うちの嫁が野菜になった件について

海土竜

第1話 うちの嫁が野菜になった件について

「あなた! これはどういう事なの!」


 文字のびっしりと書かれた数枚の用紙と写真を机の上に叩きつけ、怒鳴っているこの女が私の妻だ。

 夫婦関係はとうの昔に冷え切り、この女のどこを愛していたのか自分でも疑問に思う程だ。感情に任せて怒鳴り散らされても、怒りさえ込み上げてこない。そんな私にこれだけ感情をぶつけられる彼女を感心するばかりであったが、その様な冷め切った人間関係を長く続けられる筈もない。

 私は昨年、一度だけ過ちを犯した。彼女は探偵を使い私の身辺を調査して、それを突き止めた。これがその証拠らしい。


「私と言うものがありながら! なんて恥知らずなの!」


 黙っている私をさらに捲し立てる。

 今更二人の間に、他の人間と関係を持とうが、それを咎めようという理由さえ見つけられない。だた、そこにいる男と女、それだけの関係でしかない相手だ。それなのに、ただ一度きりの関係を怒りに任せて責められるものだろうか? そう思うと、彼女のセリフがだんだん芝居じみた、手の振り方、眉の動かし方まで計算された大仰な動作であるような気がしてならなかった。


「君だって、片山と……」


 作り物めいた彼女の怒りを引っぺがしてやろうというそんな気持ちもあったのかもしれない。思わず彼女の懇意にしている友人の名前を口に出していた。


「何よ! 私を責めるつもりなの! 日付をよく見なさい! 私が片山さんと関係を持ったのは、あなた達より後なのよ! 私に責任はないわ!」


「……えっ?」


 それはあてずっぽうに口にした名前だったのに、彼女は何と答えた?

 思わず口に出た彼の名前、……彼は、……彼は私の友人でもあるのだ。

 腹の中でのたうつ何かが、喉をつたって這い出し、赤く黒く濁った渦の中でグルグルと回り出す。

 彼女は何と言った?

 何と言った?

 何と言ったんだ!

 私の問いに答えるものは誰も居なかった。

 彼女は頭から血を流し床に倒れている。大理石の灰皿で私が殴り倒したのだ。

 床に顔を押し付け動かなくなった彼女の体を見下ろして、私は初めて気が付いた。

 たった一度の過ちを許せない程に、怒りに我を忘れてしまう程に、彼女を愛していた事を。


 その日から私は同じ夢を見る。

 夢の中で私は、動かなくなった彼女をじっと見下ろしていた。私の愛が死んだと確認するかのように、何の感情も持たず、いつまでも見下ろしていた。

 その夢に何の意味があるのか、私は彼女に未練があるのか。

 冷めきった夫婦関係を唐突に終わらせた、彼女の死という罪悪感が私を責め立てるのだろうか。

 私が死ぬまで付きまとう罪の意識として、いつまでも夢を見続けるのだろうか。

 それほど、彼女を愛していたのか。


「……うっ、……うぅ」


 顔を伏せて倒れている彼女がうめき声をあげた。

 いや、違う!

 彼女は動いていない。

 うめき声が聞こえるのは、彼女を埋めた庭からだ!

 私はベッドから跳ね起きると庭へ走った。あの日から努めて近寄ろうとしなかった庭の一角に。

 そこにはびっしりと長い彼女の髪のように蔦が生え、その奥からうめき声が聞こえて来る。

 恐る恐る、蔦を掻き分けると、人間の頭ほどもある大きな西瓜が実っている。

 それを手に取ると、西瓜の表面に内側から押し付けられたような妻の顔が浮かび上がっていた。

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