創世生活(2)

 執筆する手を休めてあたしはふうと額にたまった汗をぬぐう

「順調だねー何事も起こらない」

「物語的に順調というのはちょっと問題がある気もしますが」

 スミルナがちょっと含みのあるような言い回しをする

 確かにそれは正鵠を射ている

「じゃあ何事か起そうかでも何事か起こすとなると文章量増えるしますます句読点が必要になってくるよー」

 しかし句読点がないとそれは個人的にあまりしたくなかった

 スミルナもそれはわかっていたようでやれやれと肩をすくめる

「そうですわねやはりリアンを見付けるまでは何事も起こさないのが大事ですわね」

「そゆことー」

 そんな会話において一人蚊帳の外のイズミルが冷たい視線を向けながらぼそっと呟く

「俺にはお前らの話はさっぱりだ」

「あーごめんね」

 彼は改行能力こそ持っているが紙様のような鳥瞰視点の持ち主ではない

 あくまでもこの世界に舞い降りたイレギュラーその特殊性には限界がある

 イズミルはさらに続けた

「ただ思うことはある」

「なーに」

「お前ら俺らを見下してないか」

「そんなことないよー」

 それは全くの誤解だったあたしはイズミルを見下したり何かしてない

 ただ視点が違うからどうしても価値観にズレが生じてしまうだけだしかといってイズミルに鳥瞰視点を持って貰おうったってそれは無理な話なのだ

「だといいんだがな」

 しかしイズミルは訝しそうにじっとあたしを見てローブの中に手を突っ込んで耳をほじりだした

 悪い人ではないのだけどどうも彼はちょっと卑屈なきらいがある

 直後


「だあてがっでんだよっ」


 町の外れの方で賑やかな雑踏さえも切り裂くような大音声が轟いた

 言語として成立していない単なる音の氾濫

 赫怒だけを喉に宿し理知を忘れ感情の赴くままに叫んだ本能の塊

「わなになにー」

 さすがにあたしは困惑する

 何事も起こらないことに懸念はあったがあくまでも何事かを起こすのはあたし達紙様の役目なのだ勝手に何事か起こされると困る

 モブキャラはモブキャラらしく黙って佇立していて欲しいのだ

「町の一角で何か起こっているようですわ」

 スミルナがそう言って指刺す確かにそこには人だかりが出来ていたそして空気がどうにも歪んでいる一触即発と言わんばかりの火薬めいたオーラが充満している

「あらすじにあったっけ」

「ありませんわ」

「行ってみようよー」

「わかりました」

 あたしたちは急いで空を駆け人だかりを俯瞰することにした


 と――

「ん、こ、これは……」

 あたしはすぐに気付いた。地の文を司っているから当然だ。

「まさか……」

 スミルナもはっとなって口元を押さえる。

 読者の皆さんも、もうお気づきのことと思われます。

 そう、これは――

「「句読点!?」」

 あたしとスミルナは同時に叫んだ。

「ま、間違いないよ、これ句読点だよ! エクスクラメーションもクエスチョンも使えるし! 間違いないないよ!」

 がくがくとあたしはスミルナの肩を強く揺さぶりながら興奮を露にする。

 スミルナはやめなさいとばかりに手をふりほどくと、冷静さを取り戻そうと前髪を梳いて――

「と言うことは……リアンがいるということですわね!?」

 でも結局変わった血相は戻しきれず、動揺丸出しでそう言った。

「そうだよ! 行かなきゃ!」

「……句読点が出来てからお前ら急に元気になったな……」

 イズミルはただ一人冷静だった。

「視覚的にそう感じ取れるようになっただけで、元々これくらいのノリですよー?」

「マジかよ……」

 勿論嘘です。激情のあまり顫動を押さえきれていないんです。

「弥美、そんなことより早く参りましょう! リアンは必ずいますわ!」

「そ、そうだったねー!」

 あたしたちは一気に高度を下げた。地上十メートルほどにまで。

 それでようやく見渡せるようになった集団の一様。そこにあったのは――攻撃だった。

「あぅ……」

 身をすくませ、怯えた瞳を浮かべる眼鏡をかけた青髪の少女。

 間違いなくリアンだった。

 リアンは石塀に追い詰められ、扇状に集団が囲っている。

 そして集団から放たれる、猛烈な悪意。

「このバケモノめ、この町から出て行け!」

「親父、こいつ魔法も物理も通じないぞ」

「案ずるな、こやつは所詮バケモノぞ。もうじき勇者がこの町を訪れることになっておる。それまで持ちこたえればよいだけのことじゃ」

 勇者。イニジエのことだろう。既に来ていることを彼らは知らない。

 それは幸運だったのか、悲運だったのか。

