第61話『今に帰った。』

 4月30日、月曜日。

 ゆっくりと目を覚ますと、部屋の中はうっすら明るくなっていた。ぐっすりと眠っちゃった気がするけど、今日は祝日なのでセーフ。それにしてもいい目覚めだ。


「おはよう、玲人君」

「おはようございます。結構寝た気がしますけど、今って何時ですか?」

「今は、午前8時過ぎだね」


 平日だったら、すぐに制服に着替えて家を出ないとダメだったな。今日が休日で本当に良かった。


「ぐっすりと寝ちゃいましたね」

「昨日の夜は私と一緒にたくさん運動したもんね。玲人君の寝顔、とても可愛かったよ」

「そ、そうですか」


 思わず、昨晩の沙奈会長のことを思い出してしまう。彼女と色々なことをしたんだな。思い出すだけで身も心も熱くなっていく。綺麗で可愛らしかった。


「昨日のこと、思い出してたでしょ」

「……思い出さないわけがないでしょう。沙奈会長が可愛かったですから」

「玲人君はかっこよかったよ。甘くて幸せな時間を過ごせたからか、いい夢を見ることができちゃった」


 えへへっ、と沙奈会長は笑顔を見せる。今の彼女の様子からして、どんな夢を見たのかおおよその見当がついた。


「沙奈会長」


 僕は会長のことをぎゅっと抱きしめる。夢の中でも彼女を抱きしめていたけれど、やっぱり現実には勝らないな。温かくて、柔らかくて、いい匂いがして。


「朝から玲人君に抱いてもらえるなんて。幸せだなぁ。実は夢でも玲人君に抱いてもらったんだけど、やっぱり現実の方がいいな」

「沙奈会長と同じことを考えているなんて」

「……それを聞いてもっと幸せになったよ」


 沙奈会長はそう言うと僕の背中に両腕を回して、そっとキスをしてくる。そのことで、昨晩のことをより鮮明に思い出してドキドキしてしまうな。

 唇を離すと、すぐ目の前に僕のことを見つめながら笑みを浮かべる沙奈会長の顔があって。そのことの幸福さと安心感と愛おしさ。高校生活が始まっておよそ1ヶ月、月野学園の生徒会長からそれを教えてもらえるなんて。


「本当に幸せ者ですね、僕は」

「……奇遇だね。私も幸せ者だって思っていたところだよ」

「そうですか。今日も一緒に楽しく過ごしましょう」

「ええ、もちろん」


 祝日というだけで嬉しい月曜日だけど、沙奈会長がいることでその嬉しさは何倍にも膨れ上がる。それだけ彼女のことが好きになったのだと思う。

 テレビを観ながら5人で朝食を食べていると、決着がついてから2日経ってもまだまだ報道は続く。

 菅原親子の起訴が決定し、そのことで父親の菅原博之は議員辞職、所属する政党からも追放処分となった。息子の菅原和希については、通っている高校の複数人の生徒から現金強奪や暴力を行なったことが判明し、明日にも退学処分が決定するという。


「どんどん事実が明らかになって、然るべき罰を受けることが決まるね」

「そうですね。これが2年前に本来あるべき流れでした」

「そうね。あなたや恩田さんの頑張りがようやく報われ始めたってことか」

「……ええ」

「これで、月野学園に玲人君についての抗議や退学を求める電話やメールが減ればいいんだけれど」

「僕の名前は報道されませんが、松風先生を通じて学校側には事実を伝えてもらいました。あとは学校側がどう判断するかですね」

「そうだね。でも、きっと大丈夫だよ。また、穏やかな学校生活を送れるようになると思う」

「……そうなってほしいです」


 以前、受験さえ合格すれば、高校生活を送ってもいいという判断が変わらないと信じるしかない。

 今日は外でデートをするかどうか迷ったけれど、2年前のことでマスコミに取材をされてしまう可能性もあるので、家でゆっくりと過ごすことに決めた。


「部屋でゆっくりすることにしましたけど、どうしますか?」

「玲人君の側にいられるならどんなことでもいい」

「……なるほど。じゃあ、録画して一度も観ていなかった映画があるんですけど観ますか? 僕が逮捕されている間に大ヒットした作品で。主人公とヒロインが入れ替わっちゃうやつなんですけど」

「あれね。受験勉強の合間に友達と観に行ったよ! 結構面白かった。最後は――」

「これから観るので、結末は言わなくていいですよ。言わないでください、お願いします」

「ふふっ、玲人君は結末を知らずに観たいタイプなんだね。じゃあ一緒に観よう!」


 僕は部屋のテレビで沙奈会長と一緒に録画したアニメ映画を観ることに。初めて観るので内容に集中したいけど、沙奈会長が僕に寄り添ってくるので、彼女の方ばかり気になってしまう。何度も目が合うし。まあいいか。Blu-rayだから、これからも好きなときに観られるし。

