第36話 結末
6回目
1日目
小夜たちの社から離れてほどなくして敏蔵はふとした違和感に気づく。丹田のあたりが妙に熱くジンジンと痛い。不思議に思い直垂の裾をめくった。臍のあたりの皮膚が少し裂けていた。裂け目から血がぽたぽたと流れている。
「けっ、あの社の中で引っ掛けたか。おい、垂、さらしあるか?」
「へいっ、敏兄ぃ。」
垂一の威勢の良い相槌を聞いた瞬間、敏蔵は戦慄した。これで6回目だ。これから数日の後あの女の薄気味悪い捻じれた笑い顔をみたその翌日、俺の腹がどんどん裂けていき、絶望の果てに爆裂して死ぬのだ、、、ど、どうしたらいい、どうすれば。。。かれこれ6回目になる永遠に続く地獄のような呪いにようやく気が付いた敏蔵は、悪事だけにはめっぽう強い脳細胞を高速回転させなんとか爆裂死の運命を変えることができないか考え始めた。
(何をやっても無駄だよ。)
敏蔵の頭の中で声が聞こえる。麗しく涼やかで、敏蔵のように性根の曲がっていない普通の人が聞いたならばうっとりするような声であった。
「ひ、ひぃっ~~!!」
敏蔵がこれまで配下の荒くれ者たちが聞いたこともなかった、甲高い叫び声をあげる。
「ど、どうしたんでさぁ?」
「うるせぇ!!!!」
恐慌をきたし垂一の顔面をぼこぼこにする敏蔵。彼の耳に小川のせせらぎのように自然に入った天女の羽衣のような宣戦布告の声音に、激しく戦慄し、すぐさまあの乞食のような老翁の元へ急ぐのであった。
――――――――――――――
3日目
「おい、じじぃ、なんとかしやがれ!!!」
「どうしたんですか、親分?」
「うるせぇ!!!」
敏蔵は振り向きもせぬまま裏拳で垂一の鼻をへし折る。その狂乱の一部始終を微笑ましく見ていた利斎は言った。
「ほほほ、敏蔵とやら、いつもより一日到着が早いのぉ。」
ギクッ、なんで、この半分腐った亡者みてぇな爺が俺の置かれている状況を理解している?敏蔵はそう思い、垢だらけになっている利斎の道着の胸ぐらを掴んで詰め寄る。
「なんでって、今は廃村となったこの祠で、これまで何十年も解呪を生業としておるのじゃ、お前の陥っている理のことなど分かろうもんじゃわい。」
「ど、ど、どうしたらいい!!!」
取り乱す敏蔵、少し後ろで様子を伺っていた宮助と、鼻を折られ野山の雪解け水のようにとめどなく鼻血を流す垂一は、彼のうろたえぶりを怪しみ、このときはじめて恐怖政治によって完璧なまでに作り上げられた敏蔵の組織は崩壊の兆しを見せるのだった。
「わかっとぅるじゃろう、今度はこれくらいかの?」
と、利斎が無邪気な赤子のように、その枯葉のような手の平を開いて10本の指を天井に向け、歯がほとんど抜けた腐った梅干しのような口で、にまっと笑いかける。
「10,000両(10億円)だな、わ、分かった!」
「えぇ!!?俺たちの財産の半分ですよ、い、いいんですかい!?」
「ぎゃぁぎゃぁ言わずに持ってこいや!!!!」
敏蔵に怒鳴られ殴られ、垂一は仕方なく自分たちのものと思っていた財産の半分を駕籠まで取りに行く。あんな死にかけのじじぃにくれてやるくらいなら、俺がトンズラを決め込むか、と一瞬考えた垂一であったが、目論みが破れ無残な拷問に遭い死を遂げた多くの仲間を思い出し、ごくりと唾を飲んで思いとどまった。
それにしても10,000両(10億円)という大金である。小切手も電子決済もない、すべて小判による金本位制のこの時代では、すべて集めると200kgはくだらない。一人でふぅふぅ言いながら垂一が利斎の前に千両箱を五段四列に並べると、肩で息をしながら恨めしそうに爪を噛む。
そのきれいに整えられた四角四方の物体を、傾城の美女でも見るかのように涎を垂らし見ていた利斎は、ふとその妄想から立ち返り、あくせく働いている垂一をじっと見つめ、
「おぉおぉ、お前、半人前がほんによう似合うのぉ。。。今回の裁きがひと段落ついたあとの世では、今度はそこにおる宮助とやらにこき使われておるようじゃぞ、ほぇっほぇっほぇっ。」
「は、半人前だと!じじぃ!!」
相手が老人となると、途端に蛇蝎のように強くなる垂一。そして宮助は何を言っているかほとんど理解できなかったが、自分の子分になるというので面白がって垂一をはやし立てる。
