幕間1
そして俺は夢を見る 序
これは夢だ。俺が「啓一」として過ごしていた時の夢。俺は夢で前世の自分を追憶するのだ。尤も起きる頃には忘れているのだが。いや、それは少し語弊がある。俺は忘れるのだ。自分を守るために。
その場面をいつものように俯瞰しながらやり取りを見つめるのだ。そしてその時の感情が、考えが当時の俺とリンクする。
「なんで遅刻したの?それとも今日のシフト勘違いしてた?」
「……はい、今日夜勤だと思ってて」
「シフト表電子にしてて毎日見れるようにしてたのに確認しなかったの?」
「2日前は確認したんですけど……その時にあと数回出たら夜勤だなという認識でした」
「そっか。でも確認できる状態でしなかったのはなんで?普通勤務あるか前日に確認しない?」
「すいません……その時は忘れました」
俺はその言葉にため息をつきそうになる。仕事をしてる以上遅刻は厳禁だ。何故きちんとシフトを確認しないのか理解に苦しむ。普通確認するだろ……。本当は罵倒してやりたい。なんで出来ねぇんだカス!と言ってやりたい。けれど俺は務めて穏やかな声で続ける。今はちょっとしたことでパワハラと罵られる時代だ。俺だってまだ23なのだ。経歴に傷をつけたくはないし、何より損害賠償払えとか言われたら、自社の安月給では払える気がしない。当然人生ジ・エンドだ。
「仕事をする以上必ず責任がついてまわるんだよね。それはどこでもそう。で、これは僕の持論だけれど、許される責任と許されない責任ってあると思うんだ」
夜勤明けで残業していたせいか頭が回らない。言いたいこと、伝えたいことがあるのだがそれが言葉として中々出てこない。俺は一息いれるために煙草に火をつけ煙を取り込む。イライラとした感情や霞んでいた思考が僅かながらクリアになっていく。
「許される責任、例えばちょっとしたミス。普段は出来ているけれど、たまにやらかしちゃうようなことね。そこまで重要視していない書類の書き漏れとか。そういうのは割と許されたりする。仕方ないね、次気をつけよとかさ。ヒューマンエラーて言葉があるぐらいだ。当然さね。まぁ何度も同じことを繰り返していれば話は別だけど」
つまりお前のことだ!と言いたいがここはグッと堪える。そしてまた煙草の煙を肺に取り込み落ち着く。
「次に許されない責任ね。それは社会人として当たり前に出来なきゃいけないことだよ。例えば今回みたいな遅刻ね。障害を持っている方ならば仕方ないかもしれないけれど、普通の人間が普通に会社通うことは誰だって出来るよね?そういう基本的な問題ってのは許されない。ていうか事情がない限り絶対しないししちゃいけないんだ」
「……はい」
はいって、本当に理解しているのか?理解してたら何度も遅刻も同じようなミスもしないだろうに。完全相槌だけのはいと化してるよな。はぁ……。
「ほかの職ならわからんけど、この現場は24時間365日稼働してないといけない。んで、本来は8人体制で各勤務で2名ずつ。現状教育が滞ってる君を含めて8人。そんな中で遅刻するとどうなると思う?」
「……夜勤の方が残業することになります」
「そうだよね。残業代出るとこだったらいいかもしれないけど、うちみたいに残業代が出ないとこだとただのサービス残業になるわけだ。納得すると思う?」
「……いえ」
頭が回らないせいか余計なことまで言っちゃったけど、こいつ理解してるのか?いえ、て言ってるんだから理解してるのだろうけど本質は理解してないよな。
「じゃあその分のお金払って責任とります、ともできないよね。じゃあーー」
圧迫してるみたいで嫌だけど言わないと理解してくれないからなぁ。本当なんで年上に、人生の先輩に説教なんてしなきゃならないんだ。普通逆だろ。
仕事に年は関係ないのかもしれない。だとしても俺よりも人生を歩んでるだろ。そこまでに学ぶことはあっただろ。俺だって褒められた人間じゃない。寧ろ低俗だ。凡骨だ。そこらの同い年よりも遥かに下にいる。そんな俺よりも人生を歩んでるだろ。なんで出来ないのか。これがまるでわからない。
「――さて、対策はどうする?このままだとまたやっちゃうでしょ?次はどうやったら……」