 それでも、映画を楽しみ、クライマックスに差し掛かるときだった。

 ――プルルッ。

 うん、スマートフォンが鳴っているな。確認してみると、琴葉から電話がかかってきていた。


「琴葉からですね」

「私もお話ししたい!」

「じゃあ、スピーカーホンにしますね」


 Blu-rayの再生を止め、僕は琴葉からの通話に出ることに。沙奈会長のためにスピーカーホンにする。


「琴葉、おはよう」

『おはよう、レイ君。昨日は……お家で如月さんと楽しい時間を過ごしたみたいだね』

「うん、そうだけど」

「どうして、恩田さんがそれを知っているんだろうね」

『あっ、如月さんにもあたしの声が聞こえているんですね。実は、今朝……病室にアリスちゃんが来て、顔を真っ赤にしながら昨日のレイ君と如月さんのことを話してくれて』

「……なるほど。アリスさん、私と玲人君の愛おしい初夜をこっそりと見たのね」


 恥ずかしいなぁ、と沙奈会長は顔を赤くしながら笑う。

 すっかりと忘れていたけれど、アリスさんは僕や沙奈会長の様子をいつでも見られるんだよな。今度アリスさんに会ったら、色々と言っておいた方が良さそうだ。


「恩田さん。ちなみにアリスさんはどういうことを話していたのかな」

『えっと、ベッドの上でイチャイチャしていたと言っていました』

「なるほどね。ミッションも終わったんだし、人のプライベートな時間を勝手に見るなんてあまり良くないかな。しかも、それを包み隠さず恩田さんに話すなんて……」


 沙奈会長がそれを言える立場ではないと思うけど。ただ、このことで盗撮される人の気持ちが分かってくれれば何よりだ。


「そういえば、琴葉。今日は予定通りに退院することになったの?」

『うん。もう退院して、ついさっき家に帰ってきたんだ』

「そうだったんだ。退院おめでとう」

「おめでとう、恩田さん!」


 そうか、琴葉は無事に退院して、家に帰ることができたんだ。もちろん、琴葉の家も琴葉の部屋も覚えているので、あの場所に琴葉が戻ったと思うと嬉しくなる。


『ありがとうございます。2年ぶりに家に帰ってきましたけど、今までずっと意識がなかったせいか、全然そんな感じがしないです。懐かしい気持ちもそこまで湧かなくて』


 琴葉にとっては2年近くも眠っていたとは思えないのだろう。異世界でアリスさんと一緒にいた時期はあるけど、そこまで影響はないのかな。


『でも、スマートフォンの時計を見たりすると、2年近く経っているんだなって実感しますね。それに、レイ君のお家の表札がなくて、建売住宅としてチラシも貼ってあって。あたしが眠っている間にが色々と変わったんだなって思いました。昨日、レイ君や麻実ちゃんと会えて嬉しかったけど、ちょっと……寂しくなっちゃいました』


 そう言う琴葉の声は震えていた。

 近くに住んでいた幼なじみが引っ越していて、住んでいた家が既に売りに出されていたら寂しい気持ちになるな。こうしてスマートフォンを使っていつでも話せても。


「そっか。……本当に、ごめん」

『気にしないで。レイ君はあたしのことを必死に守ってくれようとしたって分かっているんだから』

「そう言ってくれると心が軽くなるよ。遠くはなったけど、琴葉さえ良ければいつでも家においでよ」

「……恩田さんなら許す。変なことさえしなければね」

『あははっ。如月さんのお許しが出たから、じゃあ近いうちに遊びに行くね。新しいレイ君のお家やお部屋に実際に行ってみたい』


 今の口ぶりだと、これまでにアリスさんの魔法で僕の家の中は見たことがあるのかな。


「もし、写真で良ければ私が送るよ。部屋での玲人君とか月野学園の制服姿の玲人君とか。連絡先は彼から教えてもらうからさ」

『欲しいです! どうかお願いしますっ!』

「うん、分かった。じゃあ、後で送るね」

『ありがとうございます! 嬉しいな……』


 きっと、琴葉はあの部屋で笑っているんだろう。またそんなときが訪れるとは。こっちまで嬉しくなる。


「……あのさ、琴葉」

『どうしたの? レイ君』

「……ちょっと、おかしいかもしれないけれど」


 今の琴葉にかける言葉はきっとこれしかないだろう。



「おかえり、琴葉」


『……確かに、ちょっとおかしいかも。ただいま、レイ君』



 ははっ、と琴葉の笑い声が聞こえる。きっと、楽しい笑みを浮かべていることだろう。


『本当に家に帰ってきた気がするよ。じゃあ、如月さん……レイ君の写真をお願いしますね!』

「うん、分かったよ」

『ありがとうございます。どんなのが送られてくるか楽しみにしてますね!』


 そう言って、琴葉の方から通話を切った。昨日、本人がすこぶる元気だって言っていたのが納得できるな。これなら、近いうちに家に遊びに来ることが実現できそうだ。


「玲人君、恩田さんに写真を送るから連絡先教えて」

「分かりました」


 僕は沙奈会長に琴葉のスマートフォンの電話番号とメールアドレス、利用しているSNSのIDを教える。


「ありがとね、玲人君」


 沙奈会長が琴葉にどういう写真を送るのか気になるけど、琴葉だからいいか。

 ――プルルッ。プルルッ。

 あれ、僕のスマートフォンが何度も鳴っているぞ。広告メールがいくつか来たのかな。


「……ああ、そういうこと」


 沙奈会長、僕と琴葉の3人でグループを作って、そこに写真を送っているのか。

 どんな写真なのか見てみると、この部屋でコーヒーを飲んでいる写真、月野学園の制服姿で校舎の中を歩いている写真、生徒会室で沙奈会長と副会長さんとのスリーショット写真など、思ったよりもまともな写真を送ってくれて安心した。

 そんな沙奈会長の写真のお礼ということで、琴葉からも写真が送られてきた。


「いい笑顔ね、恩田さん」

「ええ。小さい頃から変わっていません。……本当に良かった」


 その写真には満面の笑みでピースをする琴葉が写っていた。背景はちょっとしか写っていないけど、自分の部屋で自撮りした写真だとすぐに分かって。琴葉は本当に自分の家に帰ることができたと分かり、とても嬉しい気持ちになったのであった。

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