karma10 無謀な試練
試験官の男性は、特別訓練室の上部にある制御操作室の窓から氷見野を見下ろしながら、スタンドマイクにはきはきとした声で確認事項を質問した後、続けて話していく。
「試験内容を説明する。これから3体のバーチャルブリーチャーが前方のフィールドより出現する。任務は3体のブリーチャーの攻撃をなるべく受けずに倒すこと。バーチャルブリーチャーを倒すには、手持ちの武器で一度、胴体または頭に触れることができれば倒したとみなす。3体のブリーチャーを倒したら、奥の帰還指定場まで急ぐこと。それらの過程にかかった時間は計測する。ただし、頭部への攻撃を一度、あるいは胴体などに10回受けた場合は、その時点で死亡したとみなし、試験は強制的に終了する。以上だ。何か質問は?」
「ありません」
氷見野は浅く息を吐き、体の
「では、試験を20秒後に開始する」
ブンッという濁った音が聞こえ、特別訓練室の天井や壁にあるすべてのライトが一度点滅する。すると、壁や床などの物質が波打ったように見えた。全体がさっきより白っぽくなり、叫び声も聞こえる。
ブザー音が鳴った。氷見野はフェンスの外へ踏み出す。フィールド内の端に沿って移動していく。
フィールド内の遥か奥、左の壁の上部に、黒のフラッグが掲げられている。目視で100メートルはあるようだ。フィールド内にいる3体のブリーチャーを最小限のダメージで倒し、フラッグのある場所まで目指すとなれば時間はかかってしまう。
そもそも
息づかいが聞こえる。氷見野は積み重ねられた廃材の陰に隠れた。廃材の陰から覗くと、青白く透けた巨体が悠々と歩いているのが確認できる。半開きにしている口からよだれが垂れて床に落ちた。床に落ちたよだれはモザイクがかけられ消えてしまう。
のそりと歩いているバーチャルブリーチャーにはまだ見つかってないようだ。このまま気づかれずに倒したいところだが、その近くにも他のバーチャルブリーチャーがいる。物音を立てずにやればいけるかもしれない。
氷見野は近くにいるブリーチャーの後ろに回り、背後から奇襲をかけた。
すると、ブリーチャーの背が開く。氷見野は足を止めた。いくつもの触手が飛び出し、氷見野に襲いかかった。
氷見野はすぐさま引き返し、木箱の陰に走る。触手は積み上げられた木箱を弾き飛ばす。氷見野は素早く壁際を走って逃げていく。しかし、逃げた方向はブリーチャーが警戒している。ブリーチャーは氷見野を捉え、追いかけていく。
うまく撒いた氷見野は呼吸を荒くし、フィールドの中程にある、朽ちたアームが特徴的な機械のそばで屈む。
バーチャルなのに、ブリーチャーは実体のある物を壊していく――バーチャルブリーチャーの動きに合わせてあらゆる挙動を再現された製品が設置されているだけだ。
まさか物が飛んでくると思わなかった。ブリーチャーが飛ばした木箱が背中に当たったせいで痛む。
ぬるい汗が滲んでくる手と腕。どうしようかと辺りを見回す。
錆が侵食してきている厚めの銀板が見えた。台車に5枚ほど入れられている。まだ輝きを放っている部分から、バーチャルブリーチャーが歩いているのが映っていた。ブリーチャーは速度を緩め、やぶから棒に死角を作る障害物を破壊し回っている。
逃げても時間の問題。自分を信じて戦おう。1年間訓練を頑張ってきた自分を鼓舞する。
だぼっとしたズボンを着こむ足がゆっくり動いていく。
廃材についていたわずかな砂は床に散らばっている。靴に踏まれ、ジャリっとかすかな音を鳴らす。
頭を少し上げると、2体のブリーチャーが同じ場所におり、もう1体のブリーチャーは氷見野が隠れている機械を通り越して、帰還場所に指定されている方向へ歩いていった。強さのある瞳を携え、氷見野は1体になったブリーチャーを屈みながらゆっくりと迫る。
ブリーチャーは大きな体をゆっくり運ぶ。少し歩いてはその場に留まり、体の向きを変えている。周りに注意を払っているようだ。
