第49話『ゼロ-前編-』

 カーナビによると、僕の家から国立東京中央病院まで40分ほどかかるそうだ。四鷹警察署の警察官がすぐに病院へ行ってくれるそうだけど、できれば僕らが到着するまで何も起こらないと祈るしかない。

 しかし、不安材料もある。

 さっき、ゴンへ大丈夫かどうかメッセージを送っても、彼からの返信が1つもないのだ。僕からのメッセージに気付いていないとか、スマートフォンの電源が切れているなどという理由だったらいいんだけれど。


「後ろは3人で座ってもらっていますが、大丈夫ですか?」

「平気です! むしろこのくらいの方がいいくらいですよ!」


 沙奈会長は僕と腕を絡ませ、ベッタリしているのでとても上機嫌の様子。

 運転席にはもちろん羽賀さん。助手席には氷室さんが座り、後部座席には僕、沙奈会長、浅野さんが座っている。


「沙奈さんが玲人さんにピッタリとくっついているおかげで、私はむしろゆったりできるほどです」

「そうですか」


 出発してからずっと、沙奈会長にくっつかれているので結構暑い。ただ、柔らかいし、いい匂いがするし、何よりも会長本人が幸せそうなので、この状況も悪くはない。


「家にいたときから思っていたのだが、如月さんを見ていると、氷室の恋人と重なる部分があると思うのは私だけだろうか」

「確かに似ている部分があるね」

「氷室さんの恋人は一緒にいると、今の私のようにベッタリとしているんですか?」

「……ベッタリするときもあるね。どこかしら触れてくるよ、僕の恋人は」

「そうなんですね! 私達も氷室さん達を見習わないといけないね、玲人君」

「見習うって僕達、付き合っていませんよ」


 まったく、沙奈会長は。こんなに切迫した状況なのに。しかし、そんな彼女がすぐ側にいるので何とか気持ちを保てるのも事実で。

 ――プルルッ。

 うん? 誰かのスマートフォンが鳴っているな。

 もしかしたら、ゴンからメッセージが来たのかと思い確認してみるけど、残念ながら僕のスマートフォンがなったわけじゃなかった。


「私のスマートフォンだな。氷室、通話に出てスピーカーボタンをタップしてくれ」

「分かった」


 運転席近くに設置されているホルダーに、羽賀さんのスマートフォンが設置されていた。それを氷室さんが操作する。


「お疲れ様です、羽賀です」

『私、四鷹警察署の佐藤と申します! 先ほど、国立東京中央病院の518号室に到着しました。そのときには、病室の入り口と中に意識を失っている若い男性が4人。手と腕を負傷している男性が1人いました。負傷した男性は今、治療を受けています』

「そうですか。その部屋に入院している恩田琴葉という女性は?」

『外傷はありませんが、念のために医者に容体を確認してもらいました。その結果、恩田琴葉さんは無事です。意識はありませんが、医者によると2年ほど前に受けた外傷により、ずっと意識がないとのことです』

「そうですか、分かりました。ちなみに、手と腕をケガした男性というのは……」

『かなり大柄な20歳くらいの男性です。ええと、君、名前は……』

『大山太志ッス! 手や腕をナイフやカッターで切られたッスけど、すこぶる元気ッス!』


 やっぱり、ケガをしたのはゴンだったか。凄く元気な声が聞こえたので一安心だけど、彼に怪我をさせてしまったな。胸が痛む。


「その大山君は、ある方から恩田琴葉さんを守るように言われていた人物です。あと、意識不明の4人は拘束しておいてください。私が追っている犯人とその取り巻き達かもしれませんので」