「この気色悪いゲテモノめが!」

 びゅんっと石を投げつける集団。一人ではない。幾人もの人々が一斉に石を投げ飛ばしているのだ。

「ひい! ……や、やめてください……」

 勿論当たったところで紙様であるリアンに傷などつかない。だけどその威嚇行為が重要なのだ。たとえ痛くないとわかっていても攻撃意思はそれだけで相手を傷つける。

 そう、心をだ。

 石が尽きると今度は誰かがおまるを投げ飛ばした。中に入っているのは――言うまでもない。

 リアンは何とか躱したが、その顔にはどうしようもない恐怖が宿っている。

 その変化に、集団はいち早く気付く。

「お、火砲も魔法も通じなかったこやつが初めて嫌悪を示したぞ!」

「そうか、こやつは汚物に弱いのか! 皆の者! おまるを持て! こやつにブチ撒けるのじゃ!」

「おう!」

 そうすると集団はバケツリレーの応用でおまるリレーを開始。瞬く間に大量のおまるが用意された。

 そして一斉に投擲される――ちょっと言いたくないもの。

「ひ、ひぃ……っ!」

 それはリアンも同じ。躱しきれず言いたくないものが服にべっちょりとこびりつく。リアンのお気に入りだった民族衣装が台無しになる。

 その姿は集団を奮起させた。

「どうも戦闘力はないらしいな。ならば我らにも勝機はある!」

「よし、一斉にシュプレヒコールじゃ!」

「おう!」

「デ・テ・ケ!」「デ・テ・ケ!」「デ・テ・ケ!」「デ・テ・ケ!」

 恐るべき暴力。

 物理的ではなく精神的に傷つける暴力。

 そしてそれ故に、その破壊力は絶大だった。

 様々な宗教でどうして神仏を貶めてはならないか。広大無辺な力と叡智を持ち得ながらどうしてダメなのか。

 それは神仏だって傷つくからだ。人より上位の存在でありながら的確なダメージを与えるコトができるからだ。

 リアンの瞳からは大粒の涙がこぼれ落ちる。

「あぅ……あ、あの……」

「近づくなケダモノめがっ!」

「け、ケダモノって……うち、別にそんな……」

 何とか抵抗しようと試みるが、無駄。ヒートアップした集団には敵わない。

「全く青い髪なんかして、人間に化けるならもう少し考えて化けなさいよ」

「そうそう。人間の色じゃないよねー」

「全く汚らわしい汚物ぞ! 根暗そうで陰気そうでうじうじとまるで精細がない! こんなクソッタレが生きていると思うと吐き気がするというものじゃ!」

「根暗……陰気……ぐす」

 スカートをぎゅっとつまみ、唇を噛みしめてぽたぽたと涙を落とすリアン。

 しかし誰も慰めたりはしなかった。

「あーモンスターのくせに涙なんか流して、人間様を侮辱してるよね」

「ほんとおぞましい。とっとと死ねばいいのに」

「死ーね」「死ーね」

「そんな言い方しなくても……うち、何もしてないのに……」

 おそらくだが、どうしてリアンがこうも迫害されているのかについては想像がつく。

 彼女は句読点しか司っていないためだ。あたしやスミルナがいない以上、台詞も地の文も存在しない。

 彼女だけでは世界は停止してしまう。

 その停止が、集団に猛烈な恐怖を与えたのだろう。

「そらよっ」

「きゃん!」

おまるがリアンの頭に直撃する。

 もう、見ていられなかった。

「ぎゃはははは! 自慢の青い髪が台無しってか!? よおし、あいつを少しでも人間様に近づけさせるため、髪の毛を汚物で染めてやろうぜ!」

「大賛成」

「や、やめて……」

 それを見てスミルナはぎりっと歯を軋ませる。

「な、なんてことを……」

 だが、あたしはまだ冷静さを維持できていた。

「そうか、そういうことだったんだー」

 紙様は無敵じゃない。いや、無敵なんだけど傷はつく。

 無敵だからこそどうしようもないほどに傷つくのだ。

「どうした? あのやられてる女子が……」

「リアンですわ」

 スミルナが振り向きもせず苦々しく答えた。

「迫害されているようだが、ダメージはないんじゃないのか?」

「一つ、あったんだよー。登場人物が執筆者を傷つける方法」

「なんだと?」

「心を傷つけること」

「な……に?」

 イズミルが瞠目する。

 やはり気付いていなかったか。そりゃそうだろう。

 でも、理解はできるはずだ。何故なら彼は――経験者だからだ。

「村人たちはどうやってもリアンの体には傷一つつけられないー。でも心ならば容易に傷つけることが出来る。心を抉るような言葉を投げかけていじめれば……」

 人から疎まれバカにされ、嫌われ続けることの体現者だからだ。

「リアンは、壊れちゃうんだよー」

