35話 バトンタッチ!君に決めたっ!
「よし、今日のアップはこれくらいでいい。早速課題のバトンの受渡し練習をするぞ」
あれから、はや1週間が経っている。運動会までは残り1週間を切っており、そろそろ仕上げというところだ。特に変更したところはなく、1番手を 春藤君が、2番手を一馬、3番手を小野田さんで、アンカーが私だ。
たかが2週間そこらでは、練習したところで個人のタイムを縮めることはできないので、重点的に行っているのがバトン渡しだ。ぶっちゃけリレーの全てが決まるのはこのバトン渡しであると言っても過言ではない。如何にスムーズに次の者にバトンタッチできるかできないかで大きくタイムに影響する。多少足の遅いチームだろうと、この受け渡しがしっかりとできていればいい勝負ができる程だ。逆に言えば、スムーズな受け渡しができなければいくら足の速いチームであろうと負ける可能性は多いにあり得る。
私の出身学校からは私以上に早い人はいないので敵対視するものはいないが、別の出身校の者は把握していないので正直不安ではある。いつぞやに小野田さんがウチの学校には7秒台がいなかったと言っていたので大丈夫ではあると思うのだけれど……油断してなんとやら。ここは緊張感を持っておいた方がいいだろう。
体力測定での結果があるとはいえ、そこから身長や筋力が増えて足が速くなるというのも十分にあり得るのだ。私だって100mのタイムが縮まっていたので、伸び盛りの男子であればそれ以上に力をつけている可能性は十分にあり得る。
さて、そんなわけなのだけれど私たちのチームはバトン渡しがあまりスムーズではない。息が合わないというか、やはりまごまごしてしまうのだ。
走りだしからの受け渡しでごたついちゃって折角のスピードを落としちゃったり、そもそも受け渡しの際に落としてしまったりとこれが上手くいかない。
私は受け取ってラスト全力で走るだけなのでまだいいけれど、2番手の一馬や3番手の小野田さんは、受取と受け渡しがあるため大変だろう。というか一番大変なのが中間を走る選手だと私は思う。
ぶっちゃけアンカーなんて抜かれてはいけない、寧ろ抜いて行かなきゃいけないというプレッシャーがあるだけで、技術的には何も難しくないからね。それにプレッシャーといえど、社会人としてそれ以上のプレッシャーと責任感に挟まれていた私にとって、この程度あってないようなものだ。
故に一番の懸念はやはり受け渡しだろう。そこさえクリアーできれば後はなるようになる。そのためには3走者目の小野田さんとの息を合わせなければいけないのだけれど……。
「ふむ……やはり川田の受取のタイミングが悪いな。もう少し合わせてやれないか?」
「はい、気を付けます」
ほら言われちゃったよ。確かに、私の出だしが早すぎて小野田さんが追い付けずって状況が多いから、私がもう少しスタートを遅らせなければならないのだろう。徐々にスタートタイミングを遅らせてはいるのだけれど、まだ早いみたいだ。
「川田さんごめんね。次はもう少しウチも合わせるから」
「ううん、こちらこそごめんね!次頑張ろっ!」
小野田さんが申し訳なさそうに眉尻を下げながら言った。こうやって見るとただのいい子なんだよなぁ。やっぱり私が疑ってかかってたのがいけなかったのだろう。社会に出ると疑って掛からないといけないことが多すぎるからそれに毒さちゃってたのかな。そうだよ、中学生のしかも1年生と言えばこないだまで小学生だった者たちだ。その心は純粋であったはず。思い返せばその時の私も綺麗な真っ白なガキンチョだったというのに……大人になるって心が汚くなるのと同義だなぁ。
私は小野田さんに罪悪感を感じてしまい更に申し訳ない気分になってくる。人を疑うのも大事だが、信じることもまた大事だ。特にチーム戦なのだから、まずは味方を知り信頼することから始まる。であれば、私が今まで呼吸を合わせられなかった意味が見えてきた気がする。私だけみんなとは違って一歩引いていた。もしくはその輪に入り込もうとしていなかったのだ。ようするに独りよがりだったのだろう。だから合わせられるものも合わせられなくなるのだ。
そしてそのことを気付かせてくれたのは、私が勝手に苦手意識を覚えて避けようとしていた小野田さんだ。本当、私ってば大人になったつもりでまだまだ子供だったよ。猛省すべ……。
何はともあれ、まずは小野田さんに感謝することから始めよう。
「小野田さん」
「ん?なぁに?」
小野田さんは私の言葉に振り向く。その表情はいつもの優しげなものだ。
「えーとね、その……ありがとう」
取りあえず何を伝えていいのかわからないので感謝の意を述べる。彼女は私に学ばせてくれたのだ。本人にその気がなかったとしても、私自身が学んで気付いた。そしてそれは小野田さんのおかげだ。
「え?ウチなんか感謝されるようなことしたっけ?」
案の定小野田さんはきょとんとしている。
「ん、したよ!小野田さんのおかげで気付けたっていうのかな。だからありがとーって!次は合わせれるように頑張るから懲りずに付き合って欲しいな!」
「……っ、あ、う、うん。頑張ろうね!」
小野田さんは笑顔でそう返してくれた。
うん!疑って掛かるの良くない!チームメイトなら猶更!私の汚れた心は今ここで消毒されて真っ白になったのだ!ジーパンにこぼれたアルコール消毒液みたいな感じで悪い色が抜け落ち、今ここに、にゅーじぇねれーしょん琴音ちゃんが誕生したのだ!
