序章 殺戮
殺戮
俺は女の子を電子レンジの中に押し込み、スイッチを入れた。
「ごめん」
窓に映るは灰色の空。聞えるは雨音。部屋の中は白一色で統一された牢獄のような世界。
ベッドが一つあるだけで、白いペンキで塗られたコンクリートの空間は酷く殺風景。肌寒い空気は霊気が漂っているかのような陰鬱さで、中央に建てられた巨大な処刑装置だけが酷く浮いて見えた。
電子レンジ。俺と――中に入っている有樹という女子が名付けたこの箱のサイズは異様に大きい。舌に乗せて声を出してみるならば、それは高さ二メートル、幅三メートル、奥行き四メートルの立方体。黒一色に染められていて、まるでメッカにあるカアバのようだった。
「――ごめん!」
俺は電子レンジの前にひざまずき、とめどない涙を流し、ひたすらに頭を下げる。
電子レンジの窓からはオレンジ色の光を放ち、ターンテーブルがくるくると人間を回転させる。耳障りなモーター音が砂利のようにひどくざらついて耳にこびりつき、離れない。
「ごめんよ、ごめんよ有樹! ごめんっ!」
女子――有樹は回っていた。眼球を白濁させ、口から煙を吹き、全身からは湯気をほとばしらせ、ぐずずと崩れ落ちていく。めらめらと毛が焼けていく。
「ごめん、ごめん、ごめん、ごめん」
まるで意味の無い謝罪。木霊すらしない。コンクリートのカチコチの壁が音をはじき返してくれるはずなのに、まるでスポンジのように吸収し、消えていく。
心が、張り裂けそうだ。
好きだった。愛していた。出来れば一生を共にしたかった。なのに、殺すのだ。
有樹の脳がスカスカになる。心臓が焼ける。肺がボイルされる。胃が沸騰する。腸が燃える。膵臓がただれる。肝臓が溶ける。血管が収縮する。それらは熱を帯びて有樹の全身をホッカホッカに温めてくれる。
その結果待っているのは――死。
有樹は死んでいた。神経の全ては焼かれ、物一つ言わない。
「『俺』のために、『僕』のためにこんな――あ、あああ、あああああああっ!」
俺と有樹が毎日心を込めて作った電子レンジ。自作の電子レンジ。
それが生み出す恐るべきマイクロウェーブは正確に有樹の体内を構成する水分を徹底的に蒸発させてしまう。その威力、一秒間に一〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇回の高速振動。
「ごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめん!」
ぶるぶるぶるぶるぶるぶるぶる震える水分が摩擦熱を起こし、有樹の身体をひたすらに温めていく。身体は締まり、焦げ、溶け、内臓は大火傷を負う。脳はもう機能しなくなり、神経は焼けてちぎれる。
狭苦しいオレンジの空間の中で今、どうしようもない殺戮が繰り広げられているのだ。
痛いだろう。苦しいだろう。熱いだろう。何も見えないだろう。でも、俺は止めない。
もはや止めてもどうなるものでもない。ただ有樹が溶けてチリになるまで、ひたすらにマイクロウェーブの暴力を敢行し、人間一人を殺してのける。
胸を締め付ける強烈な罪悪感を押し殺すように、俺はひたすらひざまずき、何度も何度もコンクリートの床に頭をたたきつけ、泣きながら謝罪するしかない。
「ゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメンゴメン!」
何のために殺すのか。
何のために電子レンジを使うのか。
何のために謝っているのか。
かろうじて残る判断が、唯一の正当性を持って俺を慰める。
何のため?
それは全て――雨と桜と絶望の街を守るために。
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