第9話 それぞれの手

 ねいは高級車の後部座席で座席に体を預けながら、指輪型端末に車の端末を同調させて十二もの投影式モニタを周囲に配置すると、瞳孔を横に開いて視界を広げてその全てに目を通した。

 右手の指を細かく動かし、細かく映像を切り替えながら逃走中のミーナ・レッティとそれを匿う者が乗った車を追跡していく。


「ええ、そう……ルート79を北上していくわ。途中、そこから4ブロック先で左折するはずよ。一度南下するから、工場脇にSADの戦闘車両を一台回しなさい。こちらの車両は決して前面に出さないように」


 追跡に回した連絡要員に指示を伝えると、一度通話を切り替えてSADの本拠地にいるジョンを呼び出す。


「私です。まだ第二陣はそちらに? ……言い訳は結構。こちらはそちらが動く事を念頭に今も追跡を行っているのです。一刻も早く第一陣と合流し、ミーナ・レッティを捕らえねばいけません。では、これで」


 言う事だけ言うと、ジョンの言い分が始まる前に通話を切る。その間も視線は十二のモニタから動く事はなく、頭の中では目標の予想進路と追跡計画を練っている。


 功名を焦り、配置した人員が少なすぎたかという懸念はある。しかし人数を増やせば、それだけ他の七大超巨大企業セブンヘッズに感づかれる危険は増し、目標の確保に予想外の妨害が入る懸念もあった。

 それらを秤に掛け、いつも通りに習熟した最小限の人員で事に当たり、今回は足りない人員をSADを使って補っている。

 トミツ技研の工作員をたおした相手の技量が図抜けているのは分かっていたが、今回の相手は他にも腕の立つ者がいるらしい。今もねいが広げた網をすんでの所でかいくぐり、致命的な状況に陥らないように動いている。

 動きの読みあいで負けるつもりは無いが、ここまで粘ってくる相手はそういない。

 やはり戦闘訓練もしておらず作戦行動の初歩も知らぬギャングでは、作戦を立ててもその遂行が一手二手遅れがちになる。それがとても歯がゆく、腹立たしかった。

 もう少し人を増やすべきだったか――何度も浮かんだ考えがまた頭をもたげる。


「ん……っ」


 不意に、こめかみの辺りに強い痛みを感じて眉をひそめた。

 魔女を自称するねいと言えど、勘を研ぎ澄ませながら複数の計画を同時に考えるのは脳への負担が大きい。しかもトミツ技研の工作員と戦った相手の追跡に凄まじく脳を使った・・・・・上で、休む暇もなくSADをけしかけての捕獲計画を実行したのだ。頭が痛くならない方がおかしかった。


 ねいはポケットから特別に調合された鎮痛剤を一錠出すと、カップホルダーのグラスに入った高カロリー流動食で流し込んだ。トミツ技研傘下の食品会社が作ったこの重サイボーグ用の流動食は、値段こそ他の製品と比べて高いが味付けに拘っている事もあって、妥協すれば我慢出来なくも無い味だった。


「ああ、美味しくない……早く終わらせて、ちゃんとしたものを食べないと舌がおかしくなってしまいそう」


 行動食としては手軽で、ねいにとっても必要十分な栄養をもたらす流動食ではあるが、食べ慣れている食事と比べたら雲泥の差だ。出来れば休憩を兼ねて甘いものを摂りたいが、状況が動いている今はそんな暇は無い。

 ココア風味の流動食をもう一口飲み下すと、ねいはモニタに集中して指揮を再開した。




 トミツ技研の工作員が噛んでいるせいか、SADの反応は早かった。

 車にはねられて動けなくなった者は置いていき、車やバイクに分乗してトッド達の乗った車を追いかける。

 トッドの車は操作性や生存性を重視してある代わりに速度が遅い。外見を変えないままに、偽装した装甲車のような防御性能を持たせた代償だった。


「ダディ、どっかで振り切らないと追いつかれるよ!」

「分かってる!」


 トッドは怒鳴り返しながらハンドルを大きく切った。タイヤが悲鳴を上げ車体が傾くが、内蔵されたジャイロと運転技術で横転は免れる。

 SADの男達は街中でも容赦なく撃ってくるので、一直線に中央区画へ向かうのは周囲の危険が大きい上、警察の非常線も避けなければならない。傍受した警察無線のとナビの投影式モニタに映る情報をあわせて、出来るだけ人通りの少ない道を選んでいく。

