karma3 兆し

 後日、聖名の儀は執り行われ、男は『キス・アロウシカ』という新しい名前を与えられる。儀式の終わりを告げる主殿の最後の言葉を皮切りに、見物していた同胞たちの拍手喝采が礼拝堂に響き渡った。照れくさく思いながら、今この瞬間、自分はこの教会の一員になったのだと改めて感じていく。

 聖杯の美酒を下さった老人は、感慨にほころぶを口元で、「おめでとう」とだけ言い、修道士たちと同じく拍手を灯した。



 キス・アロウシカが教会に入って3年、修道士として経験を積み、体調管理に努めていく日々を送っていた。教会行事には参加し、供物を奉納していく。キスの熱心な行いは同胞たちの見本となる。


 そんなある日、キスは1人礼拝室で祈りを捧げていた。

 ここは修道院に住む者だけが礼拝できる場所。そのため、一般民に解放された礼拝堂より、部屋の広さや壁の装飾などは質素になっていた。白い部屋の窓から差し込む光をかぶるミニチュアの十字架に向かい、片膝をひざまずいて両手を組み、無言のまま目を瞑っている。


 そうしていると、キスの頭の中に突然光景が浮かんだ。まるで夢を見ているかのようだ。

 キスは窓から入り込む光に丸々とさせた目を向ける。キスは光を見つめて絶句していた。


「神よ、これは一体……」


 老人が倒れ、翼祭よくさいたちが駆け寄っていく姿。その後に視界がズームし、老人の体内へ入っていく。胃に注目すると、胃の一部、3センチくらいの範囲が光って見えてきた。


「預言……」


 キスは表情を一変させ、何かに突き動かされたように修道服の袖を乱しながら礼拝室を出ていった。


 駆け足で廊下を通るキスの姿は、同胞たちの目を釘付けにさせる。あれほど取り乱した様子のキスを同胞たちも見たことがなかった。


 キスは勢いよくドアを開ける。主殿室にいた誰もが、大きな音を立てて入ってきたキスに驚愕の顔を浮かべた。


「無礼者! どのような了見で主殿室に飛びることが許されようか! 神への冒涜に値するぞ!」


 翼祭よくさいの1人であるジャノベール・ヤキマは憤慨する。


「それより、キスよ。それだけ急いでいたのだから、何か用件があったのだろう? 話してみなさい」


 主殿の老人は赤みのある顔をしたジャノベールの説教を終わらせ、キスに用件の催促をする。キスは老人の前で両膝をつき、必死に神様に乞う人のような顔で老人を見つめた。


「主殿様、すぐに病院へ行ってください」


 男たちはキスの要求に度肝を抜かれる。


「何を……」


 突然申し出した用件があまりに突拍子がなく、ジャノベールはすぐにまともな言葉を出せなかった。


「なぜ私が病院へ行くことになるのだ?」


「見えたのです。あなたの体にあるがんが」


「詳しく申してみなさい」


 今自分が言っていることが現実を超越していて、話を信じてくれないかもしれない。そう考える間もなく、主殿へ話してしまったが、今になってその不安が頭の片隅によぎり、口の中が乾いていく。キスは少ない唾を飲み込んだ。


「先程まで、私は礼拝をしておりました。そしたら、私の頭に突然浮かんできたのです。まるで悪夢でした。あなたが倒れてしまうところ、妙にリアルな映像は、とても不吉だったのです。私は、神が教えてくださったのだと。それで、あなたにそのことをお伝えに参ったのです」


「主殿の体にがんがあるだと? 貴様、でたらめなことを抜かして何を企んでいる!?」


 ジャノベールはキスを見下げ、これみよがしに罵詈ばりを浴びせていく。


「そうカッカするな、ジャノベール。キス氏の見たものは神からの啓示であるかもしれないんだぞ」


「何をほざくか!? ユヒア」


 ジャノベールは、自分と同じ紫の平服へいふくを着た翼祭よくさいの男、ユヒア・ラーク・イノセアに正気であるかと言いたげに驚きを顔面に映した。


「我々は神の御言葉みことばに傾けなければなりません。しかし、主殿はお忙しい身であります。日程が詰められているため、病院へ向かう暇があるかどうか、分かりません」


 ユヒアは細いフレームの眼鏡の奥にある目を細め、難しい表情で話を続ける。


「それに、主殿はこうしてお元気な様子を見せてくださっている。とてもがんがあるとは思えませんが、万が一ということもあります。真か偽りか、定かではありませんが、これを機に、診断を受けられてみるのもよいかもしれません」


 ユヒアは冷静な口調で判断を委ねると、老人に目配せをする。真に迫ったキスがいたいけで、彼の言っていることが嘘だとも思えなかった。

 老人はキスを見つめながら、鼻から憂慮の色を零す。


「キス、知らせてくれてありがとう」


「ミアラ様……」


 ジャノベールは主殿の反応に思わず戸惑いの声を上げる。


「心配はいらない。近々病院へ行くことにするよ。ユヒア、調整してもらえるか」


「かしこまりました」


 キスはミアラ様が信じてくださったことが何より嬉しかった。これでおそれられる事態は起こらないはずだと、確信めいた予感があったのだ。


 突然押しかけたことを謝罪し、キスは主殿室を出る。キスはミアラ様の体が治りますようにと神に願う。

 毎夜に行う三星さんせいの祈祷でも、神に感謝し、ミアラ様の体がこれ以上がんに侵されないよう見守ってくださいと、何度も何度も口にして祈り続けた。

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