第2話 大勢と一人〜ごめんよ、次の人と皆〜

 そこはどこかくらい、光のない場所の底。

 何も無いその場所に獣の慟哭が響いた。


「ニクイッ! 憎い、ニクイ憎いニクイ憎いニクイッ!!!」


 獣はひたすら心のままに、全てを吐露していた。

 獣の姿はハッキリとはしていない。暗く幾重にも広がる分厚いベールのようなものが、その獣の姿を隠していた。

 だがその声だけは、荒く何もかもを否定している声。正に孤独な一匹の獣であった。


「ああぁああああああ゛あ゛!! なぜ、なぜだ!! なぜなんだ!! どうしてどうしてどうしてっ!!」


 同じことを何度も何度も繰り返す姿は、正気には見えない。

 そこにふ、と淡い小さな光が彷徨った。


「王、王よ。どうか自身を責めないでくだされ。悪いのは」


「うるさいっ! 黙れ! 黙れ黙れ黙れ! ……ははっ! はははははははははは! ははは!」


 狂っている王は、引きつった笑い声をあげた。

 その瞳に映るものは何もない。


「王よ……。どうか、どうか……」


 そう呟く淡い光は、ひたすら王と呼ばれる獣を心配していた。

 どうか、自分を責めないように。どうか、あの悪しき輩をもう気にせぬ様に。ひたすらに、ひたむきに、淡い光は心配をする。

 その淡い光が人間であったのなら、その瞳から涙を流していただろう。自身の主人への心からの憐憫れんびんと、自分に向ける主人を守れなかった悔恨。そして、主人を狂わせた存在に向けた憎しみ。その全てが混ざった、涙が滂沱の如く流れていたに違いない。

 淡い光は悔しさに身体中に力を入れる。


「……許さぬ……人間ども……っ!」


 淡い光は憎しみの対象の名を溢す。その声はどこまでも震えていた。

 いつまでも笑いながら同じことを呟く狂った主人に、淡い光は目線を向ける。


「    」


 淡い光は主人の名を呟く。

 それは、地に厄災をばらまく存在の名と同じであった。


 ∮∮∮


 私達は長老の家へと案内されていた。

 私の前にいる長老の白い頭が良く見える。後ろにはカシムとエリスが続いている。

 道の途中で私達に気が付いた村の人々は、笑顔を浮かべて挨拶とお礼を言ってくれている。荒れてはいるが、人々の心はそこまで廃れてはいないようだった。

 私はそれにほんの少しだけ会釈することで答えた。反対にカシムは大きく手をふって答えている。

 どうやら先程までの照れはどこかへと消え去ってしまったらしい。

 ……つまり、慣れた様だ。

 呆れつつカシムの声を聞きながらも、村長にずっと聞きたかったことを口にする。


「村長、昨日の男の子はどうしていらっしゃいますか?」


「まだ伏せっておるよ。どうやら、想像以上に呪いが体力を奪ってしまっていた様でね……。わしの家に来る前に見舞って行くかい?」


 村長も男の子の様子を哀れに感じたのか、眉根を下げている。

 男の子も心配だし、どうしようか、と後ろの二人に目線で問いかける。


「いいんじゃねぇの? 俺らも心配だし! な? エリス」


 幼馴染みだけあって、すぐに意図を汲んでくれたカシムがエリスに同意を求める。


「そうですねぇ。私も少し気になることがありまして……」


 そう言って首をひねるエリスに、私は驚いたように目線を向ける。


「エリスも? 実は、私もちょっと違和感を覚えてて……」


 心の底に何かシコリのような違和感が、昨晩からずっと拭えていない。それはどうやら男の子の倒れていたところに関してだと、分かってはいた。だがその答えがどうしても思い浮かばないのだ。