 軌道塔を中心とした同心円状に作られた人工島において、ドーナツ状の周辺区画は最も距離が短い場所でも、港湾地区のある外縁から内縁にある中央区画に繋がる橋まで直線距離で五十キロメートルを超える。

 港湾地区から橋まで直通の高速道路もあるにはあるが、この状況で使う訳にもいかない。今回の依頼では警察は今のところ敵でこそないものの、味方というには微妙な立場にある。捕まってしまえば、身の安全と引き換えに依頼の遂行は不可能になるだろう。


「それにしても、向こうの手が早すぎる……いや、こっちの手が読まれすぎてねぇか、おい」


 トッドはバックモニタに目をやりながら歯を軋らせて独り言ちる。

 仕事柄、セカンドバベルのおおよその地理は把握しているし、比較的安全なルートを考えるのは暇な時によくやっている。

 トミツ技研の工作員が追っ手に混じっているとすれば、ルートを読まれるのも納得いくが、それにしてもSADの男達が回り込む速さやフェイントをかけた切り返しへの対応は素早い。位置が把握されているのは分かるが、それだけでここまで逃げるのに苦労する事はこれまで無かった。

 まるでそれなりに腕の立つ工作員が、ダース単位で追ってきているようだった。


 代用肉の加工工場脇を曲がり、しばらくは直線が続くと思った瞬間、脇道から現れた車があった。


「くそっ、テクニカルまで持ってるのかっ!?」


 テクニカルは市販されている一般車を改造して、車両戦闘が出来るようにした簡易戦闘車両だ。屋根や荷台に銃座を取り付けるのが一般的で、固定された大型の銃器は戦争においても数を頼りに戦力として見なされるほどだ。

 機関銃のような大型の銃器の所持・使用はセカンドバベルにおいても違法だが、ギャングに違法もなにも関係が無い。トッドも幾度かギャング同士の抗争などで使われているのを聞いているが、このタイミングで現れるにしては厳しい相手だ。


 トッド達にはあずかり知らぬ事であったが、セカンドバベルのSADを率いるジョン・ロイドは今回の追跡が失敗する事を極端に恐れ、手持ちの全人員全戦力をつぎ込んできている。

 これまで隠していたテクニカルの使用に踏み切ったのも、ジョンからの厳命があっての事だ。

 古めかしい半世紀以上前の機関銃に、現用火器として使われている電磁射出式のグレネードランチャーが据え付けられた銃座は、狙い澄ませたかのように三人の乗った車に向けられた。


「ステフ!」


 トッドはガウスガンを抜き、運転席の窓を開けてテクニカルに向けた。

「止まんないで!」

 右手にSMGを持ったステフは大声で答えながら、緊急開放スイッチを押して一瞬で窓を開けると上半身を乗り出して構えた。目を凝らすと拡大されていく視界の中で、テクニカルの銃座が大写しになる。

 射撃手の男がにやつきながら銃爪ひきがねを引く所までステフの目は捉えていた。

 6.7mmの銃弾はホースで水をまくようにアスファルトを耕しながら狙いを定め、三人の乗った車に命中して派手な火花を散らした。

 フロントガラスに塗られた防弾コートが、白濁しながらも機関銃弾を止めるがこの調子ではすぐに貫通するだろう。しかし射撃手はそこまで待つつもりは無かった。機関銃の射線と同軸にしたグレネードランチャーを起動。30mm榴弾が軽い音を立てて射出された。


 しかし榴弾は着弾する事は無かった。

 窓から腕だけ出したトッドがガウスガンを連射すると、三人の車とテクニカルのほぼ中間で榴弾は撃ち落とされ爆炎が上がる。

 ステフは炎と煙越しにフルオートに設定されたSMGを、指の動きだけで正確に七発ずつ発射し、まずは銃座の基部、続けて射撃手の頭に穴を開けると、最後にグレネードランチャーの弾倉に銃弾を叩き込む。

