第19話『旅先の朝』

 5月5日、土曜日。

 ゆっくりと目を覚ますとそこは肌色の世界が広がっていた。その中心から1本の黒い線が下へと伸びる。

 大好きな匂いがして、安心できる柔らかさも感じられる。髪には定期的に温かな息がかかっているように思えて。

 顔を動かすと、そこには優しい笑みを浮かべながら僕を見つめる沙奈会長がいた。


「おはよう、玲人君」

「おはようございます、沙奈会長」

「目が覚めたら、玲人君の可愛い寝顔があってさ。それにキュンとなって抱きしめちゃった。玲人君の温かな吐息が胸にかかって心地よかったよ」

「そうだったんですか。いい夢を見て、気持ち良く起きられたのは会長のおかげかもしれませんね」

「……今の言葉でまたキュンとした」


 頬を赤らめた沙奈会長は、目覚めのキスをしてきた。

 沙奈会長と一緒に迎えた旅先の朝はとても幸せな気分にさせてくれる。彼女の温もりをもっと感じたくて背中に手を回した。このまま時間が止まってしまってもいいくらい。


「んっ……」


 気持ちが盛り上がってきたのか、沙奈会長は舌を絡ませてくる。昨日の夜のことを思い出すなぁ。

 やがて、唇が離れると沙奈会長はうっとりとした表情で僕のことを見つめ、


「にゃーん」


 そんな可愛らしい声を漏らしながら、僕の胸に頭をすりすりしてくる。どうしてこんなことをしているかというと……彼女は猫のカチューシャを持ってきており、昨日は一時、猫になりきってイチャイチャしていた。ちなみに今、そのカチューシャは彼女の下着と一緒に隣のベッドに置かれている。


「まったく、甘えんぼな猫さんですね」


 よしよし、と沙奈会長の頭を撫でる。こんなところを琴葉達に見られたら、今日は絶対にベッドの中に潜り続けるだろうな。

 そういえば、外は明るくなっているけど、今は何時なんだろう。スマートフォンで確認してみると、今は午前6時過ぎか。日を跨いでから寝たのにスッキリと起きられた。これも温泉のおかげなのか、沙奈会長とたくさんイチャイチャしたからなのか。とりあえず、目覚ましを切っておこう。


「ねえ、玲人君。シャワーを浴びてまた一緒に温泉に入りたい」

「いいですよ。もう明るくなっていますから、沙奈会長と温泉に浸かりながら富士山を見たいです」

「そうだね。じゃあ、一緒に入ろっか」


 僕は沙奈会長と一緒にシャワーを浴び、昨日と同じように隣り合って温泉に浸かる。明るくなってからだと雰囲気も変わるな。8階だから景色も結構広くて、


「富士山、凄く綺麗ですよ!」


 富士山もはっきりと見える。朝からとても贅沢な時間を過ごしている気がする。


「そうだね。ふふっ、何だか旅行に来てから一二を争うくらいにテンション高いね」

「そうですか? ただ、バルコニーから見る富士山もいいですが、沙奈会長と一緒に温泉に浸かりながら見る富士山は格別です」

「そう言ってくれるとこっちまで嬉しくなるよ。でも、温泉に浸かりながら富士山を眺める……日本だねぇ」

「……ええ。そして、幸せな気分になれますね」


 沙奈会長は手を重ねてきて、そっと寄り添ってくる。

 今日は河乃湖ハイランドに行くけれど、どんな一日になるだろうか。楽しい一日になればいいなと思いながら、温泉と沙奈会長の温もりに浸るのであった。



 午前7時過ぎ。

 昨晩約束したように、僕と沙奈会長は琴葉達と一緒に朝食の会場であるレストランへと向かう。

 夕食のときと同じように朝食もバイキング形式であり、午前6時から8時半までの間に受付を済ませれば大丈夫なようになっている。開始時刻から1時間経っているからか、すぐに6人席に行くことができた。

 昨日の夕食とは違い、今回は僕だけではなく琴葉も残ってくれた。僕が寂しがりそうだからと彼女は言っていたけれど、きっとアリスさんのことを話したいんじゃないかと思う。沙奈会長も同じことを思っているのか、特に不満げな様子は見せなかった。


「あの後、沙奈さんとは楽しい時間を過ごせた?」

「……うん。ホテルの周りを散歩したり、部屋に付いていた温泉に一緒に入ったりして。ばぶばぶ言ったことのお礼に会長にコーヒーを買ってもらったんだ。昨日の夜はたっぷりと楽しめたよ」

「そっか! それは良かった」

「琴葉の方はどうだった? 正直……808号室の4人だと、どんなことをしていたのかなかなか想像できなくて」


 年齢もバラバラだし、一昨日初めて会った人もいる。そこから一緒に過ごす中でみんな仲良くなってきている気がするけど。


「みんなのんびりしていたよ。ただ、レイ君と沙奈さんが部屋を出ていった直後は、2人はどういう時間を過ごすのか話したよ。お部屋に温泉があるのは知っていたから、きっと一緒に温泉に入って、ツインだけど同じベッドの上でイチャイチャして、そのまま寝るんじゃないかっていう結論になった」