 そんな考えを頭に浮かばせていると、隣のカシルが頭の上に疑問符を浮かべていた。


「はぁ? 違和感なんてあったか? ただ倒れてただけだろ?」


「カシル……あんたねぇ……」


 カシルは何も感じていなかった。

 そんな頭空っぽなカシルに思わず溜息をつく。


「とにかくさー、行けばいいんだろ? 見舞いに行って見りゃあ、分かる事もあるんじゃねーの?」


 頭を動かすことを放棄したカシルが先を促す。

 それに同意することは癪だが、村長にそう伝える。


「わかりました。すぐそこに家がありますので……」


 村長は今まで歩いていた道を外れると、横道へとずれた。私たちも大人しく後について行く。

 しばらくすると、小さな二階建ての一軒家が見えてくる。その前に村長が足を止める。私たちも足を止めた。


「ここです。今、母親が看病をしているはずですから」


 村長がドアを二度叩く。すぐに、はーい、と女性の声が戸内から聞こえた。母親だろう。

 足音がしてすぐに扉が開いた。


「はいはいー。あら、村長! ……と、あら? そちらは……確か」


「ええ。ゴブリン達を倒してくださった皆様です」


 扉の中の母親は少しだけやつれている様にも見えた。きっと看病で疲れているのだろう。それでも気丈に笑顔を見せている女性は、母親の強さが垣間見えた。

 昨日の必死な顔はやはり子供の心配ゆえだったらしい。


「あらあら! まぁまぁまぁ! どうぞどうぞ、入ってくださいな!」


 女性はすぐに扉を大きく開けると、私たちを中へと促す。

 中に入ると、こじんまりとしているが暖かな空間が私たちを出迎えた。

 ……どこか、懐かしいものを感じる。どこか……そう、が起きる前の自分の家の様な。

 思わず目を細める。

 私の気配が変わったのに気づいたのか、カシムが隣に来て心配そうに顔を覗き込んでくる。


「ラシル?」


 そのままカシムは何かを言おうとして、口を開けたり閉じたり。


「あのさ……大丈夫か?」


 結局いつもの言葉を口にして、眉根を下げてしまった。一瞬犬が耳を下げている様にも見えて、口が緩む。


「うん、大丈夫。なんでもないよ」


 すぐに先程までの考えを振り払って、目の前にある現実をみる。


「皆さん、こちらにどうぞ!」


 女性は私達に椅子を進める。私達が座ると女性も向かいの席に座る。


「お礼もちゃんと言ってませんでしたね。本当にありがとう、あの子を助けてくれて」


 深々と頭を下げる女性に一番慌てたのは、カシムだ。


「ちょ!? いいですから! そんな! 俺たちはやらなきゃ行けないことをしただけ!」


 だよな!? と必死の形相で私達に同意を求めてくる。


「そうです」


「えぇ。彼の言っている通りです、お母様。頭をお上げなさい。あのクソども……いえ、畜生……ゴブリンどもは、神の御身の元へ送りました。あちらで自身の罪を悔い改める事ができるでしょう」


 そう言うエリスの顔は凄まじい慈悲の光を帯びていた。

 ……眩しいな……怖いほどに。


「え、ええ……そうですか。なんにせよ、ありがとうございます。きっとこれであの子も……」


 エリスの纏う慈悲の光に女性は怯みながらも、もう一度礼を言った。そしてハッと何かに気がついた様に口に手を当てた。


「わたしったら! 自己紹介もしないで! ナンシーと言います!」


「あ、私はラシルと言います。こっちの頭が空っぽそうな男がカシム、その隣の慈悲深い方がエリスです」


 そう紹介するとすぐに隣の奴がうるさくなったが、それを無視してエリスが、よろしくお願いします、と挨拶をする。


「それで、あの男の子は……」


「ああ! そうでした! ルイの部屋はこちらです」


 女性……ナンシーさんは席を立つと私達を二階の一室に案内する。その部屋の中に入ろうとして扉を開けると、何か異様な空気が体を通り過ぎた。

 エリスが直ぐに前へと飛び出す。


「こ、これは!? なぜ!?」


 信じられない、とでも言う様に目を見開いてエリスが私達を下がらせる。

 ナンシーさんも、驚きをあらわにしていた。


「なんなの、これは!? 私が看病していた時には何もなかったのに!!」


 男の子、ルイ君の体からは異様なほど重苦しい空気と黒い瘴気の様なものが噴き出している。

 

