ブドウの彼の人
木天蓼マクラ
第1話 肉屋の男
肉を買いに行く。
冬は寒しといえど、こうも毎日異常な寒波がくるようではわが家の食卓は鍋一食にならざるを得ない。数日前に買った肉も、買ったその日にそのへんの動物に喰われてしまった。あんなところに置くんじゃなかったと思ってやまないが、肉の鮮度がおちないようにと建物の外に肉を置きっ放しにしておくのは良くない。たかだか洗濯の30分でもコインランドリーの表では野生の動物たちによる冬眠前の食料確保の熱い死闘が繰り広げられたのだろう。ごうごうと、人間仕様の暖房がぬくい店内ではそんな音もかき消されるくらいに私は全く気付かずにいた。
ともあれ肉を買いに行く。
肉屋につくと、作業着の体格のずんぐりした大きい男が注文をしている。
男が来て少し経っているのだろう、作業着には寒さの跡はもう残っていない。肉屋の亭主にどんな肉がいいか、何が旨いか、どの肉をどのくらい買おうかなど、おそらく聞いても店を出れば忘れてしまうような質問を、男は延々と繰り返している。イヤな奴だ。−これは時間がかかりそうだ。先に野菜を買うことにして肉屋を後にした。
次に来たら状況も変わっているだろうと踏んでいたが、肉屋に戻ってもまだ大きな男はそこにいた。肉屋には、亭主とその息子がおり、息子は学校帰りに店を手伝っている感じだ。息子が注文をとるのを何度か見たことがあるが、今日は大きな男のせいで注文が入ったのをスライサーにかけたりして概ね後ろを向いて作業している。
夕食前のこの時間にいつもどおりの買い物をしにきた奥さま方もちらほらと肉屋に集まってきて、大人しそうに待ってはいるものの嫌悪感の雰囲気をまとい、チクチクとその大きな男と亭主を刺すのである。空気に棘がある。こういう空気はよろしくない。空気にのった棘が肉の旨味まで攻撃してせっかくの味も落ちそうである。
ふとみると、大きい男のとなりに小柄の、いや、おそらくは成人だが、身長の低い小さな男が立っている。こんな男、さっきはいただろうか。
もし自分が野菜を買うあいだに肉屋に来たのなら、完全に割り込まれている。小さな男は、ショーケースに腹を密着させた大きい男の真横に位置づけて自分もショーケースに寄りかかり全身をあずけている、そうして少しすると小さな男はショーケースの前をうろうろと行ったり来たりする。次は自分の番だといわんばかりである。にもかかわらず、たびたび肉屋の息子と目が合っているようだが口はおろか一切表情も動かず無言のままなのだ。
−亭主に何か聞きたいのか、しかしこの小さい男にも亭主にいろいろ聞かれては困る。私の時間は刻一刻と不本意に浪費されてる。さすがに待てないと腹をくくり、私も一歩前に出る。奥さま方の棘をあび、私も次の番の列を作る。私の買う肉は決まっている。さっさと買って家であたたまりたい。
大きな男はようやく内ポケットから茶封筒を取り出し、そこから会計の金額を支払っている。どうやら会社の忘年会やら新年会の類の何かで、肉を買ってこいと言われたのだ。会計もまたそんなグチをべらべらと亭主に話し、奥さま方から降り注ぐ棘も大きい男の何層にもわたる腹の奥には響かないという事だった。「じゃ、どうもね。」と大きい男が笑顔で去っていき、そして、その後ろをうろうろしていた小さい男も続いて去って行った。なんだ、ただの付き添いか、と思う反面、一言も口を開かなかったことに苛立ちもあるが、もうどうでもいい、遂に私の番である。
そうして私もやっと口をひらく。
「すいません、お肉をください」
すると、ちらちらと目が合っていた亭主の息子がこういった。
「あれ、さっきの方と一緒じゃないんですね」
何のことはない、私も肉屋からみればただのオッサンで、
奥さま方からみれば時間に見合ってないただのオッサンで、
学生からみれば見分けのつかないオッサンの中のオッサンなのであった。
肉を買い、家に帰り、鍋をくらう。
キムチと豆腐と豆乳と、自家製レシピは一択で。
こんなに寒い冬の日は、わが家の食卓は鍋一食である。
ブドウの彼の人 木天蓼マクラ @makuramatatabi_180123
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