「うむ、これこそが青春だ!皆で川田たちを見習って手を取り合い、そして学び合い頑張っていこう!目指せナンバーワンだ!!」
感極まってか凩先生は力強くそう言った。この先生情に熱かったねそう言えば。クールな見た目と雰囲気からはそんな感じしないんだけど。
『はい!』
そう思いながら他のやつらはきっとそんな凩先生に驚いてるんだろうなーなんて横目に見ると、男子諸君も感極まった様子で元気よく返事をしていた。えぇー……。
「が、頑張ろっか」
「「そ、そうだね」」
私たち女子組はというと若干引き気味にそう口にした。女性は感情で考えると言うけれど、これを見てると女性の方が理性的に見えてしまう。まぁ男性にとって熱い展開っていうのは女性にとっては冷めた目で見られやすいからねぇ、しょうがないか。でも、こうしてみると私の感性もまた女性よりということになるのだろう。身も心も女の子だよ。
とはいえだ。いい意味でチームの雰囲気は向上しやる気が出ているのもまた事実。これを上手く活用しない手はない。
「じゃあ、あと一時間頑張っていこー!」
『おー!!』
運動会まで残り少し。私たちはこうしてリレーの練習に精を出すのであった。
◆◇◆
「ただいまー」
「おかえりなさい。今日は学校どうだった?」
「いつも通りだよ。楽しかった」
「そう。学生のうちは楽しまないと損よねぇ。ご飯はいつも通りでいいかしら?」
「うん大丈夫。あ、ウチ先にお風呂行ってきてもいい?」
「リレーの練習だったかしら。由紀も頑張るわねぇ。応援してるわよ!さ、お風呂いってらっしゃい」
「はーい」
ウチはいつも通りのやり取りを終え、脱衣所へと向かう。ともすれば陸上部の練習よりキツイリレーの練習に汗はだらだら。中に来ている運動用のシャツは汗でべたべただし、何より重くて不快だ。ジャージもそうだし、砂で汚れたりしてて汚い。さっさと脱ぎ去り洗濯機の中へと放り込む。
浴室に入り熱めのシャワーを被り汗と汚れを落としていく。この時間が何よりも至福だ。
「……」
ウチはシャワーを浴びながら今日の事を振り返る。
思い出すのはそう――川田琴音だ。
はっきり言おう。ウチは川田さんのことが嫌いだ。正直『さん』付けするのも嫌だ。だけど仲も良くない人物を呼び捨てにするのもウチの悪印象に繋がるので仕方なく付けている次第だ。
何が気に入らないか。
全部だ。
あの容姿に恵まれたところ。ちっちゃくて可愛らしいところ。頭が良いところ。女子だけでなく、男子とも仲が良いところ。しかも噂では結構男子からの人気があるらしい。あの北原君もそうだ。そして最近発覚した新事実、運動神経が良いところ。
俗に言う才色兼備というやつだ。正直非の打ちどころがない。ウチと比べようものなら完膚無きまでにウチの全敗だろう。多分何を競っても勝てない。唯一勝てるとしたら身長ぐらいだろうか。
「……何が頑張ろう、よ」
ウチはリレーの練習が始まった時、これは一泡吹かせるチャンスだと思った。出る杭は打たれるもの。ここれで一つお灸を据えてやろう、そう思って実行したのだ。
やってることは些細なこと。バトンを渡す時にさりげなくタイミングをずらしてやった。自分でも幼稚だとは思う。でもそれくらいしかウチには対抗する手段がなかったのだ。
でもそれは思いの外彼女を苦しめれたらしい。毎回バトンを上手く受け取れず苦虫を噛み潰したよう顔をしていた。それで凩先生に注意を受けていた姿を見た時は結構スっとしたものだ。ざまぁみろなんて思ったりもした。
