだった。あと、あのセーラー服姿の幽霊の女性……真奈ちゃん達を追い越すほど走っていたのか。よほど沙奈会長のことが恐かったんだな。


「ただ、天地逆転のときに比べると元気そうだね、沙奈ちゃん」

「玲人君や琴葉ちゃんとこうして腕を組んでいましたからね」


 ふふっ、と沙奈会長は僕や琴葉と腕を組んで楽しそうに笑う。琴葉もいたことで最初からどこか安心しているように思えた。

 途中からアリスさんと一緒に楽しんだということは……僕達3人で一緒にいたから姿を現したんだと思うだし、姉さん達には伏せておくか。


「そういえば、私達を追い抜いたセーラー服の女の子……私にあなたはどこかのアトラクション担当なんですかって訊かれたよ」

「確かに、樹里先輩の格好だと、どこかのアトラクションスタッフだと思われても不思議じゃないですね」


 この絶対霊度で脅かす役でも通用しそうな雰囲気でもあるな。


「可愛い女の子でしたよね、樹里ちゃん」

「そうだったね」

「そういえば、あなた達は恋人と別れた経験ありますかって訊かれたけどさ。絶対にあの役をやっていた人がリアルに恋人と別れた感じがしたよね。しかも、直近で」


 あははっ、と姉さんは快活に笑う。考えてみれば、最近恋人と別れたからこそ、好みのタイプである僕に交際を迫ってきたとも考えられるか。仕事中にお客さんにすべきことじゃないけれど。


「あの女が可愛い? 冗談じゃないですよ。幽霊の役を利用して玲人君に迫ろうとしたゲスな女ですって」


 爽やかな笑顔と普段よりも低い声で言っている内容が全然合っていない。沙奈会長、未だにあの女性に恨みを抱いているようだ。


「な、何があったの、お姉ちゃん! 玲人さんとの仲を崩さないためにできることがあれば、あたし……何でもするつもりだけど」

「……ありがとう、真奈。その気持ちは有り難く受け取っておくよ。でも、もう大丈夫だから。私が本気で玲人君と付き合おうとしているのか問い詰めたら、恐かったのか走って逃げちゃったから」

「あぁ、だから泣きながらあたし達のことも追い抜いていったんだ。玲人さん、その女性に迫られたときに心が揺れ動いたりしていません……よね?」


 さすがは如月姉妹。笑顔でありながらも恐ろしさを感じさせる。


「……全く揺れ動いていないよ。ただ……色々な意味で可哀想だと思ったよ」


 好みだから付き合ってと言ってしまい、沙奈会長から恐ろしい目に遭うのが確定したから。あのときの沙奈会長は今までの中で指折りの恐さだった。


「これは浮気できないね、逢坂君」

「しませんって」


 それに、以前に浮気したらぶっ殺すと宣言されたからな。早く別の話題を振って沙奈会長や真奈ちゃんの気分を変えさせないと。


「まだ11時過ぎですし、お昼ご飯の前にあと1つか2つくらい行きましょうか。どこかに行きたいところとかありますか?」

「天地逆転も絶対霊度もあたし達が行きたいと言った場所なので、沙奈さんやレイ君が行ってみたいアトラクションがいいなって思っています」


 天地逆転も絶対霊度も昨日までの話の中で行こうと決めていたけれど。とても行きたがっていたのは琴葉、姉さん、副会長さんあたりだったな。


「じゃあ、次も絶叫系のアトラクションに行きたいです! 天地逆転と絶対霊度で絶叫系にハマってきましたから!」

「ふふっ、それは何よりだね。まあ、玲人が側にいてくれたおかげでもありそうだけど」

「……それは大きいかもです。そうだ、あれなんてどうですか?」


 沙奈会長が指さした先にある青いタワー。ちょうど、数人ほど乗ったリフトがゆっくりと頂点に向かって上がっている状況だ。


『きゃー!』


 リフトが一気に下がった瞬間、そんな黄色い叫びが聞こえてきた。あれはフリーフォールか。絶叫マシンの一つだ。琴葉と姉さんに付き合わされたことを思い出した。


「パンフレットによると、あれは刹那落下っていうアトラクション名のフリーフォールだね、お姉ちゃん」

「そうなんだ。刹那落下……確かに今のを見るとその名前も納得だね」

「それでは、沙奈会長のご希望の刹那落下に行きましょうか」

『おー!』


 みんな、遊園地を満喫しているからかとても元気だなぁ。

 僕達は刹那落下へと向かう。

 パンフレットによると刹那落下はその名前の通り、一瞬のうちにリフトが頂上から地上へと落下していくのが売りとのこと。事前の合図などはなく、毎回落とされるタイミングが違うので、何度でも恐怖感とスリルを味わうことができる。あと、リフトの方向によっては富士山や河乃湖を眺められるそうだ。


