karma10 星空

 お店のバイトが終わって渋々いずなの下に行くと、「ついてきて」と歩き出してしまった。

 攻電即撃部隊everの隊員がわざわざ赤の他人を訪ねる理由……思い当たる節はある。関原に話したことがいずなの耳に入った。そう考えるのが妥当。

 関原を罵った後、家に帰って1人自分の行動をかえりみて落ち込んだ。そして、今日までずっと引きずっていたらいずなが来てしまった。何も言わず、地下5階の通路をどんどん進んでいくいずなのペースに、切り出すタイミングをつかめない。


 たくさん人が行き交う大通りを抜け、土地勘のない場所にまでやってきてしまった。ひっそりとしている通りには年配の人や若い男女がまばらに歩いている。アートに染まる独特の店頭が多く建ち並んでおり、場違いな気がしてしまう。

 いずなは何も言わずにお店に入る。氷見野は声をかけようとしたが、お店のドアが閉まってしまった。ドアの上を見ると、"astronomy museum"という文字が入った看板がかけられていた。


 いずなと氷見野は暗い部屋の中で、隣り合う2つの椅子を傾け、天井を見上げていた。小さな部屋のドーム型の天井に輝く満天の星。投影機はなく、天井がテレビ画面のように星たちを映している。

 天文博物館。朝や昼、夜などの時間を感じにくいこの地下では、目に見える形で時間を感じられると人気の博物館だった。また、個室でプラネタリウムを見られるということで、カップルやスピリチュアルなものに関心を寄せる人たちがよく訪れている。

 アナウンスもなく、ひたすら星を見る2人。静かな部屋に、極めて小さくゆがんだ電気の稼働音が聞こえるくらい。氷見野は何か話さなくてはいけないと思い、「すごく綺麗ね」と声をかけてみたが、いずなは「うん」と応えるだけで会話が終わってしまった。それ以降何を話していいかわからず、ただ天井に映る小さな星に癒される時間を過ごすことにして、氷見野は会話を諦める。


 ドーム状の天井の画面に映る星たちは川のように上へ流れていく。白い光の粒が集まって、暗い空間に光をもたらしている情景。もう自由にこの景色を見ることはできない。天気のいい夜ならば、家の窓の外を覗くと、星なんていつでも見ることができる。そんな当たり前があったのだ。こんなに綺麗じゃないけど、確かにそれは当たり前のものだった。


「崇平から聞いた」


 いずなが突然口を開き、氷見野は顔を向けた。


「崇平?」


「関原崇平」


 いずなは一切表情を変えることなく、天井に視線を向けたまま答えた。


「ああ、関原さん」


 氷見野はしんみりとした声を出して天井に視線を戻す。


「私が子供だから心配?」


「お節介だったよね……」


 氷見野の後悔が吐息と共に零れる。

 いずなの瞳が2回ほど氷見野へ流れて戻る。


「最初はみんなそんな感じだった。訓練でも実戦でも、みんな私のことを心配してくれた。見た目が子供だから仕方ないけど、私はそれが悔しかった」


 いずなの表情や声からは感情を読み取れないほど淡々と語られていく。


「だから、いっぱい訓練して、他の隊員と同じくらい強くなれるように、いろんなことをした。そしたらどんどん頼られるようになって、私を他の隊員と同等に扱ってくれるようになった。気づいたら、攻電即撃部隊everのエースなんて呼ばれてた」


 いずなは薄く笑みを浮かべた。


「あなたは、本当に戦いたいの?」


「うん」


「どうして……」


 疼く心からあふれ出た言葉が喉に引っかかる。その間に空いた無言の時間。氷見野は星を見たままいずなの言葉を待った。幻想の光でも、いずなにはその光がどんな光よりも眩しく見える。


「誰かが私を必要としてくれるから」


 いずなの体は強張り、肩に力が入った。


「その結果が、死だったとしても?」


 氷見野は重さを持った口で問いかける。


「死ぬことより、生きながら誰にも必要とされないことの方が嫌だった」


 氷見野は子供からそんな言葉を聞くとは思わず、哀しげに口を閉ざした。


「わかるよ。でも、私には必要としてくれる人なんて1人もいなかった。両親さえも」


「それって……」


 氷見野はヘッドレストに置かれた頭を捻り、驚きを持った瞳を向ける。


「そうよ。私は虐待を受けてた。精神的虐待っていうやつ。普通に食事はしてたし、殴られることもないから気づかれない。姑息な両親だったから。産まなければよかったって言われたこともあった」


「なんでそんなこと……」


 氷見野は悲しみを帯びた声で呟く。


「さあ? そんなこと、今更知ろうとも思わない。もう死んだから」


「え?」


「自宅にブリーチャーが襲ってきて、両親は殺された。私はブリーチャーから逃げて、どうにか生きてた。怖かったけど、ブリーチャーに恨みなんてない。むしろ感謝してる。私をあそこから出してくれたから」