 誘爆した四発のグレネードは、破片をまき散らしながらテクニカルの車体を大きく宙へと跳ね上げ、その下を三人の乗った車は速度を上げて通過した。


ジャックポット大当たり!」

「お前な、最初はグレネード落とせっ。危うくこっちが空飛ぶ所だったろうがっ」


 SMGを振り回しながら快哉を叫ぶステフをトッドがたしなめる。


「あれ狙って落とすの大変なんだってば。それにダディが落とすって分かってたか

ら、あたしはテクニカル吹っ飛ばすのに集中出来たし、車が前にいたんじゃどの道衝突するじゃん」


 そんな二人のやりとりを、ミーナは唖然として見ていた。射出中のグレネードを手持ちの銃器で迎撃するなど聞いたことがない。狙撃するには早すぎるし、何より目標が小さすぎる。

 最新の軍用車両に搭載される短距離レーザー迎撃システムでも、グレネードランチャーから放たれた榴弾の迎撃成功率は高くない。

 それを走行中の車内からの射撃で行うなんて成功する方がおかしい話だ。


「今のって、二人とも狙って……?」


 小さく声を上げるミーナにトッドは平然と答える。


「流石に走りながらじゃ八発目じゃないと当たらんかったがね。こっちが止まって銃構えてる時なら、三発ありゃいける」


 ほんの少しだけ自慢げに言いながら、ホルスターにガウスガンをしまうとトッドは再び運転に集中する。


「あたしもいけるからね。今回はダディに譲っただけだよ。あたしならやろうと思えば走行中でも二発目で落とせるからねっ」


 口を挟むステフは、自慢げに小さな胸を反らした。


「本当に、得がたい戦力で何よりです。お二人を味方に出来た幸運に感謝しなくては」




 ジョンはSADが経営する娼館の隣にある駐車場代わりの倉庫で、二十人の男達を前にしていた。男達は手に手に銃や鉄梃バール、ナイフなどの武器を携え、一目で分かるくらいに殺気立っている。

 他のギャングとの抗争で鍛えられた、ジョンが信頼するSADの暴力を担う者達だ。今ミーナを追っている者達も暴力を振るう事に慣れているが、追跡の第二陣として集めた者は特に戦闘に向いたサイボーグ手術を受けた割合が高い。

 SADがセカンドバベルで所有している、最大の戦力がこの倉庫に集まっていた。


「ボス。そろそろ出た方がいいんじゃないか?」


 全身に筋電位可変式タトゥーを彫り込んだ男が、鉄梃バールで肩を叩きながら聞く。


「ん、ああ、出るとするか」


 人が揃うのを待っていただけで勿体ぶるつもりは無かったが、通話先の寧がいらつくのが分かると、少しだけ胸がすいた。それを思い出すと、僅かに頬がにやけるのが自分でも分かった。

 だがそろそろ頃合いであった。


「よーし、お前等! もうミーナの顔は覚えたな? 俺達の目的はミーナの持っている荷物だ! 邪魔する奴は全員殺せ! 抵抗しても殺せ! もしミーナが生きてたら、俺の前に引っ張ってこい。いや、死体でも俺の前につれてこい、分かったな!」


 倉庫にジョンの声が響き、最後の号令をかけようとしたその時、乾いた拍手が混ざった。

 ジョンだけでなく、二十人の男達は一斉に拍手のした方を睨み付ける。


 そこにいたのは、濃いグレーの三つ揃いを着た大柄なコーカソイド系の男だった。

四十かそこらに見えるその男は、笑顔を浮かべたまま拍手をしていたが、男達の視線が全て向いている事に気づいて手を止めた。


「失礼。とても威勢の良い事だったので、思わずね」


 三つ揃いの男は口を閉じたまま・・・・・・・悪びれもせず言い、手袋をした手を後ろ手に組んだ。


「お前、トミツの奴か?」


 殺気立つ所に現れた客に、ジョンは周りを制しながら問いかける。

 まさか娼館の客という事はあるまい。男の身なりは整いすぎていて、ここらには不似合いすぎる。

 赤道近くにあるセカンドバベルで、三つ揃いを着ているような人間は中央区画で働く者達の中でもごく一部。もしくは軌道塔目当ての観光客の中でも、リニアレールに乗って宇宙港への観光にでも行けるほどの資産家くらいだ。