『承知いたしました!』

「私もあと30分ほどで、そちらに着きますのでよろしくお願いします」

『お願いします!』


 向こうの方から通話を切った。


「気を失った4人の中に菅原君がいるといいな」

「そうだな、氷室。ただ、場所を考えれば彼がいる可能性は非常に高いだろう。それにしても、逢坂君の友人……大山君は凄まじい運動神経の持ち主ですね」

「本人曰く、体力だけには自信があるそうです。彼の自宅が病院から徒歩圏内なので行ってもらったんです」

「そうだったんですね。とにかく急ぎましょう」


 病院で身柄を拘束された4人の中に菅原がいれば……きっと、すぐに決着を付けることができるだろう。

 幸いにも渋滞にはまるようなことはなく、30分ほどで国立東京中央病院に到着する。入り口付近には何台ものパトカーが止まっていた。


「結構なパトカーの数だね」

「複数人で恩田さんを襲う可能性があると私が言ってしまったからな。さあ、私達も518号室へと向かいましょうか」


 僕達は羽賀さんについていく形で518号室へと向かい始める。

 病室のある5階に到着するとちらほらと警察官が見える。


「警視庁捜査一課の羽賀です。518号室へ襲撃した4人と会いたいのですがどちらに?」

「ご案内します」


 近くにいた警察官によって、僕達は襲撃した男達のいるところへと案内される。静かだけれど彼らはまだ意識を失っているのだろうか。


「こちらであります」


 多目的スペースに、手錠をかけられた男達がいた。ソファーでグッタリとしている。琴葉と集めた証拠写真を何度も見ていたので、その男達が琴葉のことに関わっていた奴らであることはすぐに分かった。そして、


「手錠をかけたのに、俺達のことを警察に連れて行かないのはこのためだったのかよ」

「……お前には、直接会って色々と言いたいことがあってさ、菅原」


 その中の1人は菅原和希だった。手錠をかけられてから、ずっとここで僕達が来るのを待たされたからなのか、とても不機嫌なご様子。


「ゼロ!」


 振り返ると、ゴンが笑顔で僕らのところにやってきた。半袖のTシャツ姿だけど、ケガをしたのか両腕と左手に包帯が巻かれている。


「ゴン、すまなかった。僕のせいでケガをさせちゃって」

「なあに、気にするな。少なくともゼロのせいじゃない。可愛い看護師さんに手当てをしてもらったし。だけど、危なかった。あと10分遅ければ、俺じゃなくて眠っていた恩田琴葉っていう女の子が傷つけられていただろう」

「そうか。とにかく元気そうで良かった」

「おう。そういえば、如月姐さん以外に知らない人が何人かいるけれど」

「警視庁の羽賀さんに浅野さん。そして、羽賀さんの親友であり、父さんの部下の氷室さん。菅原達と決着を付けるために、色々と協力してもらっているんだ」

「そうなのか。みなさん、ゼロのためにあざっす! 俺、大山太志というッス! よろしくお願いしまッス!」


 ゴンはそう挨拶し、羽賀さん達に頭を下げる。病院の中が静かなこともあって、ゴンの声がやけに響き渡る。


「その声も体もデカいお前のせいで台無しだ」

「……腹にもう一回拳を入れてやろうか?」

「ゴン、気持ちは分かるけれど、もうその必要はないから」


 彼らの腹部を一発殴って気絶させたってことか。


「警視庁捜査一課の羽賀です。君達は……518号室に入院している恩田琴葉さんを襲うためにここまでやってきた。しかし、518号室で待ち構えていた大山君によって気絶させられたということですか?」

「正解だよ、刑事さん。木曜日に逢坂の家の場所を突き止めたから、今日は逢坂を使って遊んでやろうと思ったんだ。数人の仲間を連れて月野駅のホームに降り立った途端、親父からメッセージが届いた。恩田が意識不明になった2年前の事件のことで、警察の人間が家に来ているってな。すぐに逢坂が仕組んでいると思ったよ。ただ、逮捕されるかもしれないなら、眠っている恩田を襲ってやろうと思って二手に分かれたんだ。逢坂に邪魔されないように2人だけ家の前まで行かせて。あいつらは捨て駒だから、俺の行き先は教えなかった」


 だから、家の前で拘束された2人は僕の家の前には来たけど、菅原達がどこに行ったのかまでは知らされなかったのか。あと、捨て駒なんて呼ぶ人達のことを、本当に仲間だと思っているのだろうか。