「ここですね」


 人気のアトラクションらしく待機列ができていた。天地逆転のときよりも長いけど、一回が短いからか20分ほどの待ち時間で乗れるそうだ。

 絶対霊度ではたいしたことはないと思っていた刹那落下も、こうして間近で見てみるとなかなかの高さだ。


「玲人君、怖かったら私の手や胸を握ってもいいんだよ」

「……本当に絶叫系にハマってきましたね」


 天地逆転のときとは違ってとても頼もしい。怖がっていた会長も可愛らしくて良かったけど、楽しみにしているのが一番いいよね。

 その後、何度もお客さんの絶叫を聞いても、沙奈会長は特に怖がる様子を見せることはなく、いよいよ僕達の番になった。

 6人掛けのリフトであるため、僕達全員同じリフトに座ることになった。その中でも僕は端に座り、左隣には沙奈会長が座っている。いよいよ始まるからか会長はとても楽しそうな様子。


「それでは、天地落下……スタートです!」


 男性のスタッフさんの掛け声とともに、リフトがゆっくりと上がり始める。垂直に上がっていくし、足がぶら下がっているから天地逆転とはまた違う緊張感がある。小さい頃のことを思い出してきたぞ。そうそう、こういう風に琴葉や姉さんが手をぎゅっと――。


「えっ?」


 気付けば、沙奈会長が僕の左手をぎゅっと握ってきていたのだ。沙奈会長の顔からは笑みが消えていた。ただ、僕と目が合うと彼女は作り笑いをした。


「は、恥ずかしいね。さっき、あんなに偉そうに言ったのに……私の方が手を握っちゃうなんて」

「そんなことありませんよ。むしろ、可愛いと思えるくらいです。でも、天地逆転のときとは違って、足がブラブラしているので怖いですよね……」


 僕がそう言うと、沙奈会長はゆっくりと頷いてはにかんだ。


「……うん、凄く怖い。でも、玲人君の手を握って、顔を見たら楽しい気持ちになってきたよ。不思議な感じだけど、これが案外悪くないんだ。何があっても、この手は離さないでくれると嬉しいな」


 沙奈会長の笑みはさっきよりも柔いものになっていた。そんな彼女の手は絶対に離さない。何かあったら掴んでいく。彼女と付き合うとき、僕はそう心に決めたんだ。

 気付けば、リフトは相当上の方まで上がってきており、正面には富士山がはっきりと見えていた。バルコニーで見る富士山、部屋の温泉で見る富士山もいいけど……ここから見る富士山もなかなかだ。これも沙奈会長がすぐ側にいるからかな。


「富士山綺麗ですね、沙奈会長」

「そうね。富士山を楽しむ余裕を作ってくれるだけ、天地逆転よりもいいかな」

「富士山基準で優劣付けちゃうんですか」

「重要な要素の1つだと思うけれどね」


 そんな話をしていると、リフトは止まった。この後、僕達の知らないタイミングでリフトが落下していくんだ。


「ねえ、玲人君」

「はい」

「……キスしてほしい」

「こんな状態じゃできませんって」

「……だよね。でも、今……なぜだか、玲人君のことがいつも以上に好きだって思え……きゃあああっ!」


 刹那落下は、沙奈会長に僕への言葉を言いきる時間を作ってくれなかった!


「きゃあああっ!」

「うわあああっ!」


 刹那、という言葉がよく似合っていた。

 沙奈会長と一緒に思いっきり叫んだら、リフトはあっという間に地上へと辿り着いていたのだ。


「怖かったけど、気持ち良かったね」

「僕も同じことを思いました」


 そう思うことができたのは、沙奈会長の手をしっかりと握っていたからかもしれない。一気に落ちていく中でも、沙奈会長の温もりは確かに感じていたから。

 安全バーが外されたとき、僕は沙奈会長の唇にそっとキスした。

 そんな僕の不意の行動に驚いたのか、沙奈会長は頬を真っ赤に染めて、


「もう、こんなところで……ばか」

「だって、さっき……会長の方がキスしてほしいって言ったじゃないですか。僕だって沙奈会長とキスしたかったですから」

「……意外と大胆だね、玲人君は。……恥ずかしいけど、嬉しい」


 爽快感と愛おしい気持ちを思い抱きながら、僕はリフトを降りる。沙奈会長の手をぎゅっと握り締め、刹那落下を後にするのであった。

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