「エリス!? これは!?」


 エリスに目を向けると、険しい表情をしたエリスがルイ君の体を見ている。


「これは……呪い!? そんなまさか!? だとしたら、あのゴブリン達が呪いをかけたわけじゃないと言うの!?」


 エリスの言葉に、ナンシーさんが驚愕する。


「そんな!! じゃあ、あの子は! ルイは!!」


 エリスは口を開かず、唇を噛み締めた。その表情が全てを物語っていた。

 ナンシーさんはその表情を見た途端に泣き叫び、無理にでもルイ君の元へ行こうともがいた。

 前のエリスと背後にいた村長とカシルがナンシーさんを押さえつける。


「ナンシーさん!! ダメです! 今近づけば、呪いの影響があなたにも!」


「そんなのっ! そんなのどうでもいいわよっ!! お願い、通して! あの子の、ルイの元に行かせてぇぇぇぇえええ!!」


 絶叫するナンシーさんをカシルと村長さんに合図をして下へと向かわせる。

 ナンシーさんのルイ君を呼ぶ声がずっと響いている。

 エリスに目線を向けると、迷うように視線をさまよわせ未だに唇を噛み締めていた。血がうっすらと滲んで来ている。


「エリスッ! 本当に何もする事ができないの?」


 ルイ君の様子を見ながら必死に声をかけると、エリスのさまよう視点が私に向かう。


「それは……」


 躊躇いながらも口を開くエリスの腕を強く掴む。


「エリス! 方法があるなら、出し惜しみしないで! 今はルイ君を助けるのが先決よ!」


 そう揺さぶると、エリスの視線が定まる。


「……わかりました。でも助けるには、ラシル、あなたの力が必要です。命をかけてもらう事になります……。それでも……?」


 真剣に私に問うエリスに私は迷いなく頷いた。

 わかりました、と言ってエリスは懐から聖水を取り出す。そのまま自分と私に満遍まんべんなくかけた。


「これで三時間ほどは持ちます。行きますよ」


「わかった」


 エリスが先頭に立ち部屋の中へと入る。

 直ぐにベッドの横に跪くと、ルイ君の顔を覗き込む。ルイ君の顔は真っ青だ。もはや生気がほとんど残っていないように見える。もう死んでいる、と言われれば信じてしまいそうだ。


「ルイ君の魂がほとんど体を去りかけています。直ぐにでも呼び戻さなければ、危険な状態です!  ラシル、あなたにはこの子の中に入ってもらいます! この子の中に入り、呪いの核を砕いてください。そしてルイ君の魂を救ってください!」


「体の中に入る!? どうやって!?」


 いきなり突拍子も無いことを言い出すエリスを凝視する。しかしそれに構っている余裕はないとでも言うように、エリスが自分の胸元を探る。

 そこから取り出したのはネックレスだ。そのネックレスの先端には小さな試験管がついている。中には青緑の綺麗な液体が入っていた。


「これを使うことは、本当はやってはいけない事なのですが……今は仕方がありません! ラシルさん、これをルイ君に口移しで飲ませてください。そうするとあなたの精神とルイ君の精神に通路ができます。そこに入り込みルイ君を救ってください。今、精神が体から離れると呪いに包まれます。体ほどの抵抗力は精神体にはありません。少しでも油断すればあなたの精神は呪いに蝕まれ、消滅するでしょう。私はあなたの魂を守るためにこの場で祈祷します! 時間がありません! すぐに行ってください!」