 男はジョンの言葉を聞くと、ほんの少しだけ首を傾けて表情が消える。


「やはり君たちの裏にいたのはトミツ技研か」


 ぼそりと誰に言うでもなく呟くと、拍手をした時と同じ笑顔がまた浮かんだ。


「ミーナから助けを請われて調べてはいたのだが、如何せん時間が足りなかった。知りたいことは聞けたので、僕はこれで失礼させてもらう」


 笑顔を崩さずに言うと、殺気立つ男達に手を振りながら踵を返した。

 しかし一発の銃声が響き、三つ揃いの男が止まる。

 肩越しに振り返った男と、ガウスガンを構えるジョンの視線が合った。


「今、ミーナに助けを、って言ったな? じゃあお前はトミツじゃなくて、ミーナの仲間か?」


 旧世代のライフルに匹敵する威力を持つガウスガンを向けられても、顔に張り付いた笑顔は崩れない。体ごと振り向くと、男は挙げたままの左手で倉庫の扉を指差した。


「君の言うとおりだ。だから僕はミーナを助けにいかなければいけない。君たちの時間を取らせる気も、ここで時間を使う気もない。すぐにでも失礼したいのだが……」


 三つ揃いの男は困ったように言うが、その言い分を認めるほどジョンと二十人の男達は寛大では無かった。


「お前等、まずはこいつを殺してから出発だ! 死体は後で始末する!」


 号令一下、一斉に銃が向けられ――銃爪ひきがねが引かれるより早く、三つ揃いの男は瞬時に間合いを詰めると、一番近い相手の顔に左拳を叩き込む。

 腰が入っていない、腕だけで繰り出された拳は手首辺りまで顔面にめり込み、二十人の男達は十九人の男達と一つの死体になった。

 たった一撃で人間を撲殺した三つ揃いの男は、死体となった男の膝がくずおれる前にその首を掴むと、その体を振り回して男達の中に投げつける。

 それが戦闘の合図となった。


 何十発もの銃声と悲鳴が倉庫に響き、そこに生きているのがジョンと三つ揃いの男になるまで五分とかからなかった。


 ありえない――ジョンは目の前で起こった事を理解出来ずにいた。三つ揃いの男はナイフも銃も使う事なく、一発の銃弾もその身に受ける事無く、SADの暴力を担っていた二十人の男達を全滅させたのだ。

 唯一の武器であった両拳を覆う手袋は、返り血やこびり付いた肉片で汚れている。

 三つ揃いの男は軽く手首を振って、ぬめる赤い雫をコンクリートの床に飛ばしながらジョンの方を向いた。その顔にはまだ笑顔が張り付いている。


「君がジョン・ロイドか」


 質問ですらなく、ただ確認のための言葉に、ジョンはへたり込みながら頷いた。


「ミーナが世話になった。あれ・・は君のようなアフリカ系の男が好みなんだ。仕事中でも趣味に走りすぎるきらいはあるが、我々の仲間として優秀だ。君らが手に入れた物をすぐに奪って、あるべき所へと運んでくれている」


 一歩二歩と三つ揃いの男が近づいてくると、ジョンは情けなく後ずさりした。


「面倒をかけたが、君に払えるような礼を僕は持ち合わせていない。本当に済まなく思う」


 ジョンの背が倉庫に並んだ車の一つにぶつかる。そのまま這いずって逃げようとするが、大股に歩く三つ揃いの男からは逃げられない。


「せめても無用な苦痛は無いようにしよう」


 すぐ後ろまで迫る足音。

 自棄になって振り向いたジョンの右手が展開し、その手に短針銃ニードラーが現れるが、男の手はジョンの機械化した右手ごと短針銃ニードラーを握り砕く。


「さらばだ」


 大きく振りかぶられ顔面に迫り来る右拳が、ジョンが最後に見たものだった。


 三つ揃いの男は倉庫に集った男達が、全員死体になったのを一瞥して確かめると、汚れた手袋を脱ぎ捨てる。

 そして懐から端末を出すと通話を開始する。


「僕だよ、アルフだ。ミーナを追っているのはトミツで間違いない。……SADは二十一人は減らした。……うん、そう。後回しにしたかったがそうもいかなかった。処理はいつも通りに頼む。僕は合流してミーナの捜索に当たる。後は任せた」


 口を開かないままに通話を終えると、アルフと名乗った男はぐるりと倉庫の中を見渡して自分が引き起こした惨状を眺めた。

 そして、張り付いたままの笑顔を少しだけ深くすると、足音もさせずに倉庫を後にした。

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