第18話 兆候
深夜の凶行で数十人の重度障害者を瞬く間に殺害した異常者植松は、逮捕された現在も反省する様子を1mmも見せず、被害者家族が聞いたら卒倒しそうな身勝手かつ狂気的な理論を展開し、警察を困惑させていた。はたして正常な精神を持っている者が極限的労働に追いつめられた結果犯行に及んだのか、優生思想を至上のものとしてしまったキチガイなのか、専門家でもなかなか判断がつかない状況であった。あるいは植松はそれを狙って下手な猿芝居をしているやもしれない、取調官黒田はそう考えていたが、判断を監察医に委ねていた。
植松は、エリート志向の強い教職の父と、終末思想を持った恐怖漫画家の母との間に生まれ、どうやっても相容れない二人の親が形成する機能不全家族の中に育った。兄弟姉妹もおらず親の価値観が絶対となってしまったのもそれに拍車をかけた。
そんな、幼少時から差別思考と終末論を両の親から頭の隅々まで叩き込まれた植松ではあったが、高校まではその異質性が表面へ出ることはなかった。千葉の田舎で家と学校の往復と申し訳程度のテスト勉強くらいしかせず、引っ込み思案でその偏狭性から当然ながら友達のいない植松には、その狂暴性をあまり実社会へさらす機会がなかったためだ。
高校まで一般人とは大きくかけ離れた考え方を持ちながらも目立った存在ではなかった植松であったが、首都圏の私大へ上がると、首都圏でのアルバイトや私生活で、自身を表現する手段を手に入れ、徐々にその異端の片鱗を見せ始める。髪を金髪に染め短く刈り上げたのを手始めに、入れ墨、反社会的なネット投稿、犬猫やお年寄りや公園の子供ら弱者への暴力といった具合に。
知能もそれほど高くなくこれといった努力もしなかった植松は、結局のところ、ようやくヘルパーの資格を取り、ぎりぎりで障害者施設での介護士の仕事を手に入れる。もともとの親譲りの差別意識を背景に、介護士のきつい労働や重度障害者の直面する現実を突き付けられるにあたり、いびつな彼の精神は大きく間違った方向に開花し、”重度障害者は生きる価値がない”という、破滅的な理論を手に入れる。そして最終的に空前の大犯罪を断行するに至った。
逮捕された後も人とはまったく相容れない薄っぺらい化粧紙のような精神をうそぶいている植松に、ふとした奇妙な兆候が見え始めたのは、犯行が行われてから数週間たったある日の事であった。それは始めは、いつの間にか体のどこかに出現した小さなシミのように、ほんの些細な兆候であった。
――――――――――――――
植松はいつものように嫌々ながら障害者施設に出勤した。今日も受け持ちは、全身干からびた、もやしのようになっている、不健康な浅黒い色の体をした、口をあけっぱなしで涎を流した、40くらい木偶人形だ。死んだ魚のような黒目を全く動かさず虚空を眺め、その眼は黒いクレヨンで汚く塗りつぶされてしまったかのように光なく淀んでいる、肺と心臓が動いているだけの女だ。
俺が部屋に入ると、その、体を動かすこともなく、硬直した首で永久に虚空を眺めているはずの女が、ぐるりとを首を回し、こちらを見た。いつもは何も語らないはずのマンホールの奥底のような平板な黒い瞳が、何かを訴えかけるように、ろうそくの炎のようにゆらゆらと揺らめいている。
(ん、あいつは首はおろか体もろくすっぽ動かないキチガイのはずだったがな?)
植松は、奇異に感じた。
「はっ?」
普段からよく夢を見る植松であったが、それは、いつにも増して不可解な夢であった。
「夢か。。。」
――――――――――――――
植松はいつものようにいやいやながら障害者施設に出勤した。みるとあたりは一面、血の海だ。そうだった、ついさっき木偶人形どもを殺しまくったんだった、おかしいな、なら、なぜこんな腐った施設にまた来てるんだ?そう、植松は思った。
ふと、気持ちよく殺戮しまくったはずの大部屋に行くと、先ほど殺したはずの、全身干からびたもやしのようになっている、不健康な浅黒い色の体をした、口をあけっぱなしで涎を流した、40くらい木偶人形が、こちらを見ている。黒目を全く動かさず虚空を眺め、その眼は黒いクレヨンで汚く塗りつぶされてしまったかのように光なく淀んでいるはずの女だ。
そして、気配と言う気配全て取りさらったような静寂の中で、普段は物言わぬ眼が、静かに血の涙を流している。瞳が、何の感情もたたえる事がないはずの瞳が、植松の方を意味ありげにじっと見ている。黒目が、植松の動きに合わせて、植松の眼の位置に合わせて追尾するように動いている、瞬きの一つもない。
「ひ、ひぃっ!!」
普段からよく夢を見る植松であったが、それは、絶対に蓋を開けてはならない、何か良くない事柄を暗示しているかのような極めて印象的な悪夢であった。
「ゆ、夢か。。。」
俺にも、あいつら木偶に良心の呵責を感じる一面があるのか?
