3 nesma to:vs ers zu:mac tes.(ネスの都も大変だって聞いたぞ)

 まだ本格的なアウトブレイクは起きていない。

 あの村の大兎飼いの少年の言葉をまとめると、そうなる。

 だが、より大きな街に近づくに連れて、感染者の数は目に見えて増えていった。

 ネスの都に入りたい。

 そこで、人々がたっぷりと苦しむさまをこの目で見たい。

 とはいえ、それがあまりにも危険な欲求であるとはわかっていた。

 ネス伯はおそらく、自分とノーヴァルデアのような外見をした者に、賞金でもかけているかもしれないのだ。

 半アルグめいた口に布を巻いた男と、髪が白い、女の子。

 どう考えてもこの組み合わせは目立つ。

 とりあえず、モルグズたちが入ったne:pes、すなわちネーペスの街は人口千五百人程度の、ne:pes banrxucsの統治下にある街だった。

 街の大きさとしては、あのve:vilsよりは大きめだが、正直に言って大差ないように思える。

 モルグズたちにとって幸運だったのは、いざというときのためか、ラクレィスが金銭をノーヴァルデアにも与えていたことだった。

 どのように獲得したかはわからないが、とりあえず金貨二十枚があれば、当座は役立つ。

 ただし、ヴァルサと旅をしていたときと違い、今度は自分で宿の人間と会話せねばならない。

 一応、それなりにyurfa、つまりセルナーダ語を学んだつもりではあるが、発音や細かい言い回しなどでぼろがでる。

 そのたびにイオマンテ人なので、と言うと誰もがそれなりに納得したのはありがたかった。

 とはいえ、さすがに客商売の宿の者たちは、「本当なのか?」という疑いの眼差しでこちらを見ていたが。

 もっとも、彼らもまさかこちらが異世界人とゼムナリアの僧侶だとは思わなかったらしい。

 値ははるが、ノーヴァルデアとは個室をとった。

 さすがに会話を聞かれるのは危険だからだ。


 asuyg ja:bi raha foy.(血まみれ病は広まっているようだ)


 事実、宿の客にも、明らかに感染者とわかる者は少なくなかった。

 ただ、まだ発症者がいないので、やはり潜伏期間はそこそこあるようだ。


 kads ers fa:han cu?(お父さんは嬉しい?)


 偽装するためには仕方ないとはいえ、ノーヴァルデアにkads、つまり「お父さん」と言われるとひどく厭な気分になる。

 彼女の本物の父がなにをしたか、知っているからだ。

 そして、明らかにノーヴァルデアは父の姿をこちらに重ねている。

 さらに最悪なのは「女の目」でも、見ているかもしれないという点だった。

 外見は子供だが、年齢的には彼女はアルデアと同じ、妙齢の女性なのである。

 だから、彼女にこんなことを言われると、率直に言って怖くなる。


 kads.va voksuva fog la:kama wognozo.(お父さん。私は愛の行為を学びたい)


 これも一つの、地獄の形なのかもしれない。

 まだ子供にしか見えない相手が、女の目をして、耳元で囁きかけてくる。

 もちろんモルグズのものは萎縮するのだが、それにどこまで彼女は気づいているのだろう。

 仕方なくノーヴァルデアの頭を撫でてやると、彼女はそこそこ満足したように眠りにつく。

 理屈ではノーヴァルデアではなく先代のネス伯爵の責任だとは理解しているが、たまらなく彼女に嫌悪感を覚えるときもある。

 瞼の裏のヴァルサは、なにも答えてくれない。

 ただ、自分でも信じられないことなのだが、最近、ヴァルサがどんな顔をしていたのか、思いだせなくなるときがあるのだ。

 こんなことは許されるべきではない。

 なのに、現実に彼女の面影が薄れつつある。

 まだ死別して二ヶ月ちょっとしかたっていないのに。

 夢のなかで彼女に会えたと思ったら、それはアースラであったり、ノーヴァルデアであったり、場合によってはラクレィスであったりもする。

 いつのまにか、悪夢がつきものになってきた。

 そのたびにノーヴァルデアに起こされ、彼女の華奢な体を抱きしめる始末だ。

 少しずつ、俺はホスに憑かれるという意味で狂いつつあるのかもしれない、とも思う。

 そこで、ノーヴァルディアの双子、アルデアに想いをはせることもある。

 恋愛感情などは微塵もないが、彼女がもし「血まみれ病」にかかったら、と思うと不快になる。

 彼女は少なくとも、自分とヴァルサにはむしろ好感を抱いていたのだ。

 ただ、いままでノーヴァルデアに、アルデアのことを聞いたことはない。

 怖くて聞けなかった、というのが正解だろう。

 改めて、自分とノーヴァルデアの関係も歪んでいる。

 父親としての愛だけではなく、異性としての愛を求める少女。

 かたやどこかでかつて失った少女の「代替品」として、そして自分が生き延びるための「保護の対象」として相手を見ているモルグズ。

 だが突き詰めれば、愛情などそんなものかもしれない。

 ラクレィスやアースラのことを想い出す。

 自ら愛していた同性を殺したラクレィス。

 アースラに関しては、なぜ彼女がクーファー信仰に走ったのかすら、わからなかった。

 二人とも、それほど唐突に死んだのだ。

 だが、死とはそういうものなのだろう。

 自分たちもいつ、ユリディン寺院のユリディンの牙の魔術師や、イシュリナスの僧侶などによって殺されてもおかしくはないのだ。

 それでも、慣れてしまうのが人間の恐ろしいところだろう。

 少なくとも地獄は、自分がこの世界で生きている限り続く。

 死んだとしても、そこからは一般のセルナーダの人々が考える「死人の地獄」で永劫の責め苦をうけないとも限らないのだ。

 どこまでいっても地獄にはかわらない。

 三日逗留しても発症者がでなければ街を出よう、と考えていたのだが、ついに二日後に発症者が出た。

 噂はまたたく間に街中に広がった。


 ga:ros jabis foy.(ガーロスが病気になったらしい)


 asxaltiama zeresa sxalva ned ja:bizo tes.(アシャルティアの尼僧も知らない病気だって話だ)


 nesma to:vs ers zu:mac tes.(ネスの都も大変だって聞いたぞ)


 どうも病気はネスから来た、と人々は考えているらしく、本来なら疑われてもおかしくないモルグズたちに嫌疑がかけられることはなかった。

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