9章 雷明の戦乙女

karma1 遠くなった普通

 焼けつくような島国。崖の上に立つ東防衛軍基地は海の音を聞き続けている。

 眩しい太陽は海に宝石を浮かべて波打つ。海水浴には相応しい気候だ。近くにある海にはさぞかし海水浴客がいることだろうと海へ出かけても、そこに海に入ろうとする準備万端な人はいない。

 ビキニの女の子もいなければ、胸板の厚い腹筋の割れたイケメンの姿はなく、その場には潮騒の音が流れているだけだ。


 海の家があったと思われる廃材が浜辺に置かれたままになっている。

 澄み渡った空と海、白い砂浜。そしてもう1つ。波打ち際に設置された遊泳禁止のバリケード。

 海を近くに感じられる砂浜にいるのは、羽を休める鳥と散歩している犬と飼い主くらい。暑い夏の風物詩は海から消え失せている。


 体を動かすことが日常となってきた氷見野。お気に入りの洋楽をかけて、久々の休日の食事を作っている。

 茹で上がって冷ました鳥のむね肉を鍋から取り出し、食べやすい大きさにちぎっていく。お椀にアツアツのご飯をよそい、錦糸卵、干しシイタケ、細切りにしたニンジン、ほうれん草、海苔をのせる。


 最後に鳥ガラスープをかけて出来上がり。っとご飯にしようとした時、携帯が鳴る。

 出来上がった鶏飯けいはんをカウンターに置き、机でバイブ音を鳴らしている携帯を手に取った。懐かしい名前が氷見野の顔をほころばせる。携帯の画面に表示されている電話アイコンをスワイプした。


「やっほー」


「どうかした?」


 中学時代からの友達、加藤志穂梨かとうしほりはだらけた声で話す。


「どうかしたって、この前メールで話し込もうって約束したじゃん」


「え、今日だったっけ?」


「もしかして忘れてたの?」


「ご、ごめん」


 氷見野は気まずそうに謝る。


「まあいいけどさ。ああもう、暑い~……」


 氷見野は携帯を耳に当てながらカウンターに向かう。


「今日すごい気温だって?」


 カウンターに置かれた鶏飯けいはんをローテーブルに置き直す。ローテーブルにはすでに昨日の煮魚とエビサラダがある。


「そうなんだよ~。51度って完全に太陽が殺しに来てるよねえ」


「エアコンは?」


 キッチンに向かって冷蔵庫を開ける。


「それが全然涼しくなんないのよ。うちの棟のマンションは全滅。シンシェン製じゃこの温度は無理みたい」


 お茶パックが入っているポットを取ってカウンターに置く。


「そっか」


 冷蔵庫の隣に並ぶ食器棚からコップを取る。


「そっちは快適そうでいいな~」


「まあね」


 氷見野はローテーブルにコップとお茶の入ったポットを置いていく。


「私もウォーリアになろうかなぁ」


 カウンターに置かれている箸立てから1膳取って、琴海たちに付き合わされてUFOキャッチャーで取ったキャラクターの立体型の座布団に座る。


「なろうと思ってなれるわけないじゃん」


「分かんないよー。まだ私検査受けてないもん」


 簡易的な遺伝子検査を受けることで自分がウォーリアかどうかはすぐに分かってしまう。

 市役所を通せば費用は市で負担してもらえるから簡単に検査できる。細胞片などを専用の小袋に入れ、提出して結果を待てばいい。

 病院で待つ必要はないので、その後予定があっても問題なくふらっと立ち寄ることができる。数時間もすればウォーリアかどうかの判定が出るため、電子メールや郵便などの指定した方法で結果が告知されるわけだ。

 公的機関は一貫として、強制ではないが自主的な遺伝子検査を催促している。


「ウォーリアになったら生活全部変わるんだよ? ちゃんと分かってる?」


 氷見野は優しく教え説く。


「冗談だよ」


「もうしっかりしてよ。お母さん」


 氷見野はそう言った後、携帯をローテーブルに置いて音声拡声機能を使う。


「そうそう。2年前の同窓会で聞いた話なんだけどさ、他にもウォーリアだった人いるらしいよ」


「誰が?」


「えっと確か……植田くん?」


「植田くんってどんな子だったっけ?」


「私も顔覚えてなくてさ。当時の特徴教えてもらったけど全然ピンと来なかったよ~」


 さすがにアルバムまで地下生活には持ってきてない。よく話していた男子ならともかく、一度も話したことのない男子だったらさすがに思い出すのも難しかった。


「仕事は順調?」


「うん、変わりなくやってる」


 加藤には東防衛軍に所属していることは言っている。だが、攻電即撃部隊everに入っていることは秘密だ。東防衛軍基地訓練校に入った際に書いた誓約書に、秘匿するよう記載されている。ご丁寧に秘匿の方法まで例に挙げるほどの徹底ぶりには本気度がうかがえた。


「事務局の仕事って一応公務員でしょ。お給料いいんじゃないのー?」


「まあ、それなりには」


 氷見野は言葉を濁す。


「久しぶりに優と遊びに行きたいんだけどなぁ。長野の避暑地巡りツアーで旧軽井沢銀座通りのレトロなお店を回って食べ歩いたり、着物着て妻籠宿つまごじゅくの風情ある江戸調の街を歩いて、最後には温泉に入ってくなんて最高じゃない!?」


 氷見野は暑さにやられて現実逃避が激しい加藤に困惑する。口の中に入った食べ物を飲み込み、喉を鳴らす。


「それ、志穂梨の脳内で私が奢ることになってるでしょ?」


「あれ、バレた?」


 無邪気な含み笑いに釣られて氷見野の口にも笑みが映える。


「もう、調子いいんだから」


「ふふふふっ、奢りは冗談としてもさ、旅行はしたいと思ってるんだよ?」


「うん……ちょっと考えとく」


 氷見野はぎこちなく返答した。


「んじゃまたね」


「うん」


 氷見野は携帯を通話モードからホーム画面に戻す。

 加藤の言うように長野へ旅行となれば、2日くらいのまとまった休みがいる。果たしてそれが可能かどうか。正直微妙だった。

 それにまだ隊員となって1年目。せっかく攻電即撃部隊ever4というエース級部隊に入ったからにはしっかりとやっていきたいと思っていた。


 やっと外部に出て見回りの要領を得てきたところ。まだまだ余裕があるとは言い難い。また、西松や御園たちのようにブリーチャーと戦ったことがないため、実戦の経験は実質皆無。

 運がいいと言えばいいのかもしれないが、自分だけ置いてけぼりを喰らっている気がして焦りを覚える。みんなは着実に経験を積み重ねているのに、自分だけが取り残されていくような……。

 氷見野は憂鬱になっていく思考をため息と共に吐き出して消していく。鳥ガラスープの濃厚な味わいが満たしてくれる鶏飯けいはんを、もう一度口の中に運んだ。



ЖЖЖЖЖ



 地下内のあらゆる空間の壁に設置された除湿孔じょしつこうが開いたままになっている、ジメジメとした今日この頃、氷見野は更衣室で Extract-ion wearエクトラクトイオンウェア に着替えていた。


 左半身の側面に沿ってつけられているファスナーを閉めていく。裏も表もファスナーが生地に隠れるため、ファスナーの硬い感触が肌に触れることはない。

 静かな更衣室でステンレス製のロッカーが音を立てた。

 着替えを終えたいずなが更衣室を出ていくのを捉える。

 氷見野も手早く髪の毛を後ろで団子にして結び、本日の訓練に向かう。


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