ここからまた突っ込んでいかないといけないっていう時に会社携帯が軽快にピロピロとなる。まるでこの場の雰囲気には合わない。俺は軽くため息をつき電話をとる。
「はい、川田です。あぁ、アラートですか。わかりました。こちらは切り上げて大谷を戻します。はい、はい、わかりました。失礼します」
どうやら間の悪いことにアラート対応が入ってしまったとのこと。あらかじめ彼、大谷の説教に時間をとると次勤務者には許可を取っていたが、アラート対応となればダブルチェックが必要となる。そうすると対応者の大谷を戻さなければならない。言いたいことはまだまだ山のようにあるが仕方ない。業務優先だ。
「取り敢えず対策は次に僕が来るまでに立てておいてね。じゃ戻っていいよ」
「本当に……すいませんでした」
「ん、まぁ次はしないように」
俺は最後に煙草を一吸いして灰皿に捨てる。そして去り際にもう少しだけ続ける。
「今日は遅刻してショボーンとしてたり、色々考えることあるだろうけど。まずは業務優先するようにね。それじゃ今日もファイト」
「はい、すいませんでした……お疲れ様です」
「ん、お疲れ様」
俺は軽く手を振り会社から出る。チラリと後ろを振り返ればとぼとぼと現場に戻っていく大谷の姿が見えた。
こうして見れば彼も反省をしているのだろう。何度も謝っていたし。ただね、大谷。「すいません」は使えば使うほど価値を失うんだ。それを君は理解しているのかい。きっと理解はしていないのだろう。
俺は深くため息をつき帰路についた。
そして場面は暗転する。
今度俺は真っ暗な部屋に立っている。自分の姿は俺自身、啓一だ。鏡がなく自身を確認出来ないがわかるのだ。不思議なものだが。
この真っ暗な部屋は何も無い。ただただ闇が広がるだけだ。上も下も右も左もない。ともすれば平衡感覚を失いかねない、そんな狂気に満ちた部屋だ。
しかしいつまでも真っ暗なだけではない。しばらく待つと足元にモニターの様なものが浮かび上がる。そしてそこには
実際そうだ。
フラッシュバックする。
当時のことがまるで今起きているかのようにありありと、まざまざと憎らし気に嘲笑うかのように目の前に映るのだ。
泣き叫ぶ誰か。茫然とする誰か。そして何も感じることのなかった心無い誰か。
俺は頭を振りその光景を振り払う。俺は忘れたわけじゃない。寧ろ逆だ。忘れることなどできない。してはいけない。だが、今の
今の状態は非常に危うい。心が安定していないなかこうして爆弾を抱える。細いロープの上にいるようなものだ。ちょっとした風が吹けば真っ逆さま。しかしそれは絶対にできない。少なくとも今はまだコワレルわけにはいかない。
俺が
モニターの自分を見る。
楽しそうだ。
それでいい。
「ねぇ」
ふと誰かに声をかけられる。この空間にいるもの、それは限られている。またいつものようにそいつは現れる。
「どうしてあんたは生きてるの?」
そいつは墨で塗りつぶしたような真っ黒な瞳で俺を見つめ、恨めし気に言う。
「あれは私の体でしょ?なんであんたが生きて私がここにいんの?」
そいつは言葉を吐き出しながら俺に近づいてくる。俺は一歩も動きはしない。故に距離は徐々に徐々に近く、そして気付けばもう目の前にいた。
「私はさ、忘れてないよ。あんたがしたこと。そして……許してもない」
細く華奢な両腕が俺に向けられる。両手が向かうは俺の首だ。何をされるかなどわかっている。だが、俺は動かない。動いてはいけない。やがてその小さな手は俺の首を掴む。そして力を込めていく。
勿論苦しい。逃れたい。この両手を振り払ってしまいたい。しかしこれは逃れてはいけない贖罪だ。俺が受けなければいけない罰。
目の前にいるこいつは勿論本人なんかじゃない。俺の後悔が作り出した幻覚に過ぎない。本物の彼女が言った言葉はこんなありきたりでちんけなものではない。もっともっと重く俺を縛り付けるものだった。
「ねぇ返してよ。私を返せ。返せ返せ返せ返せ返せ」
ギリギリと更に力は込められていく。それと同時に『俺』の意識は薄れていく。これが俺としての目覚めになる。幻覚のそいつに首を絞められ苦しみの中目覚めるのだ。
現実を生きる
「すまない……――」
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