第3話 1節 奈良の空飛ぶ少年(1)

遠くで、ばあちゃんの声が聞こえた。

「時間だよ、ヒロ!起きなきゃ、間に合わないよ」

―― こりゃー夢だよ。だって今寝たばかりだもん ・・・

ヒロは、布団の中に潜り込んだ。


するとまた、ばあちゃんの声が聞こえた。今度はすぐ近くで。

「時間だよ、ヒロ!今日は起きられないのかい?」

―― しまった、夢じゃなかった。急がなきゃ・・・

ヒロは大慌てで外に飛び出そうとした。


「起こしてくれてありがとう、ばあちゃん。行って来ます」

「ヒロ、どんなに急いでいても、アレを使っちゃいけないよ」

ばあちゃんはヒロの後を追いながら、声を潜めて言った。

ヒロは頭を左右に振って、小さな声で答えた。

「分かってるよ、ばあちゃん。心配しないで・・・」


まだ暗い道を、ヒロは全速力で走った。十一月の朝は、顔や手に当たる風が冷たくて痛い。

―― いつもなら、もう半分くらいの家に配達している時間だ。このままじゃ間に合わない・・・

と思ったら、強い風がヒュッと吹き抜けた。すぐ目の前に新聞配達店が現れ、ヒロは急いで中に入った。


自分が配ることになっている新聞の束を抱えると、飛ぶように外に駆け出した。ヒロは、クリクリした大きな目をした小柄な少年だ。

「おーい、ヒロ、車に気いつけやー」

後姿に向かって新聞配達店の店主が声を掛けた。

彼は、十二歳のヒロが一所懸命働いている姿に、いつも感動していた。


「ヒロのお父さんはどこにおるんやろねー」

店主の妻がヒロの駆けていった方向を見ながら呟いた。

「シュウジが行方不明になって、もう七年になるなあ」

ヒロの父、アオヤマ シュウジと幼馴染だった店主が溜息をついた。

「ヒロは、ほんまに感心な子やな。おばあちゃんの家にはお金ないもんなあ」

店主は目に涙を浮かべている。


ここは、日本最初の首都があった奈良の郊外。古墳や天皇陵がいくつもある。新聞配達店は、山と田畑に囲まれた集落の中にある。

ヒロは、その集落の外側に広がる新興住宅街と古い集落の両方に毎朝新聞を配っている。いつも新興住宅街から配達を始め、最後に古い集落に配達する。


今朝はいつもより遅いといってもまだ暗い。ヒロの姿を見るのは早起きの犬と老人くらいだろう。

―― 急いで配達しないと間に合わない・・・

ヒロは必死に走って大急ぎで配って行った。


ところが、早起きの犬達が驚いて吠え始めた。早起きの老人は目をこすって頭を振った。すごいスピードでつむじ風が通って行ったのだ。ヒロはそんなことに気づいていない。

「ときどき、つむじ風が通り抜けた後に新聞がおいてある」

新興住宅街の老人達は、最近そんな噂話をしている。


―― ここから後は大丈夫だ・・・

そう呟いて、新興住宅街から古い集落に戻ったヒロは、家から家へビューンと飛びながら新聞を配達し始めた。


「だいぶ高く飛べるようになったのう」

昔からヒロを知っている白髪の老人が、薄明るくなった道路に出て来た。そして、すぐにフッと消えた。

「わしがどこに消えたか、分かるか?」


ヒロは、その家の屋根の上に飛び乗って黒い影を両手でくすぐった。

「ひゃー、やめてくれ、ヒロ。お前が上達したのは、よう分かった。」

「ばあちゃんには、内緒にしといてね。急ぐから、もう行くよー」

ヒロはまた、家から家へ飛びながら新聞を配達して行った。

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