 あたしの重苦しい音吐に、イズミルは愕きと怯えを顔色に移したまま、何も言えなくなっていた。

 と、スミルナがあたしの腕を引いた。

「弥美、早く助け出しましょう!」

「う、うん、そうだね! じゃあ……えと、地の文をいじって……でも難しいな。何かきっかけんがないと……そうだ!」

 妙案がひらめき、あたしはぽんと柏手を打つ。

 そしてイズミルの方へ視線を戻した。

「あん?」

 何が何だかわからないといった様子のイズミル。

 あたしは詰めより、訊ねた。

「イズミル、さっきみたいに改行を使って隙を作って! スミルナはその後で台詞を切って!」

「さっきやった手法ですわね」

「うんそう。多分今回も大丈夫だと思う」

 文章が崩壊することで世界も崩壊する。

 そして登場人物たちは、そのカタストロフィについて全くの無力だ。

 隙が出来る。あたし達はその隙をついてリアンを救出すればいいのだ。

 ラタキーアの村で逃げ出せた時と同じように。

 イズミルもそれを思い出してくれたようで、力強く頷いてくれた。

「わかった。さっきと同じでいいんだな」

「オッケーだよー」

 イズミルは目を閉じ、すっと両手を前に突き出す。

 ――瞬間。


「このバケモ  ノ


  が

     ……な、

  なんだ   ぁ  !?」

 世界が崩壊した。

 でも戻ってしまった。それではダメだ。

「よし、いい感じ! もっともっと!」

「あいよ」

 イズミルが文章を破壊する。徹底的に、どこまでも、壊滅的に。

「く

 ど

 っどうな   て

          んだ?」

「よーし、そろそろ台詞を                    切っ

て……あ、

  あれ?」

 だが――

「イズミル、

    もうしな                   く

 て   いいん    だよ?」

 だが――

「い、いや……

そ   そ

  れが……」

 それがまずかった。

「コント ロール

                     が

 きか       んっ!」

「「えええ

ええ   ええ

え!?」」

「か、改行

 能力を

消して

早く

!」

「わ     わか    っ                    た」


 改行削除文章がギチギチに詰められるだけどお陰で世界は復旧した「ふうなんとか戻ったかなー」あたしは溜息をつき汗をぬぐう「弥美いえ何かヘンですわ」「何が」「ご覧下さい」気付く「あれ句読点が消えてるどうして」「それだけではありません」周囲を見回すとそこは荒野になっていた「ナイリスの町が消えてるー」まさか最初の時みたいにどこかへ飛ばされたのだろうかいや違う座標はここで間違っていない周囲の風景も全く変化がないただナイリスの町だけが忽然と消滅したのだ「どうしてー」「おい一体これはどういうことだ」イズミルがあたしの肩をゆすってくるが答えようがない「わかんないよーイズミル改行戻して」

「これでいいか」

 改行復活

「ふう特に暴走はないねでも」

「ええリアンはおろかナイリスの町すら消えてしまっています忽然と」

「どどどどどうしてー」

 もう一度周囲を見回すしかしどこにも町はなかった

 やはり飛ばされたのではないかそう懸念するが遠くに見える山の位置も森も位置も何も変わっていないのだ風景は一緒なのだ

 しかしあれだけの喧噪が綺麗さっぱり無と消えた

 あたしの心臓がバクバクと高鳴る一体どうしちゃったのか皆目見当もつかない

 するとスミルナが腕を組みながらうーんとうなり

「これはおそらくバグではありあませんか」

 そう仮説を立ててきた

「バグ?」

「ええよくよく考えれば最初の時イズミルが使った時もそうでした不思議なんですよ改行しただけでわたくしたちが離れ離れになるなんて」

 確かにそうだ改行しただけで飛ばされるなんてありえない

「ということはこの改行の圧縮で」

「ええバグが発生してしまったのです」

「そんなー改行圧縮にはそんな問題があったなんてー」

 ちょいちょいとイズミルがあたしの背中をつっついてくる

「ちょっと待て俺には何のことかよくわからんぞ」

 あたしは深呼吸をして落ち着きを取り戻し努めてゆっくり説明した

「多分だけどねーイズミルのあの能力って磁場を圧縮して歪めることで文章を破壊する魔法でしょー」

「まあそうだな」

「でも磁場を圧縮しすぎて空間それ自体が捻れちゃって物理法則が崩壊しちゃう元々物理現象をねじ曲げる魔法だからあまり無茶しすぎると磁場が破裂して物体を消しちゃったり飛ばしちゃったりするの」

