15章 島奪還

karma1 ただならぬ関係

 関原の瞳は目の前の女性に注がれていた。張りつめた気が関原から滲み出ている。が、女性の方はというと、冒険家の血が騒ぐと言わんばかりのみなぎる活力が全身からあふれ出している。

 しかし見た目はいたって普通の成人女性。ピンクのキャリーバッグに臙脂えんじのコート、ウェスタンブーツに白のスキニーパンツ、群青のニットカーディガン。白衣を着る関原と白を基調とする電子的な部屋とは対照的だった。


「アメリカから遠路遥々どういったご用件ですか? 木城満穂きしろまほ局員」


 木城は唾をかけられたような顔を浮かべる。


「なにその白々しい態度。同じ研究室で切磋琢磨してきた同期が、こうして日本に帰ってきたってのに、おかえりの一言も言えないの? ってか、ちょっと疲れた。休ませて」


 そう言うと、木城は氷見野が座っていたパイプ椅子に腰かける。

 家にでも帰ってきたかのような振る舞い。氷見野は木城のやりたい放題加減にさっきから呆気に取られてしまい、木城の隣で動けずにいる。

 その木城は部屋の様子をじっくり見回している。


「へー、特殊整備室室長ねぇ」


 木城が周囲を見回していればおのずと氷見野に視線が向かう。一度視線が合ったかと思えば、赤フレーム眼鏡のレンズを通した瞳が氷見野の手元に向かった。


「あ、ありがとう」


 そう言うと、氷見野の手に持っていたコーヒーを取ってしまった。

 氷見野が自分のだと言う間もなく、木城は口をつけてしまい、おどおどしっぱなしだ。


「それは君のために入れたコーヒーじゃないよ」


「あら、そうだったの。ごめんなさいね」


 悪びれもしない笑顔だった。


「い、いえ……」


 氷見野は苦笑いで返す。


「氷見野さん、入れ直しますよ」


「いえ、もう大丈夫です」


 断りを入れ、ふと氷見野は2人をまじまじと見ていく。2人は相容れぬ異なった雰囲気を醸し出しながら同じコーヒーを飲んでいる。

 氷見野は2人の関係に憶測を巡らせつつ、自分はどんな顔でここにいればいいのか分からず戸惑っていた。


 妙な空気が数秒たって、切り出したのは関原の方だった。


「で、今頃になって日本の防衛軍に戻ってきた理由は?」


 すると、意地悪そうな笑顔が関原を差した。


「知りたい?」


 関原は嘆息した。


「相変わらずだな」


 関原の反応に満足げな木城が饒舌に語り出す。


「理由は色々あるわ。でも簡単な理由よ。アメリカでやってても、面白くなくなってきたってのが1つね。私がしたい研究は充分させてもらってはいたけど、なんかねぇー」


 木城はオレンジゴールドの髪をかき上げ、気だるげに声の調子を下げる。


「大人の事情っての? そんなのがついてきちゃってね。んで厄介なことを強いられそうになったから辞めてきたの。ふふ、夜逃げって感じ?」


「いいのかい? あっちの方が情報は回ってきたんだろ。君にはもってこいの研究場所だったんじゃないか?」


「そりゃ日本よりも検体サンプルの数や必要な研究設備は充実してたわ。でもここ最近のブリーチャー研究はどこも大差なさそうだし、アメリカの研究開発費にかけるお金も減ってきて、遂には最先端のブリーチャー研究国はポルトガルに抜かれて5位に転落。だったら日本でもいいかなぁってね」


 語られる理由にうんともすんとも言わない関原。うかがい知れない関原の表情は、コーヒーの水面に落とした。

 その間に、コーヒーを一口含んだ赤い唇はうっすら笑みを作った。


「戻ってこない方がよかったかしら?」


 関原は喉を鳴らした後、


「……そんなことはない。きっとも喜んでるさ」と色褪せた過去の音を鳴らす。


「そうやってすぐ逸らす」


 気に食わない返答にいじけた様子になる木城。空になったマグカップを持って、関原が腰かける机に向かう。


「ごちそうさま」


 柔らかな笑みで言ってマグカップを机に置くと、キャリーバッグを引いて部屋を出て行った。

 氷見野は終始マイペースな木城に圧倒され、目を点にしながら特殊整備室のドアを見つめていた。


「変わったヤツだろ?」


 関原は嵐の後のような空気を清掃するかのように、疲弊感を纏わせて話し出す。


「ああやって自由気ままだから、周りが困惑するんだ」


「なんか、すごい人でしたね」


「すごい人ねぇ。確かに、すごいかもな」


 関原はしみじみと繰り返す。


「関原さんのお知り合いですか?」


 関原は腰かける机の上にある写真立てを見る。関原と木城、そして老齢の男性が写っている。老齢の男性と若い木城が笑顔なのに対し、関原は真顔でどこか不満げだった。


「ああ。東防衛軍が設立される前、僕らは大学に身を置く学生だった。のちに研究員となり、メカトロニクス化学総合研究所ができた」


「木城さん、こちらに何か用事だったんですか?」


 氷見野の問いに関原は表情を硬くし、空になったマグカップを机に置いた。氷見野を値踏みするように見ること数秒、関原は目を閉じてこめかみを掻く。そしておもむろに口を開いた。


「これはまだ発表されてなかったんだけど、まあいいだろう。どのみちすぐに公表されることだし」


 大きな独り言を吐くと、諦めたかのような唇が真正面に返答する。


「来月、ウォーリア研究室の室長を兼務していた僕に代わり、アメリカから来た木城満穂が、東防衛軍のウォーリア研究室の室長となるってわけだ」


「え、じゃああの人」


「そう。異動しに来たんだ。まだ来ないはずだったんだけど、勝手に早めてきたらしい」


 関原は呆れた様子で言う。


「彼女はウォーリアの体質だけでなく、ブリーチャーの生態についても精通している。僕らの知らないことも、彼女なら知ってるかもな」


 関原は氷見野から視線を逸らし、木城が出て行ったドアに向ける。

 懐かしい記憶が幻覚となって匂いをもたらす。が、好き嫌いの分かれる匂いが混ざり合い、なんとも形容しがたい香りになっていた。

 関原の眉根に皺が刻まれる。

 関原のそばにある2つのマグカップのふちには、それぞれ口紅とコーヒーの跡がしっかり残っていた。

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