だというのに……彼女は私にありがとうと言ってきた。彼女はウチが意図的にやっていた事を知らず合わせられない自分が悪いんだと申し訳なさそうに謝り、それでいてありがとうと言ってきたのだ。
最初は、あ、バレた。と思ったけど次の瞬間にはありがとうだ。意味がわからない。しかもそれで更にやる気を出すなんてどうかしてる。
頭にもきた。
こっちはお前をバカにしてるんだ!気に入らないんだ!って言ってやりたい程だった。上から目線で勝手に達観して大人ぶってんなよ、こっちを見下してんなよって言ってやりたかった。
でも、それで凩先生はウルッと来てるし、周りの男子もやる気出しちゃってるし……次にウチを襲ったのは虚しさだった。
何1人で熱くなってんだろ。馬鹿みたいに抵抗してるんだろって。
まだ、彼女のことは気に入らない。嫌いだ。誰からも愛される彼女が憎くさえある。こっちは媚へつらって、天然キャラを装って自分を偽ってるのに、素の自分でいられるあいつが羨ましくて妬ましい。
「だけど……」
だけど、今回ばかりは手を取り合ってもいいのかもしれない。
ウチだって運動会は楽しみだったしリレーの選手として走ることができる。花形のリレー選手だ。仲の良い友達も応援してくれてる。ウチも華やかに楽しんで終わらせたい。
「それに……」
それに川田さんをどうこうするなどいつだってできる。今リスクを負ってまで行動をするには見返りが少なすぎる。
「……はぁ」
ウチは……まぁ醜い人間なのだろう。本当はいけないことなんだろう。でも割り切れる程大人ではないんだ。彼女を見てると、どうしようもなくイライラするのを抑えることはできそうにない。
ただ、今は、この運動会という1つのイベントの間だけは我慢できる。
「大丈夫。ウチは大丈夫。今までも上手くやってこれた。今回も大丈夫……」
自分に言い聞かせる様に呟く。繰り返し、繰り返し。
◆◇◆
「ぶへっくち!」
「うわっ!汚ねーよ!」
「ごめーん!でもいきなり出るものは抑えられないもの……」
「だったらこっち向かないでくしゃみしろよ!」
「1秒でもけーちゃんのこと見てたかったから♡」
「……姉ちゃんのそーゆーとこ普通にキモいわ」
「酷いー!そんなことゆわないでー!」
「うわぁ!抱き着いて来るなぁ!鼻水ついてんだよ!」
「うへ?!うそぉ!」
うそうそ!?くしゃみして鼻水垂らしてる姉とか威厳なさすぎぃ?!……元から無いかもしれないけど、普通にそんなのかっこ悪いよ!!
私はけーちゃんへの拘束を解きティッシュで鼻をちーん!とやる。
が、空振り。思いの外勢いが強かったので耳が痛い……。
ティッシュが鼻水で濡れた形跡もなし……。
「出てないじゃーん!けーちゃん私鼻水垂らしてないよっ!ほらぁ!」
「嘘に決まってんだろ!てゆーかそんなの見せんな!汚ねぇよ!」
「出てなかったから汚くないもん!」
「うぜー!もーいーから俺をほっといてくれ!」
「いーもん!よーちゃーん!けーちゃんがいじめるー!」
「にーちゃんいけないんだー」
「よーいち!裏切ったな!」
「だってねーちゃんかわいそーだもん」
「あーん!よーちゃん可愛い!お姉ちゃんのことわかってるー!もー!ぎゅーっ!」
「ぎゃー!ねーちゃんくるしー!にーちゃんたすけてー!!」
「しらん!」
某少女が葛藤しているというのにも関わらず川田家は今日も平和である。その葛藤の対象が琴音であるというのにも気付かずに。
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