karma9 士気を高める乙女

 氷見野はいくつもの足を持つ巨大なムカデのような生物にゆっくり近づいていく。氷見野の機体スーツが加速して発生した風圧により、落下してしまった緑のミカンが、真っすぐ姿勢を正して歩く巨神を見上げていた。巨神が持つ刀は威嚇するかのようにジウジウ唸っている。


 生物は薙ぎ倒されて横になっている木々を口に入れ始めた。大きな口を開けて何本もの木々を一気に飲み込んでいく。そして長い胴体の中心部を膨らませた。

 ミシミシ、バキバキと繰り返す音は、生物のお腹の中から鳴っているようだ。体の左右を大きくしたり、小さくしたりしている。腹の中に溜め込んだ木材を転がして砕いたら、腹の中に多量の消化液を出して溶かす。

 腹の中は木が含む水分やら消化液やら唾液やらが混ざった液体で満たされていた。すると、生理反射が起こる。いきなり多量に溜まった液体は体に毒。噴水のように昇ってくる。言わばフローズンドリンクと同じく粒状の身が残っている液体だ。


 生物はまた上体を起こす。前傾になった生物の口から大量の液体が吐かれた。

 氷見野が見るシールドモニターの画面には、液体が飛び散る様がゆっくりに見えていく。

 驚きもあった。けど、体が熱いのに、頭が妙に冷静を保ってくれている。まるで今見ているこの世界が、本来自分のいた世界のように感じたのだ。


 氷見野の機体スーツは筋状の青い稲光を残して消える。4メートルほどの高さからまき散らされ、ミカンの木の葉っぱが汚れたしずくを纏った。しずくのついた箇所は虫に食われたように穴が空き、穴の円周にはかすかに薄茶の焦げ目を残す。酸の強い液体が散って落ちた地点から、白い煙が立ち昇っていく。

 氷見野は生物の背後に回って現れる。それを察知していたかのように、氷見野の機体スーツが現れる地点へ、叩き潰す準備をした尾が振り下ろされた。


 機体スーツはとっさにしゃがむ。しゃがんだ機体スーツだが、振り下ろされたしっぽの軌道上に位置している。もうすぐ当たるというところで、青と赤に配色されるいくつもの花弁の光を散らして、生物のしっぽが弾かれた。

 しっぽが弾かれた位置で、火花を散らしたのと同時に、氷見野の機体スーツを囲う半球の層が表れ、すぐに消える。

 弾かれたしっぽは斜めに飛ばされるも、すぐに横振りで攻撃を繰り出した。

 氷見野の機体スーツは重そうな体にそぐわない、ひねりを加えた横の宙一回転を見せ、ブーストランで距離を取ると、生物の方へ左手を向ける。


 左腕の外側から銃身が飛び出す。銃身は本来の姿を現して間もなく、鳴き声を上げた。細い銃口から飛び出すギラギラとした青い発光弾。綺麗な直線で空間を素早く切り裂く。

 銃口から離れていくほどに、丸から楕円を描いて先端をとがらせた光が、生物の体に直撃した。

 小爆発が何度か起きる。外皮が痛めつけられ、大きな体をくねらせる生物。


 いずなは離れたところで氷見野の戦闘を見守っている。移動する速度だけでなく、反射速度、電力、戦闘技術CTがいつもより冴えているように見えた。

 共闘してもよかったが、こうして目で確かめたかったのだ。氷見野優がクイーンであることを。そして、氷見野優の実力が着々に向上していることを。



 一方その頃、若狭湾から近い周辺地域を警戒する藤林隊長たちは、各隊の報告を聞いてもうすぐ警戒レベルが下げられると予期し、緊張を解きつつあった。


「氷見野さんといずな、大丈夫ですかね?」


 藤林隊長の後ろから声をかけながら隣に並ぶ四海。大きな屋敷の瓦屋根から辺りを眺める2体の機体スーツ。主人の帰りのない家はそこかしこにヒビが入っており、窓は割れてしまっている。上空からヘリコプターの音が降り注ぐ。


「大丈夫さ。いずなだっているし、何かあれば応援要請するだろう」


 藤林隊長は、海の向こうで見える、天から下ろしたような雲間の光を見つめる。山が海に浮かんでいる幻想を表すこの湾内で、もうすぐ雨でも降りだしそうな雲間から、光の放射線が下りている光景はなんとも魅力的に見えた。

 特に、地下施設で暮らす者たちにとって、この山紫水明さんしすいめいと呼ぶに相応しい自然の景色を拝めるのは、貴重な体験と言えるだろう。


「科学者たちの間じゃ、特別なウォーリア遺伝子を持つ個体を女王クイーンと呼ぶが、俺たち戦士の間じゃ、戦の乙女神ヴァルキリアスと呼ぶべきかな」


 藤林隊長は柔らかな笑みを浮かべる。この奇跡を噛みしめるように、温かな瞳は空から降りる射光が映した美景を刻んだ。



 緑豊かな丘の上で立ち昇る煙。それが誰の手による放火なのかは分かりきっている。氷見野の機体スーツから溢れ出す電気の筋は、メデューサの髪のように広がっていた。その筋状の電気は生理的なものでもあるが、コントロールすることは可能である。

 威嚇対象に対して自動攻撃できるわけだが、ブリーチャーに対して有用な攻撃とまではいかない。それは身体的ダメージを与えるという意味だ。自分の周りで飛び回るものが、低周波を帯びて視界をおぼろにさせてしまうのなら、なんとかして取り去りたいと思う。

 ならば、おのずと生物の注意は散漫になり、氷見野の機体スーツを捉えることはもはや神の領域に踏み込む必要がある。それを平たい巨大化したムカデのような生物にできるはずもない。


 電色の刀が生物の体を面白いようにすり抜けていく。こま切りにされた生物は体液を惜しみなく出され、黒く変色した地面にの垂れた。

 ふうと息を零し、少年を確認しようとしたが、さっきまでいた場所にはもういない。

 視線を振っていくと、丘を上る坂から顔を出す機体スーツと男の子を確認した。どうやらいずなが避難をさせ、ずっとそばで守っていたようだ。氷見野は突然沸きあがった不安をしまいやる。


 ただの残骸となった生物。切断された頭が小刻みに震える。

 わずかに残った生命の力を頼りに、残骸になったとは思えぬスピードで、氷見野の機体スーツに向かっていく。遠目に見ていた少年は、死にぞこないの生物の抵抗をその目で見た。表情をゆがめ、恐怖に満ちる。


 機体スーツに突進する寸前、氷見野の刀の先が横に向く。勢いをつけて飛んだ生物の頭に、それをかわす術などなかった。

 光の刀に触れた瞬間、生物の頭が木っ端みじんに吹き飛んだ。生物の頭かも分からないくらい小さく飛び散ってしまったため、黒く変色した草の中に埋もれてしまう。


 氷見野は少年に顔を向け、手を掲げて親指を突き立てた。少年の表情はこの空のように晴れやかになり、少年の手も掲げられ、呼応するように親指を立てる。


 福井県の若狭湾周辺で起こったブリーチャーの襲撃事件は、農作物の被害と建物の破損だけに留まり、死傷者ゼロでもって任務を終えることとなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る