むろん宮助も今回の敏蔵の金の振る舞いには大いに不満を感じている。あたりは誰もいない、垂一と共謀して、隙を見て敏蔵とじじぃを殺害しようと考えているのだった。
「おぉおぉ、おぬしも変わらぬのう、そんな事では、、、」
利斎は宮助の曇った空のように濁った瞳を、湖底のような青く澄んだ瞳で見つめると、
「今度の呪詛が終わったとて、永久に妄執の輪から抜け出すことはできんぞぇ、ほぇっほぇっほぇっ。」
瞬間繰り出される宮助の拳を蜃気楼のようにひらりとかわすと、そう言った。
「おめーら、うるせぇ!!!」
敏蔵必殺の蹴りが、宮助と垂一の裂けつつある血のにじんだ鳩尾に決まり、そろって土間へ倒れる。その瞬間、宮助の漠然とした殺意はより強い決意に変わるのであった。
「おぃ、じぃさん、用意したぜ、な、なんとかしてくれるんだろうなぁ!!?」
愛娘の祭を除いてはすべからく冷淡で酷薄な態度をとる敏蔵にしては、いつにない懇願口調で利斎に頼み込む。
「おぉおぉ、少々銭ももらったしのぉ。まぁ、やってみないと分からんわなぁ。何せ相手は久しく見かけんくらいの強敵じゃ、道真公とどっこいどっこいくらいかの?生前の奴で、儂と五分五分と言ったところかのぉ。。。」
当たり前のように、すでに死んでいるはずの小夜をこう鑑識すると、よぼよぼの年寄はすぐさま敏蔵の斜め後方10mを見据え、10代の若者のような機敏な身振りで素早く両手に印を組みだす。
ノウマク・サマンダ・バザラダン・センダマカロシャダ・ソワタヤ・ウン・タラタ・カン・マン
不動明王生霊返しであった。生霊が人に憑りつき呪詛を行っている時、その呪詛を跳ね返し成仏させる効力を持つ。敏蔵に憑りついているものを正確に理解している利斎の、唐突かつ強力なこれ以上ないくらいの先制攻撃であった。
利斎が唱えた瞬間、敏蔵と土間に倒れこんでいる垂一たちの中間に、下腹部を赤黒く盛り上がらせ、それとは対照的に白い簡素で清潔そうな袴に身を包んだ、官女のように美しい女が姿を現す。ぐちゃぐちゃに見える下腹部とは一線を画して、顔はあくまで石英のように理性的で非人間的な超然とした美しさを示すのであった。
しかし、現世に出現したその精巧なビードロ細工のような顔は、利斎の念じる印に呼応するかのように、徐々に、この世界に生きるすべての者を憎み呪い切る、夜叉の形相に変貌を遂げてゆく。
「おぉおぉ、もとは清純な娘じゃったはずじゃのに相当な怨みじゃのぉ、一体何をしたんじゃ敏蔵とやら?まぁ、だいたい察しはついておるがのぉ、ほぇっほぇっほぇっ。」
利斎が超宇宙的な余裕で、小夜と、そのすぐ横で彼女の呪われた姿に戦慄している敏蔵を野山の美しい自然でも愛でるかのようにのどかに見て、どこから出してきたのか火傷しそうに熱い番茶を口に運び間延びした声でこう問いかける。そして禁呪に少々くすぐったい思いをした小夜は、利斎が自分に仇なそうとしている存在であると認識したようであった。
オン・マカラ・ギャバザ・ロシュンシャ・バザラ・サトバ
続いて、利斎が小夜の憤怒の形相を一顧だにせず、丸められた和紙のようにしわくちゃな両手の、それとまったく同じようにしわくちゃな人差し指と親指を二等辺三角形に組み小夜に向けると、愛染明王呪を唱えた。その呪は、衆生の生命を奪おうとする大魔に大悲の鞭を打ち振るい調伏する。
利斎の朗々とした誦唱に従い、小夜へ向けて慈愛の突風が吹きあがり、憎しみにゆがんだ小夜は徐々に鎮静調伏されてゆくかに見えた。
「お、おぉおぉ。。。」
と、その瞬間、利斎の浅黄色の正装、丹田のあたりからじわじわと血がにじみだした。
「おぉおぉ、ワシにも呪詛の手が伸びてきよったわい。それをした所でおんなじ事だというのに、、、まぁ、敏蔵のように7日で殺されてしまわぬうちに退散するとしようかのぉ。。。」
そう言うと、廃村の朽ちかけた老木は、誰も見たことのないような真言の印を組み、大量の千両箱と共に影のように消え去っていくのだった。
「ま、待て!待ちやがれ!!!!」
「おぉおぉ、君子危うきに近寄らずじゃえ~、ほぇっほぇっほぇっ(笑)。」