植松は、ふとそんな事を思い、しかし、そんな気弱な考えは一瞬で振り払い、その日の警察の取り調べに応じるのだった。
――――――――――――――
植松は、両手を山賊か何かかと思われる屈強な男たちに縛られている。彼の目の前にいる荒くれ者の男が植松の正面にいる女に意味ありげないやらしい笑みを浮かべている。
女は固く目を閉じていた。植松を見ないように顔を背けているようだ。透明で、くっきりとして、凛として、繊細なガラス細工のようなとても魅力的な顔立ちをしていた。日頃、人に対して好意や親しみなど沸いたこともない植松ではあったが、なぜだろう、彼女には強い親近感を感じるのであった。
荒くれ者の男たちの首領と思われる男が合図する。傲岸不遜な顎、人を射竦めるような小さな三白眼、悪徳商人のようなあごひげ、汚く短くスポーツ刈りにされた髪、見る者に悪印象しか与えない小さく太った身体。すると、その手下と思われる情の欠片もないような仮面のような顔をした男が植松を振り返り、ナタを取り出した。そして、じわじわと植松ににじり寄る。
「な、何をする!?」
身の危険を感じた植松は、当然、疑問符のついた声を上げる。
「何って、わかってるだろうが、細切れにするんだよ、お前を。お前だって似たようなことを数限りなく不具者にやってきたんだろうがよ。」
凄惨な笑みを浮かべ、男はにやにや笑いだす。
もうひとりの手下と思われる馬鹿でかく太った男が植松の右腕を万力のように締め上げると、骨が軋む痛みに植松は悲鳴を上げた。しかし、当然彼らはまったく意に介することなく、その少し脳みその足りない仮面のような手下はナタを植松の右手の上に振り上げて、断頭台の処刑人よろしく、ブツリと親指を切断した。
「ぐ、ぐがあぁぁぁぁ!!!?」
親指の付け根から、血が、水道の蛇口のように勢いよく流れる。あまりの衝撃と痛みに植松は気を失った。
「はっ!!?」
留置所の、固くて薄いじゅうたんのような布団をはねのけ、反射的に自身の右腕を確認する。親指はついている。
「ゆ、夢?」
――――――――――――――
気が付くと、植松は柱に縛り付けられ、身動きの取れない状態であった。当然のように右手の親指はついていない、これは夢だ、夢に違いない、植松はそう考えた。
「夢だ、夢に違いない、そう考えているな、おあいにく様だな、へへっ、、、へへへ、、、、へへっへっへっへっへっへへへへへ、、、、。」
嫌らしく植松を見て笑いかける手下の山賊。
ものの見事に考えを見透かされた植松であったが、驚く余裕などなかった。この痛み、身体的苦痛と精神的苦痛は夢と呼ぶには凄まじすぎる。なぜ最愛の妹の前でこんな拷問をされ続けなければならないのか!?
何っ?妹?俺には妹がいたのか?植松は痛みで朦朧とする頭の中で自問自答する。いや、そんな馬鹿な!?
自分の考えに混乱し恐慌に陥っている間にも、男たちは次の拷問に動き出す。今度は、たいまつに火をともして植松をあぶっていくつもりのようだ。思わずすくみ上る植松。
「やめて!!か、書きます!書きますから!!!」
植松と向かい合って柱に縛り付けられている見も知らない女が植松を見て、なぜか叫び声を上げる。小夜、だめだ、それだけは!!はっ!?小夜!?
植松の思考は、殺人者と最愛の女とリンチを受けている自身の間で千々に乱れる。
そして、永遠に繰り返される拷問はその幕を開けたのであった。
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