61-8 明けまして……おめでとう


 深夜二人が寝静まったのを確認して美月の部屋を出た。


 眠れるわけが無い、あんな答えを出してしまったら。


 俺は栞が、妹の事が好きだ、妹に恋をしている。さっきそう結論付けた。

 

 でも、そもそも恋ってなんだ? 性欲の一種なんじゃ無いのか? 俺は栞に性欲を抱いているだけなんじゃ無いのか? そう思ってしまう。


 俺は……それが知りたい……そもそも恋ってなんだ?


 それを知っている人間が、俺の疑問に答えられる人がここに居る。


 美月の部屋から出る、ひんやりとした廊下を裸足で歩く。日付が変わって今日は大晦日、さすがに皆帰ったのか宴会は終わっている様で階下は静まり返っていた。


 俺は階段を降り、1階にある、とある部屋に向かった。


 リビングとは逆方向、暗い廊下の突き当たりにその部屋はある。部屋の前に着くと俺は少し部屋の様子を伺いノックをする。


 中からすぐに返事が帰ってきた。やはりまだ起きている様だ。

 

 俺はゆっくりと扉を開け部屋を見る。綺麗な黒檀の机の上に置いてあるディスプレイに向かってキーボードを走らせている婆ちゃんがそこにいた。

 

 婆ちゃんは入っている俺を一瞥すると「ちょっと待っておくれ」と言い、再びディスプレイに集中しだす。

 

 俺は黙って近くの椅子に座り婆ちゃんを眺めていた。


 真剣な婆ちゃん……何をするにも余裕でこなす美月以上の天賦の才の持ち主。そんな婆ちゃんのそんな真剣な姿はこの書斎以外では見た事がない……その必死な姿に俺は感心すると同時に作家という仕事に恐ろしさも感じていた。


 そして15分程すると婆ちゃんは眼鏡を外しひと伸びをした。


「終わった?」


「ん? ああ、ちょっといいプロットが浮かんだからね」


「新作?」


「どうかねぇ~~」

 さっきとは違い、ケラケラと余裕をもって笑うと婆ちゃんは席を立ち部屋に置いてあるコーヒーメーカーの方に歩いていく。


「コーヒーでいいかい?」


「あ、うん…………なあ婆ちゃん」


「弥生さんだろ!」


「うん……弥生さん……あのさ……爺ちゃんてどんな人だった?」


「なんだい急に、そうか……お前は覚えてないのか……小さかったからねえ」

 そう言いながらコーヒーの入ったカップを机の端に置き、再び椅子に座る。


「うん……」 

 俺はそう言うと椅子を持ち、婆ちゃんの机の前に座り直した。



「そうだねえ、ボーッとした人だったねえ」

 コーヒーに口をつけると婆ちゃんは少女の様に可愛らしく笑う。


「ボーッとって、そうなの?」


「ああ、暇さえあれば空ばっかり見てたからねえ」


「空……他には?」


「他にって言われても、うーーん、あまりに付き合いが長かったからねえ、沢山ありすぎて」


「長かった?」

 ああ、そうか、婆ちゃんは見た目30代だけど、少なくても50過ぎだし、10年以上前に死んじゃっててもそれなりに一緒に……



「ああ、そうか裕は知らないのか、あのね、私と爺さんはいとこ同士なんだよ」


「……は?」


「爺ちゃんは、私の旦那は、お父さんの妹の息子だよ、だから小さい頃からずっと一緒だったからねえ」


「えええええええええええええ!」


「なんだい、知らなかったのかい?」


「うんうん」

 俺は慌てて頷いた、そ、そうなの?


「美月から聞いてるとばっかり」


「いやいや全然」


「そうか、美月はお前と結婚するってずっと言ってるから、てっきり言って知っているのかと」


「いや……え? ちょっと待って、美月は婆ちゃんにそんな事言ってるのか?」


「弥生さん!」


「や、弥生さんは、えっと止めないのか?」


「なんでだい?」


「いや、……まあ子供の言ってる事だからかも知れないけど」


「ああ、私は美月を子供扱いしていないよ」


「え?」


「美月はその辺の大人よりも大人だよ、裕もわかるだろ?」


「いや……まあ……でもだったら」


「人を愛する気持ちなんてそう簡単に変わる物じゃないからねえ、止めた所でねえ」


「いや、でも、その……血が濃くなると……色々問題が」

 いや俺は何を言っている……そして誰と誰の事を言っているんだ?