声のみが瓦礫のような空き家に木魂する。それと同時に鬼の姿の小夜も朧のように掻き消えていった。その異質な存在たちが見えなくなって一刻、、、巨大な質感が消え去った跡をポカンと見ていた悪党たちではあったが、しかし依然として、腹の傷はなくなるどころかいよいよ広がり、祭は再び痛みで泣き叫びだす。唯一の手掛かりをなくした敏蔵は、途方に暮れるのであった。
――――――――――――――
7日目
長者の家で敏蔵、永吉、植太、祭、他悪党の群れは皆一様に腹部を裂かれながら、さらしを巻いて横たわっている。腹部の傷口はほとんど張り裂けんばかりに大きくなり、歴戦の悪雄たちといえどもあまりの痛みに弱音を吐きだしていた。
「おとうちゃん、痛い。。。」
もはや叫ぶ力もなく、敏蔵の愛娘祭りがかすれた声でつぶやく。
「く、くそっ!!!」
悪態はつくものの、腹いせに殴るための垂一は、宮助とまとめて帰路すでに山犬の餌にしてしまっている。握りしめた拳は相手を失い力なく敏蔵のもとに戻った。そして、長者の家で、残された永吉、植太たちと共に悪党の群れは天然痘患者のように横たわるのみであった。
――――――――――――――
夜になると、悪辣な四天王を除いてはほとんど気絶するか、あまりの痛みとどう処置しても広がっていく傷の恐怖に気が触れてしまうかしていた。
ほぼ皆死に絶えたかのような静寂の中、ひたひたひたひた、、、、這いずり回るような音が屋敷の外から聞こえる。
今では敏蔵もはっきりと自覚していた、あの女だ。また俺や祭を殺しにやってくる。
「畜生!ぶっ殺してやる!!!」
非常に耳障りな、おぞましい音だ。腹部を裂かれそれでも負け惜しみで強がっていた敏蔵は、腰を踏ん張って立ち上がり音のする方向へずるずると歩いていった。
そこには、、、、。
小夜が、這いずりながら敏蔵の方へ向かってきていた。
首と内臓だけになった小夜が。
口から血を吹き出し、血の涙を流し、生前はきれいに整っていた髪を振り乱し、この世のすべての者を呪い殺すような形相をして、地獄車のように転ってくる小夜が。
首から下すべてを呪いの贄にして、敏蔵達への復讐を遂行している、小夜が。
小夜は、時に転がりながら、時に内臓を引きずりながら、その憎しみに満ちた血の瞳だけは片時も敏蔵から外さず、徐々に彼の足もとへ近づいて来た。それは敏蔵に、やがて彼に訪れるであろう苦しみに満ちた確実な死を想像させるに十分であった。
「こ、この女!これでも食らいやがれ!!」
敏蔵は、隠し持っていた火縄銃を取り出し、這いずってくる小夜の眉間めがけて銃弾を発射する。ターンッ!小気味よい音を立てて、銃弾は小夜の眉間に命中する、かに見えた。が、そんなものが、単なる人を殺すための道具が、敏蔵に対しての憎しみのみが存在理由の幽世の者に効くはずもない。
(お前は、これからも未来永劫、娘と一緒に罪を償い続けていくのよ、、、死ね。)
轢かれた死にかけの猫のように地面をずるずると転がり這ってくる小夜が、この世の底から憎み切っている視線を敏蔵へ投げる。動かぬ口から聞こえる小さく残酷な声が敏蔵の脳裏に木魂するのと同時に、敏蔵は小夜と戦う意思をたたき折られ、抗えない力で絶望と共に足もとへ頽れた。
みりっ、みりみりっ、みりみりみりみりっ、、、肉が、石臼にすりおろされ何かの餌になるような音を立てて、敏蔵の腹部の中心、へそのあたりから放射線状に裂けて広がってゆく。潰れた内臓をぶら下げながら。その様は肉でできた蜘蛛の巣のように見えた。
「ぎ、ぎぎ、ぎゃーーーーーー!!!!!」
想像を絶する痛みと恐怖。敏蔵は、同じように腹が裂けていく最愛の祭を見ながら、彼女と同じように首から下を爆裂させ、その生命を終えたのであった。
そして、この後、無限回廊のように、腹部の裂傷、小夜の宣告、最愛の娘の死、自身の爆死が、幾度となく繰り返されていく。永遠に続く苦しみと痛みと恐怖と屈辱の中で、敏蔵は徐々に全てを理解していった。これは自身の成した業が受けている永代に続く罰であると。
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