氷見野は物陰を見つけながらブリーチャーの視線を掻い潜って再び近づいていく。慎重かつ速やかに移動する。
距離が近くなってくると、気配を察知しているのか、ブリーチャーの挙動が不規則に細かくなり、移動距離も少なくなっていく。
氷見野は背景に溶け込むように息を殺す。少し離れた場所では、他のブリーチャーが暴れ回っている雑音が響いている。ブリーチャーはその雑音を気にしているようだ。
氷見野は左の掌を広げる。移動している途中で拾った釘があった。氷見野はそれを遠くへ投げる。カランカランと音が響く。
ブリーチャーが音の鳴った方向に顔を向けた。ブリーチャーの背中から飛び出す触手が音の鳴った方向へ向かう。いくつもの触手が傷んだ冷蔵庫や砂鉄を入れた大きな箱をボコボコにして薙ぎ倒していく。
氷見野は物陰から飛び出した。
足音に気づいたブリーチャーは、振り回していた触手を氷見野に向かわせる。触手が尋常じゃない速度で氷見野の頭へ飛ぶ。
氷見野は左に体を投げ出す。触手は空振りする。氷見野は受け身を取って転がり、流れるように立ち上がった。
氷見野はすかさず前へ出る。左右から触手が迫ってきた。
氷見野は模造刀を振る。氷見野の左を襲う触手が一瞬で真っ二つになった。氷見野は右から来る触手に寄っていく。3本の触手は鞭のようにしなり、上から下まで層を作って氷見野に迫る。
氷見野は飛んだ。両手を胸の前で引き寄せ、クロスさせる。横に回転しながら飛んでいる氷見野の体に触手が迫っていく。
氷見野の持つ刀と触手が先に触れた。ひねりを加えた遠心力により、触手を弾き出す。
刀が弾かれそうな手ごたえを感じ、手に力を込める。氷見野の体は触手と触手の隙間を抜けた。
氷見野は片手をついて着地する。氷見野の足が前に踏み出す。氷見野は目の前のブリーチャーを真っすぐ見据え、駆け抜けた。一瞬の
ブリーチャーにできた傷口から緑色の液体が噴き出し、ブリーチャーの体がゆっくり傾いて床についた。ブリーチャーはモザイクに包まれて消えていく。
「へー。あの人やるなぁ」
観覧室で氷見野の試験を見ていた長い金髪の男は感嘆する。
隣のいずなは険しい表情をした。
一息ついていると、ドンドンとデカい音が氷見野の鼓膜を揺らす。奥から2体のブリーチャーが転がっている残骸を蹴散らしながら向かってきていた。
氷見野は凛々しい瞳で見据え、2体のブリーチャーに真正面から突っ込んでいく。
2体のブリーチャーは一列になる。不穏な動きに氷見野は速度を落とした。後方のブリーチャーが触手を飛ばす。氷見野は右に切り返す。氷見野の動きに合わせて触手も追っていく。触手は氷見野の後ろを掠め、床を激しく突いた。
しかし、乱れるように突き出される複数の触手は、一瞬油断も許さない。走る氷見野に目がけ、ためらいもなく触手を巧みに振るってくる。後方にいたブリーチャーは止まって、触手の攻撃に集中しているようだ。
針くらいしか通らない、肩当ての小さな穴から顔を出している黄色のライトが、一度点滅を見せる。触手が当たったことを知らせるライトだ。速過ぎる触手のスピードは、氷見野の
前方を走っていたブリーチャーは氷見野を猛追する。触手をあしらう氷見野は端に追い込まれていく。このまま切り返して後ろへ逃げようとしても、ブリーチャーの攻撃範囲からは逃れられない。氷見野の勘がそう告げていた。
一か八か、氷見野は勝負に出る。氷見野は渾身の力を足に込め、壁に寄せられている廃車となった軽トラへ、腕を振るって走り出す。
氷見野は走った勢いのまま片足をおもいっきり上げて前に出した。軽トラのタイヤの後輪に、氷見野の足が乗る。
後ろに残っていた足がすぐに前へ入れ換わると、荷台の小さな仕切りの上に乗った。氷見野の全体重が荷台の仕切りの上に乗った足へかかっていく。氷見野は体を折り曲げ、遅れてきた足が仕切りの上に添えられた瞬間、氷見野は後ろへ高く飛んだ。
