karma11 闇に棲む者たち

 午前0時に向かう頃。しかし、このトンネルの中は朝も昼も夜もない。

 四六時中ずっと暗闇が立ち込めている。人目を避けて暮らす動物たちの活動場所であり、寝床にもなっていた。猫や犬、ネズミ、コウモリ。他にも様々な生き物がいる。生き物という大枠の中には、例外なく人も含まれていた。


 人の手が加えられなくなったトンネルを住処にする人は、決まって金なしのホームレスなわけだが、人気ひとけのない場所では再起に叶うはずもない。

 様々な理由により、人目を避けて暮らしたいと、あえてホームレスでいることを望む変わり者たちの縄張り。

 ホームレスでありながら、人との関わりが極端に少ないトンネルの中でも暮らしていけるのは、近くにある教会本部の支援と、貧困者の支援を目的としたボランティア団体の炊き出しのおかげもあるが、何よりトンネル内で形成される小さなコミュニティの強さが生存を維持させていた。


 ある意味たくましい暮らしをしているとも言えるが、身なりや顔つきはハイコントラストの街を歩く文化的で最低限の暮らしをしている者たちよりも貧相なものと言えるだろう。

 2つのレールが敷かれるトンネルの中では、段ボールとビニールで工作した家が点在していた。


 おじさん2人がわずかなお金で手にした1つのカップ酒を飲み交わしていたり、げっそりとやつれているおばあさんが、うつろな目で大量の蟻に食われているトカゲの死がいを見ながら口を半開きにさせていたり。

 まだ働き盛りと言われる歳であろう若い女性が、小さな赤ん坊を抱っこしながら子守歌を囁いて寝かしつけていたりと、多種多様な人相と事情が思い起こされる光景であった。

 使い古された1つのランプは各家々の配置を考えて中央に置かれている。余った段ボールを台にして、みんなで明かりを分け合っていた。


 濃密な腐息ふいきがはびこる地下トンネルにもかかわらず、ここで暮らしを築いている者たちが腰を下ろす、段ボールやビニールで作られた家――屋根はなく、仕切りに段ボール、地面にビニールという簡素なもの――の周りには、生活感のある様子があった。

 彼らが暮らす地下トンネルは、電車も、それを利用する人も立ち入れないよう電流を流す金網や厚い壁で厳重に塞がれている。

 家もお金もない者にとっては、人目を避けられ、かつ貧困者に対する迫害に遭わない絶好の生活の場であった。


 皆が思い思いに穏やかですさんだいつもの時間を過ごしていると、騒がしく声を張り上げながら駆けてくる者が現れてしまう。


「大変だ! みんな、大変だ!!」


 地下で暮らす者たちは男の声に目を向けた。男はハンチング帽に裂けた薄緑のジャケット、ベージュのパンツというファッショナブルな格好でいるが、トンネルの壁や床など、そこら中に繁殖しているカビが体中についているために、高そうな品の良い服も貧困の様子を物語るテイストに仕上がっていた。


「どうしたんだ。そんな慌ててよぅ」


 シミだらけの顔をしたおじさんは、酔いが回っているために呂律がおかしくなってはいるが、彼の慌てふためく様子を聞く思考まではお酒に侵されていない。

 40代そこそこらしきファッショナブルな男は、みんなが寝床にしている場所で止まると、膝から崩れ落ちた。喉をぜえぜえと鳴らして呼吸をし、一度息を飲み、また荒い呼吸をすると、強張らせる顔で口を開いた。


「教会に……通じる扉から、すっげえ煙が出てんだよ!」


 息を絶え絶えにして知らせたことは、一大事であると、小奇麗な男はみんなに伝えたい一心であったが、それを聞いた者たちの反応は男が思うようなものではなかった。


「んなことあるわけねえだろ。俺もあの辺を通ったことはあるが、火事になるもんはなかった。それに、あの通路は迷路みてぇに入り組んでやがんだぞ。火事になったとて、煙がこのトンネルまで届くわけねえよ」


 シミだらけの顔をしたおじさんとカップ酒を飲み交わしていた、ボタン付きの柄シャツを着た男は、頬骨が出っ張っており、福神様のような耳をしていたが、福神様のイメージとはかけ離れた聞く耳持たぬ対応であしらってしまう。


「俺は見たんだ! 煙が扉の隙間からモクモク出てくるところを! ありゃ火事だ!」


 ハンチング帽の男は嫌な汗を流し、顔のあらゆるパーツに焦燥を滲ませて訴えていく。


「だからなんだってんだ」


 シミだらけの男は細い目を鋭くさせて冷たく言い放つ。


「なに、って……」


 ハンチング帽の男は、シミだらけの男の反応や妙に落ち着きのある仲間の様子に、残っていた正義感から沸き立つ心意気を折られ、戸惑いに揺れる。みんなの中に宿る正義の心を動かす言葉がないかと、グシャグシャになっている思考の箱から取り出してみようとするも、渇いた口が続きを話してはくれなかった。


「俺たちが助けに行こうってか? 消火器はどこにありますかって、火災に遭ってる神父様に聞こうってのか? ここには、水も食べもんすらないんだ。俺たちにできることはねえよ」


 シミだらけの男はハンチング帽の男に背を向けて薄情な風に言い切る。だが、シミだらけの男の声は少なからず、残念であると声を絞り出しているように聞こえなくもない。


「そうだ。そういうのは消防に任せればいいんだよ! 俺たちが出る幕じゃねぇつーこったあっ!」


 福神様の耳を持つ男はアルコールの媚薬に侵されたせいか陽気に一蹴した。

 すっかり醒めてしまったハンチング帽の男は、痛々しく叫ぶ正義の心と、我が現状に無力な己と対照した。すると、悲哀をはらむ自嘲が男を誘惑し、声を漏らす。


「そうだな……。俺たちは、なんもできねえもんな」


 ハンチング帽の男は気を落とし、脱力感が体を満たしていく。


 その時、ハンチング帽の男の後ろでかすかな音が鳴った。


 ハンチング帽の男は不思議に思いながら後ろを向く。犬が歩いてくる足音ではないと、瞬時に察知した。それが凶暴な動物であったならばおっかな過ぎる。

 ここは凶暴な犬や迷い込んできたキツネが現れ、人に噛みつくことがある場所でもあった。腹を空かせた動物というのは、時に人をおびやかし、命をも奪ってくるのである。

 そうやって死を迎えた仲間を見てきた。さすれば、ハンチング帽の男が怯えるのも無理はない。そして、音は何度もハンチング帽の男の耳に届いており、目をギョロリと動かして口をわなわなさせる。

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