 平気な顔で薄情なことを言ってのけるいずな。でも、なんとなく納得している自分がいた。両親から疎まれ続ける日々は地獄だったのだろう。


 子供の知っている世界はとても狭い。いくら逃げ込める仮想空間があろうと、駆け込み寺のような場所があろうと、親の呪縛はとても強く、血の絆というものを意識するなと言われてもどこかで求めている。悪いことじゃないし、どんな生物もそれを求めて生きている。

 誰しもあるはずの絆が無いと知った時、どうやって生きればいいのだろうと、氷見野はいずなの悲しき過去に思いを馳せた。自分の鬱憤の溜まる生活に比べたら、自身が抱えていた苦悩の日々なんてちっぽけなものだったのかもしれない。


 氷見野も辛かった。なんでこんな体なんだろうと自分を責め、夫の本性を知って絶望した。生きる目的など、当時の氷見野には何もなかったのだ。すべては時間の流れに身を委ねること。抗うことをやめ、疲れ果てていた。

 人類の敵であるブリーチャーに救われたと思ってしまった自分に、嫌気すら感じる日々。こんなにも近くに、同じようなことを思っている人がいた。それだけで、罪悪感も少し和らいだ。


「ここに来て、自分がウォーリアだと知った。ウォーリアはブリーチャーから人を守れる存在。ウォーリアを求める声は、私を必要としてくれてると思った。生きていいんだって思えた」


 天井から降り注ぐ画面の光はいずなの顔にベールを纏わせるように照らしているが、どこか悲しげに映る。


「怖く、ないの?」


「怖いし、戦わなくて済むなら戦わない。でも、誰かがやらなきゃいつまで経ってもここから出られない。他のみんなは、一緒に暮らしたい家族がいても暮らせない。もし、ブリーチャーが地球からいなくなって、自由に外へ出られる日が来たら、たくさんの笑顔が見られると思う。その日を、戦ってきた仲間と一緒に見るのが、私の夢」


「そっか……」


 氷見野はいずなの境遇を知って、もどかしさを抱えることしかできなかった。


「ごめんなさい」


「謝らなくていい。あなたのおかげで、初めてこの地下に来た時のことを思い出した。これで、私はまた戦える」


 いずなは穏やかに薄く笑みを浮かべて、柔らかな椅子の中で目を瞑った。

 氷見野は輝く天井の空に目を向ける。小さな光たちは絶え間なく流れ続けている。

 こんな風に輝いた笑顔が見られることを願っているのだろうか。ここが、いずなの好きな場所のように思えた。

 夢のような空間へ、ささやかな願いを共に祈るように、氷見野も目を瞑ってわずかな時間を過ごした。



 氷見野といずなは天文博物館を出て通路を歩いていた。時間も夜になり、会社帰りの人たちが通路を埋め尽くしている。


「今日はありがとう。あなたの気持ちはよくわかった」


 氷見野は視線を少し落とし、微笑みながら言う。いずなは真顔のまま一瞥いちべつする。


「崇平は女性に責められると干からびた蛙みたいになるから、ほどほどにしてやって」


「え?」


「根っからの尻に敷かれ野郎だから」


「ああ……」


 氷見野は酷い言い草で腐するいずなに、ぎこちない笑みで曖昧に返す。


「私も応援することにしたから」


「ありがとう」


 いずなと氷見野はエレベーターに乗る。すぐに地下6階になり、氷見野はエレベーターから降りて振り返ると、小さく手を振った。いずなはちょっと恥ずかしそうに手を振り返す。


 エレベーターの扉が閉まり、いずなの姿が見えなくなった。氷見野の顔から笑顔が消える。

 口では言ったものの、いずなが戦場に出るのは心配だった。でも、何もできない。彼女を引き留める意思より、彼女が戦場に出る理由の方が強かった。それを実感し、彼女を見送ってやることしかできなかった。


 誰かに生きていることを認めてほしくて戦う道を選んだ。彼女にとって、ブリーチャーと戦うことは生きる理由であり、自分が生きていると感じられる希望だった。

 自分が彼女の夢を奪おうとしていたんだと、やるせなさに打ちひしがれる。彼女の力になりたいと思っても、氷見野は彼女を応援することしかできない。彼女が望む夢の日がいつか来ると信じて待つしかないのだ。


 彼女を心配したのは、純粋に彼女の身を案じているからじゃない。叶えられなかった夢が、今も氷見野の中でくすぶっている。

 氷見野は無力感に胸を突かれながら静まっている廊下を歩き出した。

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