 イズミルはまだピンとこない模様

 ならばとあたしはもう少し噛み砕いてみる

「わかりやすく言うとイズミルの魔法は本のページを破ったり折りたたんだりくしゃくしゃにしたりする能力だから無理すれば本自体に深刻なダメージを与えてしまって物語どころか世界それ自体を壊しちゃうってわけー」

「なんだと」

 そこにスミルナが補足するように続けてくれた

「世界書それ自体を破壊させてしまうためわたくしたち紙様もその影響を免れないということですわね」

「そーだね破れたり潰れたり折りたたまれた本に物語は紡げないからねー」

 物語の中でたとえば核攻撃が発生しても執筆者はなんらダメージを受けないが本それ自体を破壊されてしまったら執筆者といえども干渉できなくなる

「つまりイズミルの魔法は強すぎて第四の壁を無効化してしまうんだよー」

「そんな魔法を」

「元々純正の紙様能力じゃないからねーこれくらいはありえる話だよー」

 どんなものも規格外のものをいじっていれば異常が発生する

 よく考えれば当たり前の話だった

 あたしは頭を抱え俯く

「でも困ったなーリアンが消えちゃった」

「リアンは死んだのか」

「それはないと思うよー本が破壊されても書けなくなるだけで執筆者は死なないもん」

 そもそも紙様は不老不死だ物語の住人では逆立ちしても殺すコトは出来ない

「ということはまたどこかに飛ばされたということですわね」

「うん探さなきゃー」

 しかし移動しようとするあたしの腕をイズミルがむんずと掴んだ

「待て」

「どしたのー」

 あたしは少しだけ怒気を荒くして振り向くエクスクラメーションがないからわかりにくいけど

「リアンが死なないのはわかった紙様だからだろ」

「うんー」

「イニジエは」

「あ」

 そうだ確かナイリスの町にはイズミルが入ってしまったのだ

 スミルナも顔を青ざめ、ぶるぶると体を震わせた

「弥美これはちょっと洒落にならない事態なのでは」

「まずいなーもしイニジエが消えちゃったら物語は紡げない」

 なんせイニジエは主人公補正を持つこの物語のメインキャラクターとはいえ所詮は世界書の中で描かれる役者の一人にすぎない

 紙様のような絶対的な耐性を有していない

 バグで町ごと消えてしまった可能性は十分ありうる

「ど、どどどどうしよう……」

 あたしは口に指をつっこみ、がちがちと噛む。

 爪を噛むどころの騒ぎではなかったのだ。

 ふと――違和感。

「あ、あれ? 句読点ができるようになった」

「と言うことは弥美!」

「うん、リアンはすぐ近くにいるよ! 探そう!」

 幸いこの世界の夜は明るい。そしてこの荒野。すぐに見つかることだろう。

 ほら。

「おい、あれじゃねえか?」

 イズミルが早速とばかりに遠くの方を指さした。

 距離は大体一キロほど。随分遠いが遮蔽物のない荒野では消しゴムくらいのサイズではっきりと目視できる。どうやら句読点の可能範囲は単純な距離ではなくあたし達が認識しているか否かで決まるらしい。

「え……あ、あーっ! リアンだ!」

 あの民族衣装。青い髪。眼鏡はさすがに見えなかったけれど、間違いなくリアンだった。

 見たところ汚物がない。イズミルのバグで消えてしまったのか。

 しかし喜びはすぐに消沈する。何故ならリアン一人ではなかったからだ。

「しかしモンスターに捕えられていますわ」

 スミルナが不可思議そうにそう漏らす。

 そう、リアンは肩に担がれていたのだ。担いでいるのはリアンの倍以上はある体躯を誇る真っ黄色のモンスター。全身が角張っており、妙に筋骨隆々だ。全身レンガで出来ているみたい。