「ただ、逢坂の方が一枚上だったな。病室に行ったらこの大男が待ち構えていて。カッターやナイフを使ってケガをさせたのに全然歯が立たなかった」

「体力と筋肉と食欲には自信があるッス!」


 ゴンはそう言って胸を張っている。ケガを負わされたものの、刃物を所持していた4人を気絶させたんだから凄い男だ。彼に琴葉を守るのを頼んで正解だったな。


「菅原和希。君の家には今も、君の父親の菅原博之から事実を聞き出すために、私の知り合いの警察官がいます」

「そいつはご苦労なこった。休日出勤してまで」

「その原因は自分達にあると分かっているでしょう? 単刀直入に訊きましょう。2年前、君は恩田琴葉さんのいじめを首謀し、事件当日は彼女を雑居ビルの前に呼び出して襲おうとした。しかし、それを逢坂君に阻止された。ただ、恩田さんが意識不明の重傷を負ったため、自身に警察の捜査が及ばぬよう、父親から圧力をかけてもらった。これらが事実であると認めますか? ちなみに、これらが事実である証言や証拠はいくつもあります」


 落ち着いた口調で羽賀さんがそう問いかけると、菅原はすぐに口角を上げた。


「……どうせ、この大男への傷害の罪で現行犯逮捕されるんだ。今更、あの父親の圧力なんて効かないだろう。ああ、全てを認めてやるよ。恩田をいじめたことも。あの日、俺は仲間と一緒に恩田を襲おうとしたことも。そして、親父が逢坂を逮捕させ、俺達までに捜査が及ばないように警察に圧力をかけたこともな! 裁判では逢坂に執行猶予なしの実刑が下るようにしたんだよ! でも、文句は言えないよな! 逢坂が振り払ったせいで恩田は重傷を負ったことは紛れもない事実なんだからさ!」


 あははっ! と、菅原の笑い声は病院内に響き渡る。

 父親の行なった不正を認めても、僕を犯罪者として陥れることに成功した事実に変わりないからなのか、菅原は笑みを絶やさない。


「……今の息子さんの話を訊いていましたか、菅原博之さん。息子さんが認めましたよ。自分がやったことも、父親であるあなたが警察や司法関係者に圧力をかけたことも。2年前の事件に圧力をかけたことを認めますね?」

『……くそっ! 既に判決が下されたことを今さら蒸し返しやがって。2年前の苦労が台無しじゃないか……』


 ううっ……と、菅原博之の呻き声が羽賀さんのスマートフォンから聞こえてくる。きっと、知り合いの刑事さんと通話中の状態にして、今の菅原との会話を聞かせていたんだ。


「逢坂君に一度は判決が下りました。しかし、それはあなたの圧力によって生まれた偽りの判決だった。それに、あなたや息子さん達の犯罪については何も解決していない。あなたは逢坂君が全て悪いという『真実』を作り上げましたが、事実に勝る真実なんてないのですよ。犯罪を行なったら、いつかは罰せられることを覚えておいてください」

『……終わりだ……私の国会議員人生が……』

「今のその言葉、圧力をかけたことを認める発言であると受け取っていいですね?」

『……勝手にしろ!』


 息子は笑っているけど、父親はキレてしまったか。まあ、自身の犯罪がバレることで失うものの大きさを考えれば、そうなるのも自然なのかな。

 羽賀さんは通話を切った。


「これで、菅原博之についても逮捕できますね。今後もしっかりと捜査をしていき、分かった事実を世間に公表しましょう」


 菅原和希は取り巻き達や女子生徒を使って琴葉をいじめ、事件当日は彼女を襲おうとしていたこと。父親である菅原博之がその事実を隠すために警察などに圧力をかけたこと。彼等がその事実を認めたから、これで決着を付けることはできたかな。


「あははっ……」

「……どうした、菅原」

「お前らが突き止めたことは正しい。でも、気付いていないことが一つだけあるんだよ」


 僕達に知られていないことがあるのが嬉しいのか、菅原は僕を見て嘲笑している。


「確かに恩田をいじめている奴もいたさ。でも、俺の本当の目的は……逢坂玲人! お前を苦しめることだったんだよ!」

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