氷見野の視界が上下逆さまになる。バック宙をした氷見野は体を反った。美しい孤を描いて飛んだ氷見野の下を触手が通り抜ける。バーチャルブリ―チャーは氷見野の動きに合わせ、2発目の触手で飛び上がった氷見野を追った。
氷見野の左手に握られた刀が空気を裂くように唸った。空中で体をひねると同時に振るわれた刀。氷見野の刀は螺旋の軌道で向かってきた触手を切り裂いた。
すると、着地体勢に入った氷見野は、模造刀の切先を下にして斜めに上げる。切先は下にいるブリーチャーに向けられた。
全身を使い、左手の力をこめて刀を投げ放つ。飛ばされた刀は鋭く落下し、ブリーチャーの首を通過する。刀を体に通されたバーチャルブリーチャーは、モザイクがかけられ消失していく。
氷見野は手ごたえを感じていた。あと1体、あと1体倒せば、帰還場所まで走ればいいだけ。
最初は不安で仕方がなかった。ここまでできると自分では思っていなかった。
体力もスピードも衰えてきている年じゃ、入隊後も困難を極める。それが現実だ。ならば、技術職に変更するのも視野に入れた方がいい。
指導官から優しく
氷見野は片手をついて着地する。
ずしんと来る着地時の衝撃が全身を駆け上っていく。歯を食いしばり、鍛え上げた細身の体が動き出そうとした。
その時、いきなり大きなブザー音が室内に響く。頭にこもった熱が冷めていく。困惑する氷見野。まだ試験は終わってないはずと顔を上げた瞬間、氷見野の前に伸びたものが目に入る。
氷見野の額から、ブリーチャーの触手が突き出ている。
氷見野の計算では、ブリーチャーの触手の再生にはタイムラグがあった。斬られた触手は一度体内にしまい込み、筋肉と骨を動かして体内で切り離す。
増殖器官にストックされる
つまり、すべての触手を使えなくしてしまえば、10秒から20秒程度、ブリーチャーは攻撃の術がなくなるはずだった。
氷見野の額を貫く長い触手の先には鋭利な1本の棘。最後に残っていたブリーチャーは、新種のベルリースコーピオンだった。氷見野の体から力が抜けていく。虚無と脱力に押し潰されてしまいそうで、膝をついたまま動けなかった。
小さな拍手。観覧室では、自然な微笑を浮かべる爽やかな男性が、胸の辺りで手のひらを上品な仕草で打ち鳴らしていた。
「いい動きだったね。初めて見る顔のような気がするけど、1回生かな」
「たぶんな。大胆な戦術に出たが、盲目的だな。おそらく素人」
加地の声は期待もしてなかったと言いたげに重たい空間に落とす。
「でも、柔軟性を生かした個人技は目を
長い金髪の男は明るく意見する。
「戦闘というより、演武って感じだったな。あの人は戦闘向きじゃない」
「ふふふっ」
また薄ら笑いを響かせる黒髪の男。悪意を臭わせる言葉を解き放とうとしているのが、観覧室にいる隊員に
「何期待してんだよ。どうせ大した奴なんていねぇって。ウォーリアの遺伝子を持った奴は、戦闘の素質を持ってるから遺伝子変異を起こしたわけじゃない。偶然の産物の新人類ってだけだ。このできそこないたちを"本物のウォーリア"にさせんのが、上の奴らや隊長さんだろ?」
投げかけられた言葉に誰も答えることができない。彼の言っていることが紛れもない事実だとわかっていた。
「まあ、俺は隊長職じゃないし、なったとしても、指導する気もないけどな。できそこないにかまってもしょうがねぇ」
「じゃあ、君は何でいつも試験を見に来てるんだい?
下劣な言葉を吐いている男にも微笑みを絶やさない爽やかな男は、優しい声色で問いかけた。
「決まってんだろ。今度はどんなできそこないが、化け物に食われんのか見るためさ」
白い歯を見せて非情なことを言ってのける男に、誰もが不快感を持った。
だが、ここは倫理やモラルを問う場所ではない。市民の安全を守る者が
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