「ああ、まあそういう事もあるけどね、裕は優勢遺伝や劣性遺伝の事は知ってるのかい?」


「えっと……うーーん、まあ優勢が優れているって意味じゃないって事くらいは」


「まあ、そうだね、うちの家系にそういう遺伝的要素の病気をしている者は居ないし遺伝なんて確率の問題だからねえ、他人だって同じ因子を持っていたら子に伝わるしねえ、まあ、そもそも今みたいに多くの人が交流を持てない時代は近親婚なんて当たり前だったからね、そこに大きな問題があったならとっくに人類が滅びているよ」


「そうなんだろうけど……それは極論だよ婆ちゃん」


「弥生さん! 裕は何度言っても……全く……まあ、美月が結婚出来る年になるまではまだまだ先だし、美月にはもっと色んな人と出会って欲しいとは思ってるからねえ」



「ああ、美月は俺なんかと一緒にいるよりも、もっと広い世界で、文字通り世界で活動して欲しいし、それが美月にとっても幸せだと思う……」


「あははははは、裕は女心がわかってないねえ、美月が言っている恋愛感小学生以下ってのは本当なんだねえ」


「な!」


「女はね、世界で活躍して名を残すよりも、好きな男と一緒にいて、子供を残す方が幸せって感じる生き物なんだよ」


「そ、そうなの?」


「勿論、そういう考えじゃない人もいるさ、でもね、少なくとも美月や……栞はそう思っているよ、まあ私もね、ただ女の社会進出が悪いと言っているわけじゃない、社会に世界に出る事が駄目なわけじゃない、私だってこういう仕事をして色々な人と会って、凄くよかったと思う事もある。けどね、やっぱりそれが幸せかと言われると、考えてしまうね」


「……じゃあ婆ちゃんは……今……幸せじゃ無いのか?」


「また婆ちゃんって…………まあ、そうだねえ、愛する人を失ってしまったからねえ、未亡人……未だ亡くなって無い人って書くけど、私は死んでない、生きてるのよ!」


「ば、婆ちゃん?」


「弥生さんだって言ってるだろ! まだまだこれからさ、私だってこの先愛する人を見つけるかも知れないって事だよ! まあ実際これでも彼氏の一人や二人いるんだからねえ」


「えええええええええええええええええええ!」


「あははははははは、私を舐めちゃいけないって言ってるだろ?」


「やっぱり……凄いな……弥生さんは……」


「あはははは、それで、裕の聞きたい事ってのは、なんなんだい?」


「え?」


「何かを聞きに来たんじゃないのかい?」


「いや、まあ今ので大体聞きたい事は……、あ、じゃあ一つだけ弥生さんの考えを聞かせて欲しいんだけど」


「なんだい?」


「…………人を好きになるって、男が女を好きになるって……恋ってなんなんだ? 性欲とは違うのか?」


「ほ~~恋愛感覚小学生以下の裕も遂に目覚めたのかい?」


「いや、茶化さないで!」


「そうかい、じゃあ真面目に言うとね、恋って漢字、心が下にあるだろ? 当然下心が恋になった……」


「下心で恋! マジか……」


「っていうのは嘘でね」


「おい、婆ちゃん!」


「あはははは、また婆ちゃんに戻った。じゃあ作家の端くれとして言うとね、恋って言う漢字はこう書くんだ」

 婆ちゃんが凄く高級そうな万年筆でメモ用紙に漢字を一文字書く。


『戀』


「これはね、お互いが糸を引き合うって言う意味なんだよ、心、心臓の上、命の上で正に命懸けで糸を引き合っている。そして糸は縺れ合いどうしようもなくなってしまっている状態……それが戀」


「縺れ合い……どうしようもない……」


 さらに婆ちゃんはもう一文字書く。


『乞』


「そしてね、恋は恋ふとも読む、この乞うと同じ意味だね、お互いを求め会う、何かをしてあげる、何かをして貰う、乞うんだ」


「求め会う……何かをして貰う……してあげる…………乞う……」


「それが恋って事だね、だから下心も満更間違いじゃない、お互いがそう思っていたらね、そもそも男女が分かれているのは、子孫を残す為、人間の、いや、生き物の本能だからねえ、最近あまり表現が露骨だと色々言われるんだけど、隠す様な事じゃ無い筈なんだけどねえ」


「でも……まあ、かといって堂々とする事でも」


「あははははは、そんな趣味の人もいるけどね、それにしても……裕とこんな話をするとはねえ、ようやく裕も大人になったかい? そして次は男になるのかな?」


「婆ちゃん!」


「弥生さんだよ!」


「弥生さん……」


「それで、少しは役にたったかい?」


「うん……凄く」


「それは良かったよ、いつか裕の恋した相手に会ってみたいねえ」


「…………ああ、いつか……ね、ありがとう……弥生さん……じゃあそろそろ寝るよ」


「ああ、お休み」


 俺はそう言って弥生さんの書斎を後にした。


 縺れ合う糸、どうしようもない思い、乞い……


「恋い焦がれるか……」

 思いも下心も、それこそ性欲も、相手が欲しい、自分を欲して欲しい……全てが恋……焦がれる、焼き尽くす……


「栞……」

 俺は暗く冷たい廊下に立ち止まりその先にある美月の部屋で寝ている妹の事を、栞を思いながら呟いた。


「栞……お前はずっと……ずっと……こんな気持ちでいたんだ…………な」

 

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