「……散歩した後、その通りのことをしたよ」


 さすがにそこは読まれていたか。きっと、今夜も一緒にお風呂に入って、たくさんイチャイチャして、同じベッドで寝ると思う。


「後はね……今日行く河乃湖ハイランドのことを話したかな。絶叫マシンとお化け屋敷は絶対に行きたいねって話になったかな」

「そうなんだ。僕も沙奈会長と散歩したときにその話題が出て、絶叫マシンとお化け屋敷には一度は行きたいって話したよ」

「そうなんだ。そういえば、レイ君は今でも大丈夫なのかな?」

「……どうだろうなぁ」


 ただ、絶叫マシンは分からないけれど、お化け屋敷は大丈夫じゃないだろうか。一時期の沙奈会長は、お化け屋敷なんて可愛いと思えるくらいに恐ろしかったから。


「一度試してみて、ダメだったら他のところに行けばいいと思うよ」

「……成長したな。琴葉がそういうことを言えるようになるなんて」

「あたしだって大人になったからね。昔みたいに無理矢理付き合わせることなんてしないよ」

「……そっか。でも、大丈夫であってほしいって思ってる」


 どうせなら色々なことを楽しみたい。しばらくの間は行っていないけど、僕だって高校生になったんだ。体験してみたらとても楽しめるかもしれないし。


「今のレイ君なら大丈夫かもね。話を戻すけど、昨日は……麻実ちゃんは運転して疲れたみたいで11時くらいには寝たかな。真奈ちゃんもそのすぐ後に。だから、声を小さくして樹里さんと放送していたアニメを観たんだけれど、あたしも12時前にはふとんに入ったよ。そのときにアリスちゃんが現れて、ちょっとの間ふとんの中で話したんだ」

「そうだったんだね」


 アリスさん、やっぱり琴葉の前に姿を現したか。

 あと、副会長さんは旅先で深夜アニメを観たんだな。旅先で観ると特別な感じがしていいよなぁ。何時まで起きていたのか分からないけれど、元気そうなのでいいか。


「アリスさんとはどういう話をしたの?」

「みんな旅行が楽しそうで何よりだって。この後も、できるだけあたし達の様子を見て楽しむってさ。あと、足湯がとても気に入ったみたいで、また入りに行くって言ってた」


 確かに、僕にも満足そうな様子で足湯のことを話していたもんな。


「そうなんだ。アリスさんが入った足湯かどうかは分からないけれど、沙奈会長と散歩しているときに24時間無料で入れる足湯に入ってきたよ。気持ち良かった」

「そうだったんだ。昨日の夜は結構寒かったよね。バルコニーに出て夜景を見たんだけど、体が震えちゃったもん」

「この半纏を着てもちょっと寒かったかな」


 だからこそ、あの足湯がとても気持ちいいと思えたのかもしれない。それもあってか、僕も沙奈会長も特に具合は悪くなっていない。沙奈会長は昨日以上に元気だ。


「琴葉、体調は大丈夫?」

「うん。特におかしいところはないし、今はお腹ペコペコだから朝ご飯をたくさん食べたいぐらいだもん」

「あははっ、そっか。健康そのものだ。じゃあ、河乃湖ハイランドに行っても大丈夫そうだね。もちろん、気分が悪くなったりしたら遠慮なく言って」

「うん、分かった」


 意識を取り戻してから1週間くらいしか経っていないのが信じられないくらいだ。きっと、今、琴葉がここまで元気なのは、アリスさんと一緒に異世界で過ごしたからだと思うようにしている。


「お待たせ、玲人君、琴葉ちゃん」


 沙奈会長が戻ってきた。見てみるとご飯に味噌汁、焼き魚などの和食メニュー。美味しそうだ。うちの朝ご飯は和食が多いし僕もそうしようかな。


「2人で何か話していたみたいだけど」

「沙奈さんとレイ君が部屋に戻った後のことと、アリスちゃんとふとんの中でお話をしたのでそのことを話しました」

「そっか。やっぱり、アリスさん……琴葉ちゃんのところに行ったんだね」

「ええ。レイ君から聞きましたけど、昨日は2人きりでたっぷりと楽しい時間を過ごしたそうじゃないですか」

「まあ、そうだけど……玲人君、詳しく喋っちゃった?」


 沙奈会長、顔を赤くしながら僕のことをチラチラと見ている。


「いいえ、散歩して、部屋の温泉に入って、イチャイチャして、一緒のベッドで寝たって言っただけですから」

「それならいいけれど」


 沙奈会長はほっと胸を撫で下ろす。昨日、車の中で口づけをして恥ずかしい想いをしていたからな。2人きりのところだとイチャイチャしても、誰かがいると恥ずかしがるところは可愛らしい。


「あとは、河乃湖ハイランドに行ったら絶叫マシンとお化け屋敷には行こうねってレイ君と話していました」

「前から話していたもんね。私は小さい頃は苦手だったからなぁ。昨日、玲人君とも話したけれど、一度トライしてみるのが大事だよね」

「そうですね! じゃあ、あたし達も取りに行こうか、レイ君」

「そうだな」

「いってらっしゃい」


 僕は琴葉と一緒に朝食を取りに行く。確かに、沙奈会長の言うようにメニューが豊富だ。どれも美味しそうで、和風だと心に決めていたけれど迷い始めてしまった。

 でも、バイキングなので食べたくなったらまた取りに行けばいいか。僕は和食のメニューを中心に取っていく。


「レイ君は和食なんだ」

「うん。普段がそうだからね」


 そう言う琴葉は洋食のメニューをたくさん取っている。そして、朝からフルーツたっぷりだなぁ。その中にはいちごもあるし。

 昨晩のことや、今日行く河乃湖ハイランドのことについて話しながら、僕達は楽しく朝食を食べるのであった。

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