 天地がひっくり返っても人間には見えなかった。

 スミルナが怯えまじりに声を漏らす。

「そんな馬鹿な。モンスターが紙様に浸食するなんて……」

「まさかこれも……バグか?」

 イズミルが恐る恐る訊ねてきた。

 多分ビンゴ。バグのせいで本来寝食不可能のはずの紙様に影響をもたらせるようになってしまったらしい。

「と、ということはまずいよー……」

 リアンは紙様だから無敵なのだ。紙様としての補正がカットされてしまっては、そこいらに佇立しているモブとなんら変わらない。

「追うぞ」

「あ、う、うん! そうだねーっ!」

 イズミルの声に導かれ、あたしたちは流れ星のように空を突き進んだ。

 空の道中、あたしは思索に暮れる。

「とにかくさっさと助けなきゃ。地の文をいじるか、それとも実力行使を……ええーい! 面倒臭い。もう物語はかなり歪んじゃったんだ! 構わない!」

「弥美、まさか貴女……」

「うん! そのまま力尽くでリアンを助ける!」

 補正が切れたということはあたし達もそうだろう。おそらくモンスターの攻撃を受けたら大変なことになる。

 ならば絶対安全な位置から最強の手法でモンスターを撃砕してやる。

「……やむを得ませんわね。モンスターが紙様に寝食した以上そうするしかありませんわ」

「よおし、じゃあ早速……え?」

 まずは降下しよう。モンスターの様子をもっと詳しく見たい。

 そこから地の文を紡いでやる。

 そう、思ったのだが――

「ど、どうなさったの?」

「ち、近づけない!?」

「そんなバカな!?」

「じゃあスミルナやってみてよ!」

「わ、わかりましたわ。え、えええええ!? そんな、どうして?! ここから下に下りることが出来ないなんて!?」

 そう、あたし達は空から下りることができなくなっていた。

 まるで見えないガラスでも張られているかのように下りようとするとごちんと硬質の感覚が襲ってきてどうしても下がるコトができないのだ。

 あたしはぐしゃっと頭頂部を鷲づかみにする。

「想像以上にあのバグは致命的だったみだいだねー」

「なら俺が行こうか?」

 イズミルの提案。しかしあたしは即座に首を振る。

「ダメだよっ。イズミルは改行魔法しか使えないんだもん。イニジエみたいに勇者の血統を持ってない者はモンスターにダメージを与えられない」

「……なんだよそりゃ。そんな差別許されるのかよ……」

「村人Aはどんな雑魚モンスターも倒せないんだよー何人束になってもね」

 だからこそこの世界は勇者だけがたった一人で旅をしているのだ。

 いや、予定ではパーティを組んでの冒険だったのだけど。

 今となっては詮無いこと。世界はイニジエの双肩にゆだねられているのだ。

 イズミルは拳をわななかせ、ぎっと奥歯を噛みしめていた。

「ふ、ふざけやがって……じゃあ何か、イニジエだけがあいつらを倒せるのか?」

「そう」

「く……ふ、ふざけ……やがってぇっ!」

 腰を曲げ、眉間に深い皺をよせるイズミル。

 それは義憤ではなく――嫉妬だった。

 でもそれを言及するつもりはない。実際問題、イニジエにしかリアンは助けられないのだから。

「しかしそのイニジエが消えてしまった以上……」

「う、うーん。イニジエさえいてくれたら……」

「イニジエ……ここでもイニジエかよ……」

 果てしなく嫌そうな呪詛。猛烈な呪詛。どこまでも呪詛だった。

「イズミル?」

「ふ、ふざけやがって……いっつもイニジエイニジエって……いっつもだ」

 顔が赤くなっている。目が充血し、何かヤバイ雰囲気。

 あたしは咄嗟にイズミルの肩を掴み、優しく微笑んであげる。

「ち、ちょっと落ちついてよー」

「く……っ!」

 荒れ狂う嫉妬が、イズミルを壊そうとしている。

 だが、そんなことはさせない。

「ね? 落ち着こ?」

 落ち着いて、丁寧に、慎重にそう囁く。

 それで若干は怒りを収めてくれたようで、イズミルは乱暴にあたしの手をふりほどくと、恨めしそうな視線でこう言ってきた。

「わかったよ! クソッ! でもどうすんだ。イニジエがいないとリアンは助けられないんだぞ?」

「そ、そーなんだよ……どうしよう……」

「主人公がいないと物語は成立しませんわ……」

 主人公はいない。消えた。ナイリスの町と共に跡形もなく。

 だが、本当にそうか?

 イニジエは主人公なのだぞ? 主人公がいない物語なんかあり得ない。

 だからこそ、主人公には補正がかけられる。

 絶対無敵、あらゆる確率もあらゆる困難も乗り越えられるような最強の力を。

 なら――

「えーと。そ、そうだ」

 できるはずだ。

「どうしましたの?」

「できるかどうかわからないけど、ちょっとやってみる。イニジエは主人公。つまり主人候補正っての生まれながらに有してる。イニジエは確率が一パーセントでもあれば絶対に的中する特性がある。だから……」

 こうする!

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