 一気に説明をするとエリスは私に試験管を渡す。

 一口小でいいです、と言ったエルスは直ぐに祈祷の体制に入った。目を閉じ神経を集中させている。

 今は迷っている暇は無い。私は直ぐに試験管の口を開けると、少量を口に含んだ。そのままルイ君の元へ行くと、口を手で開け自分の口と合わせた。そのまま液体を送り込む。

 口を離してみると、反射的にルイ君の喉が動いたのが見えた。

 すると途端に私の意識が落ちる。


 目を覚ますとそこは真っ暗な暗闇の中だった。

 ここは? と、周りを見渡すと目線の向こうに淡く光る小さな背中があった。立ち上がってその背中の元へ向かう。


「ねぇ、君」


 声をかけるとその小さな背中が振り向いた。


「お姉ちゃん、誰?」


「あ、君は」


 その顔は、見たときよりは顔色の良いルイ君だった。そうか、ここがルイ君の中か。

 それよりも目についたのがルイ君の胸に生えている根のついた宝石がある事だった。


「ルイ君!? その胸!?」


「これねー。呪いっていうんだって」


 ルイ君は自分の胸元を触りながら当然のように答える。


「え……? なんで知ってるの?」


「真っ黒な人が教えてくれたの!」


 無邪気に笑うルイ君が信じられない。


「それが、君に何するか分かっているの?」


 恐る恐る問いかけると、ルイ君は笑顔を浮かべた。


「うん! 知ってるよ! 僕をコロスんでしょ? 僕死んじゃうんだよね?」


 簡単に答えるルイ君。

 私は思わずルイ君の肩を掴んだ。


「ルイ君、死んじゃうってどういうことか分かってるの……? お母さん泣いてたよ?」


 ナンシーさんのことを持ち出すと、途端にルイ君の顔が曇った。泣きそうに顔を歪ませてる。


「そっかぁ……。でもね、僕死ななきゃいけないの」


 その言葉に衝撃を受けた。

 こんな子供にこんなことを言わせてしまうなんて……。

 それに死ななきゃいけないとはどういう事なのか。


「ルイ君、どういう事なの?」


 ルイ君が混乱しないように、ゆっくりと話を進める。


「あのね……、真っ黒な人が言ってたの。この呪いは僕の体から離れても、このまま僕をコロシても……村の人たちを皆んな巻き込んじゃうんだって」


「え……? 巻き込むって……?」


「真っ黒な人がね、この呪いは病気の呪いなんだって。少しでもその空気に触っちゃうとね、体が真っ黒になって、直ぐに死んじゃうんだって……」


 病気……? つまりこの呪いは解呪したとしても発動し、このままルイ君を死なせてもルイ君の体から病原が飛び散るってことか!


「何よ……それ」


 逃げ道が見つからない。このままでは大量に人が死ぬことになる。唐突に目の前が真っ暗になってしまった心地がした。


「安心してお姉ちゃん。あの真っ黒な人が言うにはね、僕が心から死んじゃうのをお願いしたら、呪いは僕と一緒にどこかに行っちゃうんだって! だからね、僕、本当はあの日お母さんに見つからないように死のうと思って、見つからないところに隠れようとしてたの! それで見つからなきゃ、僕がまだ生きてるかもしれないってお母さん思ってくれるでしょ? 途中で倒れちゃったけど……。……僕、本当は、みんなと……お別れ、したいわけじゃないけど。でもね、僕ね、みんなを巻き込みたくないなぁ」


 透明な笑顔を浮かべるルイ君に私は何かを返すことができなかった。


 ∮∮∮


 ところは変わって、どこかの異世界。

 そこは魑魅魍魎ちみもうりょう跋扈ばっこする世界だった。

 その世界に住む一人の『サトリ』という妖怪がいた。『サトリ』と言うのは人や動植物の心を読むことのできる妖怪だった。『サトリ』自身は心を読もうとしなければ、読むことなどできないのだが、周りの妖怪たちは『サトリ』のことをよく思わなかった。他の妖怪たちは『サトリ』を差別し、気味悪がった。

 そのため『サトリ』は森の中で一人寂しく暮らしていた。

『サトリ』はその日森の奥に向かい、薬草を探していた。そしていつの間にか崖まできていたのに気が付かず、崖から落ちてしまった。

『サトリ』は落ちゆく視界の中、死を覚悟し、最後に思った。


「誰かと友達になりたかったなぁ」


 ∮∮∮


 私はどうすることもできなかった。

 ルイ君が立ち上がり、どこかへ向かおうとした時に咄嗟に手で止めてしまったが、何も口にすることができなかった。

 そんな私にルイ君はただ微笑んだ。


「お姉ちゃん、気にしないで。お姉ちゃんが悪いわけじゃないから。お姉ちゃんだって分かってるんでしょ? このまま僕を行かせないと、何人もの人が死んじゃうって。だからね、お姉ちゃんが僕を止めようとしないのは、悪いことじゃないんだよ」


 自分の涙でルイ君の姿が滲む。

 ルイ君の言っている事は全て当たっていた。

 私は……、私は……! ルイ君一人よりもっと大勢の命を選んだ……! 頭ではこれが正しい事はわかっている。だけど……っ!!


「ごめん……っ! ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!!」


 耐える事はできなかった。

 目の前にいる小さな子供に、口には出していないが『死ね』と言っている事に。

 何度も謝る私にルイ君は静かな声で止める。


「お姉ちゃん、謝らないで。……お母さんにね、僕のこと伝えてくれる? 僕頑張ったんだよって。だから褒めてねって。……じゃあ僕はそろそろ行くよ。バイバイお姉ちゃん。来てくれてありがとう」


 手を振るルイ君に咄嗟に駆け寄る。手を伸ばし腕をつかもうとするが、もうそこにルイ君の姿は見えなくなっていた。


「あ」


 ルイ君、と呼ぶ声は本人に届く事はなく霧散して行った。

 そしてルイ君の中は崩壊を始めた。私の意識も刈り取られて行く。

 最後に見えたのは、丸い光がこの空間に飛び込んだことと崩壊が止んだように見えたことだった。

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