karma9 理性と感情の間

 氷見野は見学会が終わった後、関原のいる特殊整備室を訪ねる。コーヒーをご馳走になり、氷見野の手には湯気の立つ温かなコップがあった。



 時折電子音がそこらで鳴っている。そのたびに何が起こるんだとヒヤヒヤしてしまう。

 以前来た時は動揺していたのもあって気づかなかったが、天井に近い壁の一面には電子板があり、数字や記号、英文字がひっきりなしに右から左へと流れていた。

 室内が円形になっているため、壁も円状になっている。電子板も壁に沿ってカーブし、はめ込まれているようだ。曲がったディスプレイ画面の珍しさが好奇心をそそってもおかしくはないが、氷見野はそういう気分になれなかった。


「いずな君は、攻電即撃部隊everの中で素晴らしい成績を修めている天才だ」


 関原は机に腰を乗せ、口の中に残る苦味の余韻を感じながら吐き出した。


「ブリーチャーをたった1人で15体倒した話は、国内外で語り継がれる伝説となりつつある。僕たち大人が思ってるより、彼女はずっと大人なんだよ」


「……本当にそうでしょうか?」


 関原は口につけようとしたカップを止めた。関原は氷見野を見つめる。氷見野の手に持たれたコーヒーはまったく減っていない。拭えない不安感を当てつけるような眼差しが関原に突き刺さる。


「みんなが頑張っているから、自分も頑張らなきゃ。そう思ったから、彼女は今もずっと戦い続けている。責任感の強い子なんじゃないですか」


「任務に関しては、そういう節もあるかな」


 目線だけを左に向けて呟く関原。


「あんな物を見せつけられて、何も感じないわけがない。時には、生きていた人がすぐそばで死んでしまう光景を目の当たりにする。周りの期待に応えようと、必死に耐えている」


 スーパーマーケットで見た惨劇が氷見野の頭によぎる。ブリーチャーに襲われている人が放ったおぞましい叫び声。それがどんどん消えていく。悪寒が氷見野の両腕を駆け上る。


「そんな彼女の気持ちにつけ込んで、あなたたちは彼女をそそのかした」


「それは誤解だ」


「あなたたちには彼女、いえ、。戦うことを選んでくれるウォーリアが。戦力の拡大が自分を守るために役立つと考える。薄汚い大人たちは、みんなそうよ」


 関原は目を細めて苦い顔をする。氷見野の敵意のこもった視線から逃げるように視線を逸らした。


「ブリーチャーの殲滅は軍事力のアピールにもなる。あなたにそんな意図はないかもしれない。でも、お偉い方たちはどうかしら? その可能性を黙殺して、あなたは彼女を戦場に出した」


 氷見野は立ち上がり、一口もつけなかったコーヒーを机に置く。その机に腰かけていた関原は難しい表情をして床を見つめていた。氷見野は隣にいる関原を見ずに口を開いた。


「彼女はどんな子供よりも強い。私もそう思います。でも、戦わないことを選んだ人たちが、大人じゃないって言われているみたいだったから、腹が立っただけです。ご馳走様でした」


 氷見野は影を落とす声で吐き捨て、出口に向かおうとする。


「なぜ彼女にこだわる?」


 氷見野の足が止まった。氷見野と関原は特殊整備室ここで話したことのある寮長と住民という関係でしかない。会って間もない赤の他人だ。他人行儀な言葉の端々はしばしで交わされていたはずなのに、関原の問いかけが妙に感情的だった。関原は氷見野の背に語りかける。


「君からは、ただ子供を守りたいという想いだけじゃないように感じる」


 氷見野は後ろを少し見て小さく頭を下げると、何も言わずに特殊整備室を出て行った。関原はどっと疲れた顔色を滲ませ、冷めたコーヒーを飲み干した。



ЖЖЖЖЖ



 氷見野はお手伝いロボットレンタルサービス店でバイトに勤しんでいた。エプロンを着てカウンターにいたが、スマイルはできない。まともに笑えないほど落ち込む氷見野を心配そうにうかがっているアルク。店の奥にある階段から下りてきた板倉は、疲弊感を携えた息を零した。


「順調でした?」


 氷見野は背後で鳴った足音に気づいて振り返り、作業の進捗状況を尋ねる。


「ああ、とりあえず一区切りついたからちょっと様子を見に来た」


「お疲れ様です」


「元気ないですね。何かあったんですか?」


「いえ、ちょっと余計なことを言ったかなと思いまして」


 板倉はアルクに視線を送るが、アルクは肩をすくめた。


「私は大丈夫ですから、気にしないでください。時間が経てば忘れる程度のことなので」


「そうですか?」


 お店の中に入ってきたお客さん。板倉は目の端に人影を捉え、口を走らせた。


「いらっしゃ……」


 板倉は目を見開いて絶句する。氷見野とアルクもお店に入ってきたお客さんを見る。氷見野は一瞬息を詰まらせた。

 黄色いジャージ姿の小柄ないずなは店内をじろりと見回している。いずなの挙動に固唾を呑んで微動だにしない氷見野と板倉。板倉は噂の有名人がひょっこり顔を出してきたことに動揺していた。

 いずなは一通り店内を見回した後、ゆっくりカウンターに近づいていく。いずなの目は確実に氷見野を見据えていた。氷見野は「いらっしゃいませ」と苦笑いをする。いずなはカウンターの前で立ち止まり、氷見野を見上げる。


「仕事はいつ終わる?」


「え?」


「仕事」


「私の、ですか?」


 氷見野は戸惑いながら質問する。


「それ以外に何が?」


「えっと……あと2時間で終わります」


 氷見野は腕時計を確認して答えた。


「そう。じゃあ待たせてもらう。ここで待たせてもらってもいい?」


「あ、はい……」


 板倉はずれた眼鏡を直す。


「ドウゾ」


 アルクはお決まりの紳士的な振る舞いをする。


「ありがとう」


 いずなは微笑してお礼を言うと、椅子に座った。ふわりと赤茶色の長い髪が揺れる。

 いずなはアルクと他愛のない会話をし始める。氷見野はずっと監視されているような居心地の悪さを覚えながら、仕事をこなすしかなかった。

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